大船法律事務所 辻堂法律事務所 平塚八重咲町法律事務所 某辯護士の「弁」

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湘南に3つ ~大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町~ の法律事務所を置く「弁護士法人プロフェッション」の弁護士某が仕事や出来事や趣味などを時々弁ずるブログ

神社仏閣巡り好きで、最近地味ながらトライしているのが「相模国六社めぐり」。

相模国六社は、次の六社。
延喜式(式内)神社に分類されてますが、その格式は現在不明。ただ、少なくとも神奈川(特に湘南)では、中でも特に寒川神社が有名だし、格式は高いはず。以下もその系列だから格式は高いのではと想像してます。

一之宮・・・・・・寒川神社(寒川町)
二之宮・・・・・・川匂神社(二宮町)
三之宮・・・・・・日比多神社(伊勢原市)
四之宮・・・・・・前鳥神社(平塚市)
五之宮(格)・・・平塚八幡宮(平塚市)
総社・・・・・・・六所神社(大磯町)

土地柄、幼少より寒川神社はよく知っていて、ここは「相模国一之宮」のキャッチ一押し。
ならば二之宮以下は、どこでどんななの?というのが発端。

順不同で、まず去年に平塚八幡宮、今年に入って前鳥神社→日比多神社→川匂神社を参拝。

パワースポットさでは前鳥神社が一番(参道アプローチが長く荘厳なのがよい)。
劣らず川匂神社(上に茅葺きの門を見ながら長い階段を登るとひらける先の社に風格あり)。

日比多神社は境内が小さいのでその分パワーも弱いように感じますが、強いか弱いかでいえば強いです。
平塚八幡宮は、噂では国道整備の関係で参道が削られたらしく、その分パワー減殺した感じがします。

古来、地場の武士・武将は、神社仏閣への寄進等で、力を誇示し民衆の支持を集めたとのこと。
この地では、まず頼朝。次に早雲のはずなのに特記はなく、出るのはその後の家康。

頼朝は政子安産祈願と寄進、家康は衰微を再興して種々の戦勝祈願をし、これらは六社共通の歴史(なお、以前ブログに記述した家康の江島神社弁才天での戦勝祈願も、その一環に位置づけられると推理され、その後の民衆の江島詣でに繋がる流れは既述)です。

で、本来参拝時にご朱印をもらうとツウと思いつつ、そこまではしてはないので、ツウではないのが残念。
代わりにすることは、必ずおみくじ。

結果が悪かったら結び、よかったら財布に入れます。今のところ、一度も結んでないのが自慢。

おみくじの項目の中に「訴訟」あるいはそれに類似するものがあって、例えば、「勝つ。油断は禁物」とか書いてあります。
玉虫色の記載ゆえ、反対解釈(仕事柄、穿っています)すると、油断したら負けるかもしれない、と突っ込んでしまいたいけど、そこはおみくじ。

次は、近いうち、気の向くまま、六所神社へ行きたいと思っています。
季節柄、あじさいが咲いていたら一石二鳥なのに。

なお、昔は、京の都から官吏が赴任すると、一之宮から1つずつ参拝していた習わしだったところを、各神社を分祀して合祀したのが六所神社。
だから、ここを参拝すれば、全部参拝したことになるとのこと。

移動手段が基本徒歩だったとはいえ、いわゆる省略なわけで、それでよしとしてもよかったのかなという疑問なし、としません。

結局今回も、法律とは無縁のブログになってしまいましたが、一応、「訴訟 勝つ。油断は禁物」についてと、反対解釈については書いたので、それで、よしとして疑問なし、としてほしいところです。

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# by ofuna-law | 2015-06-18 09:00 | 地域の出来事 歴史 研究等
国選弁護の被告人が、虚偽証言をする証人を請求してほしいと希望し、説得に耳を傾けない場合。

虚偽証言をする証人の証人請求などもってのほかと考えて辞任してよいか?

という究極の質問があり、考え方が分かれます。

弁護士は依頼者のためのものだから請求せざるを得ないとの考え方がひとつ。
これに対し、信念に反するから、辞任するとの考え方がひとつ。

以前、私は後者の考え方でした。
が、いまは、前者の考え方。

理想は後者です。

でも、辞任をすると、後任の国選弁護人が同じ問題に直面。なお、辞任せず、証人請求はしないとなると、弁護過誤になります。

結局、信念に反するゆえの辞任を許すと、その後、辞任、辞任という連鎖が生じます。

だから、証人請求はしつつ、できる限り嘘をつけないよう、かわしたり、質問を工夫するなどする。そうして信念との折り合いをつけることになります。

見方により弁護士も悪者側とされることがありますが、むしろ法的にそれが求められる仕事。

そうした立場である上で、様々板挟みの局面があり、あがいていることを知ってほしいなと思います。

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# by ofuna-law | 2015-06-13 08:30 | スタンス
今川義元が題材とされるテレビ番組を見ました。

桶狭間で信長に敗れたために、とかく凡才(あるいは無能)に書かれがちだが、むしろ非凡の戦国大名だったという(推測するに、信長を英雄化するに、義元を無能化して、ギャップ効果を狙ったのではないか。ギャップが大きいほど、信長のすごさが際立つから)。

それのことはほどほどに、あらためて気づき驚いたのは、桶狭間の戦いから関ヶ原の戦いまで40年しか経ってないこと(桶狭間1560年・関ヶ原1600年)。

その間に、信長→秀吉→家康という、覇権の変遷があったわけで。
僅か40年の間に歴史上の合戦や歴史の荒波、激動等のすし詰め・凝縮状況といったら、ものすごかったんだなと。

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# by ofuna-law | 2015-06-02 07:00 | 地域の出来事 歴史 研究等
先日、あまり取り扱わない法分野の研修会に出て、それはそれですごく勉強になりました。

ですが、あまりに自分の取扱業務との重なり合いのなさを感じ、そういった分野の取扱いが少なかった自分の弁護士としてのアイデンティティーを考え直す・悩む機会ともなったです。

弁護士として、アピールできる固有の特色って何なんだろう。
客観的に見ることは、得てして誰でも苦手ではあるとは思うのですが。

以来、自問自答して、公然と言い切れるアイデンティティーを思い、ふと悩んだりもします。

少なくとも、クライアントの力になれて、結果が出て、喜んでもらえることがやりがいであることは絶対価値であることは間違いありません。

分野として、仮にひとつに絞るとするなら、刑事事件かな。

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# by ofuna-law | 2015-06-01 08:00 | プロフィール 
別荘地といえば、今は軽井沢、那須、熱海などが有名でしょうが、明治・大正・昭和初めは、神奈川の海辺が有名な別荘地でした。

(軽井沢に関する余談ですが、軽井沢を別荘地として有名にしたのは外国人です。外国人が気候や環境に着目して開拓。今や日本一ともいえる別荘地になりました。)

神奈川では鎌倉の海辺も、昔、多くの文人の別荘地であったことは有名な話。

ただ、今回は、鎌倉は抜きにして、大磯と鵠沼について書きます。

両者のうち、先に別荘地となったのは、大磯です。神奈川県中郡大磯町。

(またも余談ですが、この中郡には二宮町もあり、大磯町と二宮町はライバル関係です。あたかも、浦和と大宮、前橋と高崎、長野と松本のような構図がぴたりとあてはまります。例えば、大磯町出身の人に、「二宮町出身でしたっけ?」と間違えようものなら、小一時間は説教を受ける事態に陥ります。。。)

大磯に別荘を持っていた有名人では、伊藤博文、島﨑藤村、吉田茂、原敬などそうそうたる面々がいます。

(なお、吉田茂が大磯の別荘へ車で向かうにあたり、戸塚の開かずの踏切のせいで時間がかかりすぎるため、横浜新道の西にバイパスを整備させたという噂があります。余談ばかりですね。)

さて、なぜ、当時、大磯が別荘地になったのか?と思って少々調べた結果、明治~の交通が東海道本線(鉄道)のみということが関係しているようです。

東京から東海道本線に乗車した場合、海に直近するのは、品川の次が大磯が初めての地(ちなみに、「品川→横浜→(戸塚)→大船→藤沢→(辻堂)→茅ヶ崎→平塚→大磯」。現在の電車で1時間強ほどかかりますから、当時はもう少しかかったと思いますが)。

先日、先々本格的に大磯の有名人の別荘地散策をしようと思い、軽く下見しましたが、別荘地らしい風情が残っていました。潮風が心地よく、さながら離島の海辺の町のような感じ。古い家が多いです。道も狭く、それがまた昔ながらの雰囲気を醸し出しています。今後の本格散策が楽しみになります。

さて、一方、鵠沼は、藤沢市鵠沼または鵠沼海岸。江の島のやや西側に位置する海辺です。

藤沢駅からは、江ノ電または小田急線で数駅で到着。
この江ノ電や小田急線は、大磯が別荘地として栄えた頃にはまだ開通していませんでした。
ゆえに、大磯のほうが別荘地としては先で、鵠沼は後になるわけです。

江ノ電または小田急線開通後に、鵠沼は別荘地になり、栄えることとなります。
東には江の島、西には富士山が見えますし、閑静。いまでも海辺には砂防の松林がありますが、そういった風情。
あと、海水浴場があります。海水浴場としては、大磯も勿論適しますが、鵠沼は砂浜が大磯よりも東西に広いように思います。

また、丁度、ここらの海岸では、鵠沼のみ遊泳に適しているという特徴も関係しているかもしれません。
少し東に行ったり、少し西に行ったりするだけで、砂浜から海に入ると急に水深が深くなり、遊泳が危険になります。現在、鵠沼の東と西は、遊泳禁止区域になってますし。

ゆえに、藤沢市の海辺で別荘に適しているのは、鵠沼しかなかったように推察します。
ちなみに、いま鵠沼は別荘地というよりは、閑静な住宅街になっています。

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# by ofuna-law | 2015-05-12 09:00 | 地域の出来事 歴史 研究等
弁護士も人。生きている。
幾多の苦悩、例えば、逆境・ストレス・辛苦・試練等は不可避だ。

当法人名の「プロフェッション」とは、神職・医師・弁護士を指す。
人の三大苦悩を担う職業を意味する。
三大苦悩の対象は、心・体・人間関係。これらのうち、「心の悩みは神職」、「体の悩みは医師」、「人間関係の悩みは弁護士」が担う。

「医者の不養生」という言葉がある。

神職・医師・弁護士、それぞれ心・体・人間関係に悩まないことなどはない。
一見悩んでいないように見えても、表に出していないにすぎない。

むしろ、表に出さない苦悩を抱え、その結果、共感力と問題解決力が醸成され、その結果、仕事にやりがいを見出すという、螺旋回転を繰り返していると思う。
もし悩みがなかったら、そもそも悩みに共感し、解決し、やりがいを感じることはできないのではなかろうか。

マザーテレサは、聖書の言葉を引用し、「神は乗り越えられない試練は与えない」と言った。

いま苦境にある人に、この言葉を話しても、おそらく効果はないだろう。
熱い物を食べて喉がやけどしそうなときに、「のど元過ぎれば熱さ忘れるから我慢」と言うようなものだ。
腑に落ちるとは思えない。

だからといって、いま苦境にある人に、響かないかもしれないけれども、この言葉をいま話す意味はあると思う。後から意味を持ってくると思う。

熱い物がいつかのど元を過ぎて、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」のを実感するように、苦境が過ぎた暁には、「神は乗り越えられない試練は与えない」のを実感すると思う。

そして、実感の瞬間、それが新たなスタートへの力になり、将来もし苦境が来ても、前回乗り越えた経験が必ず生きると思う。

だから、いまは響かなくても、苦境にあるからこそ法律相談にみえる方に、いつも「神は乗り越えられない試練は与えない」という言葉を持ち(口には出さないにしても)向き合っている。

そもそも、相談にみえた時点で、苦境を乗り越える第一歩を踏み出している。あとは、乗り越えて、その後、「神は乗り越えられない試練は与えない」の実感へと道を歩むだけだと思う。
# by ofuna-law | 2015-05-08 09:00 | 反省 回想 雑感

目から鱗の作文技術

1 木下是雄著「理科系の作文技術(中公新書)」

司法試験時代、先輩弁護士から、論文の文章作成の参考になると勧められて読んだ。
目から鱗が落ちる技術が満載。ひたすらまねた。

詳しい内容はもう忘れたが(身にはついているはず)、特に「トピックセンテンス」という技術は忘れられない。
一文のテーマ・その一文で一番言いたいこと、それが、トピックセンテンス。
これを、前へ前へ出す。出せば出すほど、その一文で読み手に「何を伝えたいのか」を先に知らせ、その後何が書かれるのかを予測でき、一読了解に繋がるというものだ。

本のタイトルは「理科系」だが、法律論文にもあてはまり、とても有益な本である。
なお、合格後、司法修習中の教官からも勧められた。それほど、当業界内では有名な本だと思う。

2 今年は色々と「削る」に挑戦しており、ブログの整理整頓や事務所HPリニューアルに取り組み、これらの文章を、できるだけ簡にして要を得るよう推敲している(まだまだ未熟だが)。

そこで参考図書を探して見つけたのが、野内良三著「日本語作文術(中公新書)」。

この本も「トピックセンテンス」の技術など、論文作成術が記載されるが、論文以外の作文技術も厚く、「削る」趣旨に合うものでは、「文節は長い順に並べる」のほか、特に目を引いた技術が「論文は名詞(主語)中心構文、そうでない文章は動詞中心構文で書き、両方を双方向的に書き換えられるようにする」というものだった。
# by ofuna-law | 2015-04-28 08:48 | 仕事術 仕事感
2013.4.15記事のタイトルは「新サービス 大船で火曜日木曜日に夜間常時相談開始」

お客様アンケート等での強い声から、「大船法律事務所にて、火曜日木曜日21時まで夜間法律相談を実施する(ただし、電話受付時間は17:30まで)」という内容の記事でした。

その後、平塚八重咲町法律事務所を開設し、湘南内に3つの事務所(大船・辻堂・平塚)を置きました。

現在、3つの事務所により、全曜日と夜間に対応できる体制です。
平日土日の全曜日、どこかの事務所が開いているうえ、大船で火・木に夜間相談ができます。

お客様にとって、便利で利用しやすい、敷居のない事務所を目指す取り組みです。

夜間は、火曜日木曜日の21時まで大船(駅東口3分。0467-42ー8093)。
土曜日は辻堂(駅東口3分。0466-54-7342)。
日曜日は平塚(駅西口海側3分。0463-79-6014)。

    月 火 水 木 金 土 日
大船  ○ ◎ ○ ◎ ○ 休 休
辻堂  休 ○ ○ ○ ○ ○ 休
平塚  ○ ○ ○ ○ 休 休 ○

◎=21時まで(電話受付17:30まで)

# by ofuna-law | 2015-04-22 10:23 | 事務所案内 
あくまで私見。
元検事として,受験生・合格者・修習生から,検事になりたいと聞かれたときに話すポイントを以下列挙。

1 司法試験と司研の成績がよいこと

司法試験と研修所成績が総合して同期修習生全体の上から3分の1(2008年当時。現在はおそらく上位20~30%以上)に入らないと,厳しいのではないか。
客観的指標として,成績はもっとも重視されると感じる。採用側にとっても,足切りの理由として,説明しやすい。

ただ,原則には常に例外あり。成績が多少悪くても他の固有の要素が抜きん出ていれば検事になれる。
成績は最低条件であるとは考えておくべき。

2 検察官に向いてそうなこと

人には向き不向きがある。検察官にも広い意味で,性格や素養等が検察官向きであることが必要。

ぴんとこないかも知れないが,多数の修習生を1人1人みると,弁護士向き,裁判官向き,検察官向きとか,学者向き,個性が見える。
検察官向きは,集合修習や,実務修習の検察庁における修習ぶり等で,教官・指導官・事務官から,素養等が検察官向きかどうかを見られている。

具体的に何をもって検察官向きかというのは難しいが,例えば,協調性,正義感が強い,熱意がある,真面目(勉強熱心)でひたむきである,前向き,積極性,明るい,負けず嫌い(弱気・消極的ではない),頭でっかちや頭が固くない等々。

組織の中の組織。また,その組織が体育会系ゆえ,体育会系が嫌な人はあまり向いていないと思うし,酒を飲むこと(いわゆるノミニケーション)が多い組織ゆえ,お酒をたしなめるほうが望ましい。

ただ,原則には常に例外あり。文化系の検事や下戸の検事もたくさんいる。

3 その他の要素

修習中,自己紹介のときなどは,検事志望であることをアピールする(アピール下手が多い)。
検察教官,指導検事,指導検事の上司(地方なら次席,大都市は部長)に名前・顔を覚えてもらう。
世辞等小手先だましはしない(すぐ見抜かれる)。
自分の素養が本当に検察向きなのかを,オープンに評価してもらう(本当は向いてないなら他の道がよい)。
実務修習地の検察庁の人(特に事務官)と仲良くする(事務官はよく見ている)。
謙虚な姿勢。
のびしろの大きさ(任検してから育てる組織体質である)。
礼儀。例えば,検察主催の懇親会があったときは,翌日,検事正・次席にお礼に行くか,お礼状を書く。
積極的に検察修習はもちろん他の修習にも取り組む。
自分の大学・法科大学院の検察出身教官にアピールして知己の現役検事を紹介してもらう(必要な素養を知る機会)。
一生涯検事をやり抜く覚悟(途中で辞める前提は絶対無理)。
多数に埋もれない自分ならではの長所がある(人材の多様性を好む組織体質である)。
など。


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# by ofuna-law | 2015-04-17 07:40 | 法律 論点 解釈
離婚の理由にはいろいろあるが,一番多いのが性格の不一致だと思う。不貞(浮気)も多いが。

性格の不一致は,それだけでは裁判で離婚の理由にならない。

離婚の要件として「婚姻継続困難な事由」≒婚姻関係の破綻,が必要。性格の不一致だけでは,これにストレート該当しない。

では,性格の不一致のときに離婚が認められるかというと,ポイントは別居期間にある。

別居していれば,夫婦関係のぎくしゃくが客観的になる。ゆえに,「婚姻継続困難な事由」≒婚姻関係の破綻に該当しやすい。

この別居期間はより長いほうが有利。
ゆえに,特に性格の不一致で離婚したければすぐにでも別居しはじめるのがポイントと思う。

復縁も視野に入れ悩む問題ですが,「離婚したい,離婚したい」と言っているのに,ずるずる同居をしていると,「婚姻継続困難な事由」≒婚姻関係の破綻に該当しにくい。

家庭内別居の場合,家庭内別居であるかどうかが水掛け論になる。
客観的には,別居が一番明確になる。

別居期間については,1年より5年,それ以上に10年,というよう長ければ長いほうが有利。ただ,法的には,同居期間との対比で考える。

例えば,別居期間が1年しかなくとも,同居期間が半年であれば,同居期間より別居期間が長い。例えば,同居期間が5年,別居半年よりは,破綻が認められやすい。
逆に,別居期間が5年あっても,例えば,同居期間が10年あると,別居期間に対比し同居期間が長いので,破綻かは疑問が残るとという考え方がとられる。

# by ofuna-law | 2015-04-16 23:16 | ・男女問題
2008年12月時の記事では,執行猶予判決が取れたという面にスポットを当てていました。

確かに,弁護士の,罪を犯した人の弁護という面からは正鵠を射ています。
しかし,被害者側からすると,違和感があるでしょう。この面を強調すると,むしろ実刑が妥当という方向に流れます。

実態に沿わない判決は出ません。ただ,得てして実態がしっかりと裁判の場に提示できてないことがあります。
もし実態がしっかり提示できていなく,本人に不利に傾いていたら,粛々と,しっかり不利ではない実態を提示するのみだと思います。

・・・2008.12.3 17:45・・・

今日は,苦労して執行猶予判決をもらいました。

初犯ではあるものの,共犯者とわいせつ目的の拉致という重大事案でした。
重大でない通常の事案は,裁判官は1人で審理します。
が,本件は法定合議といって,裁判官が3人=裁判長,右陪席,左陪席で審理されました。

ご家族に,あらかじめ実刑を覚悟するよう言っていました。
ただ,共犯の中で一番消極的であったこと,数分で被害者が車から逃げ幸い実害がなかったこと,雇用先が見つかり雇用主が証人となってくれたこと,本人の反省などが勘案され,実刑を免れました。

執行猶予というのは,3年以下の懲役または禁固のケースで,酌量の余地がある場合に,1年から5年の期間を与えて(執行猶予期間と言います),実刑を免れさせる制度です。
執行猶予期間中に何もなければ,刑の言い渡しはなかったことになります。
もっとも,執行猶予期間中に再び罪を犯すと,執行猶予が取り消され,新たに犯した罪と重ねて長期間刑務所にいかなければならなくなります。

今回,執行猶予期間は4年でした。

前述のとおり執行猶予は1年から5年の範囲で付与されるのですが,通常は,執行猶予は3年がほとんどです。
最長の執行猶予5年だと,実刑すれすれであり,よく「刑務所の塀の上を歩いている」と言われます。

今回4年の執行猶予は,最長の5年ではないものの,実刑に近いことを表しています。

弁護士として,元検事ということで検察の思考手法をそれなりに知っている点が強みであり, 刑事弁護では,この点をアピールしたいと思っています。

元々刑事法が好きということもあって検事になったということを思い返しています。

刑事事件は,被告人(被疑者)の人権擁護VS真実究明(刑罰権の実現)のバランスをどう取るかが究極です。
検事も,それとは対立する刑事弁護人もやりがいがあります。
民事事件=「お金」が請求したりされたりの問題,ではないところが違い,そこはいいと思います。

なお,本件で,犯行が実現し,それにもかかわらずもし仮に執行猶予が出たとしたら,真実究明ひいては被害者保護のバランスが崩れ,本人にとって刑が軽すぎたと思います。

# by ofuna-law | 2015-04-15 21:23 | 事例 経験 実績
湘南藤沢市の江の島の、江島神社の弁才天(弁財天・弁天)は、日本三大弁才天の1つ。

地元では、「カップルで行くと別れる」という噂がある。天女である弁才天が嫉妬するからとのこと(ちなみに、井の頭公園に行くと同様の噂があるが、ここには井の頭弁財天があり、同様の言われであろう。。)。

日本三大弁才天は、次のとおり。

宝厳寺(滋賀県長浜市・竹生島)
大願寺(広島県廿日市・宮島)
江島神社(神奈川県藤沢市・江の島)※江島神社を日本三大にするかは反対説あり。

弁才天は、ヒンドゥー教の聖なる河の神に由来する水の神。

そのため、水のそば(海、湖、河、島)に祭られることが多く、日本三大弁才天も全て該当する(井の頭も。。)。弁天島とか弁天池と名付けられる場所も各地に多い。
このヒンドゥー教の神が、仏教に取り入れられた。神仏習合により神社の祭神としても祀られる。近世になって、七福神の一員として信仰されるようになった。

ご利益は、「河の神様(が河の流れの音の連想で、=音楽)、「弁(=弁舌・学問・知恵・芸道)」「財(=財宝・富・金運・幸福)」というのが覚えやすい。なお、「天」は天女、女神。

ちなみに、鎌倉には銭洗い弁天がある。ここは中でも財運がご利益になっている。

弁天信仰は、奈良時代から始まる。三大弁才天のうち、起源が一番古いのは江の島(ただし、起源に諸説あり。後述)。

日本三大弁才天の場所を確認すると、滋賀、広島、神奈川。
徒歩で詣でることを考えると、バランスよく国内に所在していることが分かる。
各地の弁才天信仰のメッカとして位置づけられ、ゆえに日本三大になったのだと思う。

1 宝厳寺

西国三十三観音霊場の一つでもある。

神亀元年(724年)、民衆から絶大な人気があった「行基」が弁才天を祀ったのが起源とされる。
そして、度々の大火があったが、豊臣秀頼が伽藍を復興し、豊臣秀吉の霊廟(豊国廟)の唐門や伏見城の御殿が移築されるなどした。
この唐門は、国宝。その他、竹島経という美術品も国宝である。

由来と歴史は深い。

2 大願寺
全国に約500ある厳島神社の総本社。世界遺産。日本三景の一つ「安芸の宮島」。平舞台は日本三大舞台の一つ。大鳥居は日本三大鳥居の一つ。建造物や美術工芸品に国宝多数。

三大弁才天のうち最も著名だろう(弁才天としてはさておき)。

弘仁2年(811年)が起源。社格が整備される中で、市杵島姫命(仏教でいう弁才天)が祭られるようになった。
平清盛が社殿を造営し、平家一門の隆盛により栄え、平家の氏神に。平家滅亡後は、源氏をはじめ時の権力者の崇敬を受けた。毛利元就が崇敬して大修復をし、豊臣秀吉も九州遠征の途上で参拝するなどした。

江戸時代には、民衆に厳島詣が流行し、門前町や周囲が大いに賑わう。

3 江島神社

ここの由来と歴史も深い。

文武天皇四年(700年)が起源とされ(より後年という説あり)、以後、多くの名僧が訪れたとされる。日蓮、空海など。
鎌倉時代には、源頼朝が平泉藤原氏との戦いの戦勝祈願に来るなど、戦いの神としての弁才天信仰が広がり、東国武士が多く訪れた。

江の島が日本三大に数えられる理由は、このような歴史・由来のみならず、江戸時代の江ノ島詣が関係していると思う。

江戸は平和なので、戦勝祈願ではなく、学業成就・家内安全・安産等を祈願した。
徳川家康や代々の将軍たちも祈願したが、特に江戸の庶民が詣でた。

当時は、観光旅行という習慣はなく、庶民には、商用・参詣・訴訟など限られた旅しか許されず、信仰という名目をつけた物見遊山として、江ノ島、大山、富士山、成田山、一生に一度の贅沢としての伊勢などへの旅がされた。

江の島は、江戸から2~3日という近さがあり、神奈川県北方にある大山詣(信仰という名目をつけた物見遊山の旅としては大人気であった)とセットにできる。そのため、大いに流行した。

大山詣は、行きは大山街道(現在の国道246号沿い)・帰りは東海道という組み合わせが多かった。
東海道を使うと、途中、藤沢宿がある。
藤沢宿から江ノ島までは「江ノ島道」という江ノ島弁才天への参詣道がある。藤沢宿から江の島までは約1里。江の島へは海岸から小舟で渡った(なお、江の島のみならず、鎌倉見物もセットにされた)。

また、大山の山頂からは、江の島方向が望める。帰りに寄りたいという旅心を誘ったはずである。

単に立地だけでなく、歴史や由来等からも、大山と江ノ島はセットで詣でることがよいとされた。
というのも、大山の祭神は男神。江ノ島の祭神は女神。片方だけのお参りは忌みとされていたからである。

余談・・・「江の島」「江ノ島」「江島」という表記について。

昭和40年代に藤沢市・藤沢市観光協会が「江の島」に統一するよう動いた。
それ以前の史跡や交通機関等では、「江ノ島」「江島」という表記のまま現在に至っている。


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# by ofuna-law | 2015-04-11 13:30 | 地域の出来事 歴史 研究等
俳優・女優は、役に入り込む。

2年前の3月の記事で、「クライアントを自分を置き換えて、その人が弁護士だったら、やるであろうできる限りの手段を講じるようにしたい」と書き、それは役者魂のようなものだとした。

今も昔も、そう思う。

ただ、その場合、経験とキャパシティを考えて、その手段は効果的ではないとか、できない、という選択眼を持つ意識も大事だと思うという記載をしなかったので、追加する。

いくら役者魂のある俳優・女優でも、この役はできないと断るのがよくあるし、同時に何人も役をこなさない。

仕事に集中しすぎると、様々なことに余裕がなくなる自分がいる。
プライベートも重視し、ほどほどに両立することが大切だと思う。

「趣味は読書」といいながら、「最近は読書する暇がない」と弁解していたが、それではいけない。。

弁護士は、お客様が、全員、弁護士に頼まねばならないほど思い悩み、弁護士でも簡単ではない法律問題を抱えている。このご本人のストレスをシェアして、それに手持ちの案件数を乗ずることになるから、辛くないと言えば嘘になる。

弁護士界では、「あくまでも他人事」という考えをしたほうがいいと言われる。

全部それで割り切ることはできないが、頭の片隅でそう思っておく程度が丁度よいのではないか。
自分事として入り込むことは大切で、そのストレスはやはり受け入れ、一方で、プライベートなどで発散して、バランスをとる。

ただ、この仕事を続けているうち、ストレスに耐えられるようになるというか、意識しなくなるというか、昔よりは、ましになったのは、年の功か。

「ストレス発散には運動がいい」といわれながら、「運動をする暇がない」と弁解するのは、それもいけない。。。


# by ofuna-law | 2015-04-09 15:33 | スタンス

車の自動走行化

FUN TO DRIVE
というキャッチは、今は昔か。。

車の自動走行の開発がすすんでいる。

先行しているのは、Google。
日産やアウディ、トヨタなども開発中とのこと。
家電会社なども参入。

事故や逆走がなくなるなどの安全と、運転中にほかのことができるメリットはとてもわかる。

事故のときに、運転席に座る人が法的責任を負う方向で法整備が進んでいるとのこと。

自動スピードに調整されるから、エンジンの善し悪しは関係なくなるように思う。
カーシェアが進んでいるから、タクシーもバスもいらなくなるかもしれない。
全道路が自動走行の時代になったとき(ずっと未来だろうけど)、どこで運転自体の楽しみを味わったらいいのだろうか。

というより、新車に買い換えないと自動走行にならないか。。
エコカー同様(あるいはそれ以上に)、補助金が出ることになるのだろう。。。


# by ofuna-law | 2015-04-08 16:53 | 今の関心事

七夕研究

1 日本三大七夕祭り

「日本三大七夕祭り」は、まず第1と第2は確定していて、仙台・平塚。
第3には、争いがあり、愛知県安城市と愛知県一宮市が、それぞれ主張している。

ただ、近時、安城市は、その主張を「願いごと日本一祭り」に変更した。弱気とも思える一方、日本三大七夕にこだわるよりも、日本一にこだわったのであろう。もっとも、願いごと日本一祭りという主張をしていることそのものが、市民はもとより全国に周知されておらず、現在のところ、その目論見は成功していない。。

第3を、安城説とするか、一宮説にするかについては、一宮説とすべきである。
理由は、上記のとおり、日本三大の主張を変更した安城よりも、安城よりも分が悪かった一宮が、自ら日本三大にこだわりつづける、その心意気を評価すべきこと、また、それに、後述する由来(なぜ、一宮にて七夕祭りが始まったのか)の説得力である。

2 関東三大七夕祭り

「関東三大七夕祭り」というくくりもある。平塚、埼玉県狭山市(入間川)、千葉県茂原市である。

ただ、平塚は、自らは全くこの呼び方を主張しない。
日本三大に数えられる以上、それよりも小さい関東三大というくくりは、平塚にとって不要だからであろう。
平塚の並々ならぬプライドが見て取れる。。

3 歴史

もともと、七夕を祝うようになる風習は、江戸中期とされる(諸説あり)。現在も、家や地域で、笹を立て短冊を飾り願掛けをして祝う。

それが大規模な「祭り」とされたのが、仙台で、江戸中期からのようである。ただ、風習が徐々に大きくなり、祭りとなるのが通常の流れであることからすると、風習が江戸中期からとすると、同時期である江戸中期の仙台の七夕祭りの規模は、小さかったと推測される。

仙台は、その起源を、藩主伊達正宗公が、子女の手芸を上達を願うため、強く七夕を祭ったことに由来するとし、その時期を、江戸初期としている。

正宗公が子女の手芸を上達を願ったことや、正宗公が江戸初期に活躍していたことは正しい史実としても、そのころ(江戸初期)から強く七夕を祭ったというのは、七夕が祝われるようのがそもそも江戸中期だとすると、飛躍が否めない。
むしろ、昭和以降の仙台が、日本一の七夕祭りであるという主張を強く根拠づける後付けの主張とすべきではなかろうか。。

なお、七夕を江戸中期から祝うようになったという起源を裏付ける資料まで当たっていないので、その起源自体が揺らぐならば、江戸初期に仙台が七夕祭りを始めたという事実は、その正当性が強まるので注意が必要である。

さて、なぜ七夕が「子女の手芸の上達を願う」なのかというと、物語上、彦星と織姫が、願う=「願掛け」となり、短冊を書くは、短歌を筆で書くことで、短歌は、学問を意味し、筆で書くは、習字と転じていること。また、織姫の「織り」が、針仕事・機織り・染め織りを意味すること。それゆえ、これらの上達を願う祭りに繋がってくる。もちろん、祭りであるから、豊作豊漁を願い、それに感謝することも含まれてくる。

話を戻すと、仙台の七夕祭りは、江戸中期には始まっていた。そして、その起源は、伊達正宗公にある。

では他方、仙台以外の、平塚・安城・一宮・狭山・茂原での始まりはいつか。

平塚は、昭和25年
安城は、昭和29年
一宮は、昭和31年
狭山は、江戸中期
茂原は、昭和30年

である。
狭山の歴史は、仙台と同じころからであった。
他方、仙台・狭山以外の平塚・安城・一宮・茂原は、戦後である。戦後に開始したのは、いずれも、戦後の復興祭という意味合いが非常に強い。すなわち、地域振興や、周辺地域からの来客を呼び込む意味合いである。

ただ、「戦後の復興祭」は全国各地で行われたのであり、なぜ「七夕」なのかという意味は疑問である。この点に関しては、七夕の上記意味の側面からアプローチしてみる。

織姫の「織り」からは、繊維・紡績へと意味を転化できる。

この点で、まず、平塚には、関東紡績と相模紡績という紡績工場が存在していた。
この点で、七夕との強いつながりを見い出せる。

同じ意味では一宮が該当する。一宮は、昔から繊維・紡績で栄えた。

そもそも、一宮とは、尾張国一宮を意味し、宮とは神社であって、「真清田神社」のこと。
この神社の祭神の、母神が、「萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)」であり、機織りの神。
このことからも、一宮が昔から繊維・紡績で栄えたことが認められる。そして、現在も、繊維・紡績業は行われている。

それゆえの一宮七夕なのである。

なお、上記のとおり、日本三大七夕祭りの第3について、一宮説(安城説を否定)を支持するのは、「織り」と「真清田神社」という説得力を評価したゆえである。

一方、安城と茂原については、現状、七夕の意味からのアプローチは困難であった(なお、安城には、倉敷紡績安城工場という紡績工場があったが。。)。
現時点では、この二つの地で、戦後復興のためになぜ七夕か、という疑問には、「偶々」という答えが相当のようである。。もちろん、学問・習字・針仕事・手習い・豊作豊漁祈願等の意味があり、七夕を祭るという意義は極めて重要である。

4 開催時期・規模

日本三大・関東三大といわれるのは、上記由来や歴史に加えて、規模という要素は欠かせないであろう。

加えて、時期も列記し、それぞれの祭りを比較してみる。
なお、七夕が7月7日であることは公知の事実である。もっとも、日本には、旧暦と新暦がある。旧暦の7月7日は、新暦の7月の下旬から8月上旬とされる(太陽の位置で換算するようで、幅があるらしい)。

仙台 204万人/3日間(日換算68万人) 8月8日ころ 3日間開催
平塚 170万人/3日間(日換算56万人) 7月7日ころ 3日間開催
安城 102万人/3日間(日換算34万人) 8月8日ころ 3日間開催
一宮 130万人/4日間(日換算32万人) 7月下旬ころ 4日間開催
狭山  43万人/2日間(日換算21万人) 8月8日ころ 2日間開催
茂原  84万人/3日間(日換算28万人) 7月下旬ころ 3日間開催

このデータ比較からすると、日本三大七夕の第3について、安城と一宮がしのぎを削っているのがよく分かる。さながら、餃子消費量で宇都宮と浜松が競っているのと同じ構図といえよう。。

ちなみに、平塚のみ新暦を採用している点が耳目に値する。

新暦を採用した場合、伝統性や歴史性から離れるという難点が否めないが、開催開始時の平塚市長は、新暦にすると、「飾りを旧暦開催の七夕祭りの地へ譲渡できる」と話していたという。一見合理的である(ただし、この点については、最期に余談で述べる)。そして、この合理性から推理すると、新暦開催は、旧暦開催の七夕祭りと時期がかぶらず、来客が見込めると考えたのではなかろうか。

5 余談

湘南では、まことしやかに「平塚七夕祭りの飾りが、仙台七夕祭りで再利用されている」と言われている。

このことを、仙台の方々に話すのは危険である。猛烈に否定され、友好が途絶えかねない(実際、そのような体験をしたことがある。人格否定に近かった。。)。

また、仙台同様、旧暦開催の安城・一宮・狭山・茂原の方々に、「平塚の七夕祭りの飾りが再利用されている」と話そうものなら、仙台の方々と同様、断固否定され、友好が途絶えかねない。

それは至極当然である。
地元の祭りなのだから。
飾りは、地元市民や地元企業が、願を掛け、祝金を掛けて、創意工夫し独自の飾りが作られるはずだからである。

平塚七夕祭り開始当時の平塚市長の「譲渡」発言は、一見合理的であったが、実現しなかったと考えられる。

# by ofuna-law | 2015-03-30 12:40 | 地域の出来事 歴史 研究等

平塚の3不思議を語る

1 平塚の河川
  
平塚市には、東側の茅ヶ崎市の境に「相模川」、西側の大磯町の境に「花水川」が流れる。

そのほかに「馬入川」「金目川」という河川も少々知られる河川だろう。

この4つの河川の区別ができていない方が多いのではないか。というか、私が混乱していたので、整理した。

まず、「相模川」と「馬入川」は、同じ川である。相模川の下流域を、特に「馬入川」という。
国道1号線(東海道)の橋で、河口から数えて2番目(なお、1番目は湘南トラスト大橋)が、馬入橋。

この馬入橋以南は、相模川を馬入川と呼ぶといっていい。名前の由来は、建久九年(1198年)の冬、馬入橋架橋時に、頼朝が馬で渡り初めをした際、源頼朝が馬で川に落ちたからと言い伝えられている。ゆえの馬入橋と馬入川。ちなみに、頼朝は、この落水が原因で、病気(肺炎か?)になり、亡くなったという。
なお、そのころの川筋は、現在よりも約一キロメートル手前(東の茅ヶ崎側)の小出川畔を流れていた。関東大震災で旧相模川の橋脚が隆起し判明。この橋脚は国の史跡となっている。

次に、「花水川」と「金目川」は(も)、同じ川である。これらは、北方の秦野市方面から南の相模湾へ流れるが、平塚市内で「渋田川」と合流する。この合流地点の以北が「金目川」、以南が「花水川」だ。

かつては,金目川と渋田川の合流地点から下流も金目川と呼ばれていたらしいが、その下流の桜を,頼朝(ここでも頼朝。。)が桜見にきた。しかし、花を見ずに帰った。ゆえに、花水川となったと言い伝えられている。ここからは推論だが、花を見ずは、花不見(漢文)または花見不になりそうだが、「不」のマイナス印象ゆえ,避けられ,「水」の文字が当て字にされたのではないか。

2 平塚市南部の道路区画と町名の不思議

さて、平塚市の東海道線よりも南側は、碁盤目に東西南北に道路が整備されている。
平塚駅南口から海へと繋がるメインストリート(なぎさプロムナード)は、幅も広く、歩道も整備され、一見の価値がある(駅から徒歩2~3分には、平塚で代々の国会議員、河野邸もある)。

もっとも、その碁盤目に整備された道路に、なぜだか北西から南東へと斜めに入る道路がある。

気をつけないと、碁盤目という前提で、東に向かっているつもりが、その道路が斜めに入る道で、いつの間にか、東ではなく南東へと進んでしまう。

道路の碁盤目整備は、平塚大空襲に関係がある。平塚大空襲により、焼け野原になった南部の新たなまちづくりで、道路が碁盤目に整備された。

にもかかわらず、なぜ斜めに入る道路を入れたかというと、馬入川の河口にある須賀港(現在の平塚港あるいは平塚新港)が存在したからだ。

この港は、江戸時代やそれ以前に、海運で非常に栄えた。海から廻船が集中し、高瀬船で相模川を北上し、厚木や相模原方面へと物資を運んでいたのである(現在の中心街は平塚駅北口付近だが、昔は須賀港付近であった。物資が集まっていたから当然といえる)。

その須賀港に集まる物資は、須賀港から見て、北西に位置する平塚中心地市内(江戸時代、徳川家の直轄領であり、徳川家康が鷹狩りに来て、中原を宿地にしていた。「中原御殿」という。また、東海道の平塚宿があった)に、陸送された。

その陸送道路は、繁栄する須賀港から、中原・平塚宿を直結する重要な道路で、ここが、平塚大空襲後の道路区画整理の際も、しっかりと残されたのである。

平塚市の南側は、町の地名の名付け・読み名が綺麗なのも特徴である。例えば、八重咲町(当法律事務所があるから一番先に書いた。。)、松風町、菫平(すみれだいら)、袖ヶ浜など。

これらの町名は、平塚大空襲により、南側が焼け野原になったことを契機に、復興の趣旨が込められたからだと推測している。

3 湘南ベルマーレの不思議

湘南ベルマーレは、ホームグラウンドが平塚市にある。昔は、ホームタウンも平塚で、チーム名がベルマーレ平塚だった。

全国的に高くはない平塚市の知名度アップのためには、ベルマーレ平塚のままがよかったはず。例えば、鹿嶋アントラーズにせよ、浦和レッズにせよ、限局された市名を冠としているのだから。
中田英寿や岩本輝雄ら日本代表を輩出したクラブという歴史を考えてもだ。

ただ、資金力がなくて、周辺自治体も巻き込み改名したとのこと。仕方ないが、湘南というと、茅ヶ崎、江ノ島、鎌倉あたりが思い出されるから、平塚色が極めて薄まった気がして惜しい。
でも、ホームでの試合日は、市内にサポーターがゾロついていて、盛り上がっている。ホームグラウンドがあるからならではの風景だ。
# by ofuna-law | 2015-03-29 09:42 | 地域の出来事 歴史 研究等
東海道は,江戸初期には未整備だった。ゆえに、家康が江戸入りに用いたのは,東海道ではなかった。
駿府から東へ進み,途中,中原街道(後北条氏が整備。東海道整備後は東海道の脇往還に位置づけられる。中原街道の一部は鎌倉街道でもあったらしい)に入り,江戸入りした。その後も中原街道は駿府への往還に使われた。

1 江戸初期は東海道未整備ゆえ,宿場町の藤沢宿(神奈川県藤沢市)も,まだない。

ただ,そのころ,藤沢御殿という家康・将軍家の宿泊施設があった。
場所は,藤沢公民館と藤沢市民病院の間の辺りとのこと。

近時,藤沢宿復興プロジェクトが進むが,この藤沢御殿も合わせて復興すると,歴史好きの興味を引きそうだ。

2 川崎市中原区には,小杉御殿という,家康・将軍家の宿泊施設があった。武蔵小杉駅の北,新丸子駅の西に位置したとのこと。

ここは,中原街道上の御殿である。
そもそも,川崎市中原区は,この御殿辺りが旧中原村とされ,その中原の地名は,中原街道を由来とする。ゆえに,中原区の地名由来は中原街道である。
綱島が綱島街道を地名由来とするのと同じ形である。

3 中原街道は,中原御殿(神奈川県平塚市中原)という,家康・将軍家の宿泊施設を西方の起点とする。

この地周辺は,当時は天領。家康が鷹狩りを行った場所。中原御殿は,鷹狩りの際の休憩・宿泊に使われた。
中原街道の中原の地名由来は,この中原御殿にある。
とはいえ,鷹狩りが行われる地,その地名が中原。草木が茂る広い広い平原の中に御殿が建てられたのではないか。

中原御殿の門は,いま寺の門となり現存している。周囲は平坦である。

4 平塚でも平塚宿再興プロジェクトが進む。

藤沢と同様、平塚市も,平塚宿と中原御殿を合わせて復興したらどうか,というのは難しい。両者の位置がやや遠く,徒歩で回るのは遠すぎる。

むしろ、中原街道沿いの史跡の復興はどうか。東海道宿場町復興は,他にもありきたりで差別化の困難性があるが,中原街道なら違う。
特に,着目できるのが,下記,田村及び四之宮の渡しという史跡の復興である。

5 中原街道は,基本的に,中原御殿から江戸を一直線に結んでいる。前述のとおり,後北条氏が整備。

東海道よりも,江戸へは一直線。東海道は大名行列に使われ煩雑。
ゆえに,農産物等運搬や旅人の最速ルートとして用いられた。赤穂浪士の江戸入りにも使われたとのこと。

江戸では,現在の国道一号線桜田通り辺りが起点。そのまま平塚御殿へと西へ続く。

平塚に入るために相模川を渡る際は、田村の渡し又は四之宮の渡しが用いられた。
田村は,平塚市田村。四之宮は,平塚市四之宮。相模川の対岸の寒川町(相模国一之宮の寒川神社がある)から渡る。

田村も四之宮も,平塚市中心部(JR平塚駅・東海道平塚宿・平塚八幡宮)からは,かなり北方にある。車を用いないと行くのは困難である。四之宮のさらに北方の田村は、もう厚木市に近い。

両方とも,その周辺のみ栄えている。国道246号線沿いにそれぞれ位置するが,田村と四之宮のように栄える他の場所は見あたらないと思う。

田村に中原街道の「相模川の渡し」があり,四之宮にもあった。また,四之宮は相模国四之宮の前鳥神社の門前町でもあったはず(推測)。そのころの賑わいの名残で今も栄えているのだと思う。

6 中原街道の宿場町は,脇往還ゆえ,東海道ほど整備されていなかったが,「立継場」という荷物等受け渡しを主とする宿場があった。

それらの場所は,小杉(神奈川県川崎市中原区),佐江戸(神奈川県横浜市都筑区),瀬谷(神奈川県横浜市瀬谷区),用田(神奈川県藤沢市)。

中原街道のルートは,現在,江戸時代と多少異なるが、なおも主要地方道として利用されている。
# by ofuna-law | 2015-02-01 10:00 | 地域の出来事 歴史 研究等
大船を湘南に当然入れる前提でいうと、湘南内に本店所在地がある弁護士法人は、弊法人が初。
2012年10月19日設立です。

ちなみに、弊法人は全国で650番目の弁護士法人。神奈川県内に本店所在地がある弁護士法人は25法人(2013年当時)。その後増加しているでしょうが。

アピールのため、大船法律事務所を大船エリア初(平成16年)、辻堂法律事務所を辻堂エリア初(平成24年)の弁護士事務所だと言うことがあります。
が、言ったとて、親しい友人や士業仲間でさえ、「知らなかった」という寂しい反応。。

湘南に本店の初法人ということも、同じでしょう。

アピールの意義の有無はさておき、特徴として大事にしたいと思います。
「初」は、塗り替えられないですし。


# by ofuna-law | 2015-01-21 08:00 | 事務所案内 
平塚八重咲町法律事務所を開設後、平塚市内で多くの発見がありました。そのうち、1つを発表します。

それは、平塚市は、「囲碁のまちひらつか」というまちづくりに取り組んでいること。

そして、これが、いまの弁護士・裁判官・検事(法曹)なら、普通は知っている「木谷(きたに)明」元判事に、綿々と繋がっていること。

将棋の町といえば、山形県天童市。これは、将棋盤を作っていることが根拠。

囲碁の町といえば、平塚市(「囲碁のまちひらつか」)。
なお、他にも、囲碁で、まちづくりをする市あり。これらは、もっと知られていない。

さて、「囲碁のまちひらつか」の発端は、前述の木谷元判事(1937・昭和12-)の御尊父が、木谷實(1909・明治42-1975・昭和51)さんという大棋士なのです。

1 木谷實棋士について

木谷實棋士は、20世紀の棋士の中でも指折りの存在。「囲碁界の父」と呼ばれています。なお、私は、囲碁を知りません。。。

「新布石」という革新的序盤理論を確立したほか、その特徴的な戦法として、「木谷流のドカン」(名前が凄い)というもの、具体的には、先に土地を稼いで相手に大模様を張らせて突入する戦法が有名とのこと。

この木谷實棋士が、昭和12年に平塚市に転入。
そして、この平塚の地に、いまでも跡地には石碑が立つ(平塚市桃浜町)、「木谷道場」を開設。
平塚八重咲町法律事務所からは徒歩2~3分の場所にあります。

2 木谷道場と「囲碁のまちひらつか」について

この「木谷道場」は、全国から囲碁少年を集めて育成する道場として開設されました。
ここからは、多くの大棋士が育ち、昭和後半のタイトル戦線をほぼ独占。孫弟子を含めた一門のプロ棋士は50名以上で、段位合計は500段以上にもなるそうです。

知らないだけで、すごい功績です。

で、この功績を踏まえて、冒頭の「囲碁のまちひらつか」に繋がる訳です。

「囲碁のまちひらつか」は、公益財団法人平塚市まちづくり財団が展開し、平塚市市民センター内に「星のプラザ」というサロンを開き、木谷實棋士の功績紹介や平塚で囲碁のまちづくりを進めています。

例えば、来たる平成26.12.14には「第27回湘南ひらつか子ども囲碁大会」、その他、少し前には「第19回湘南jひらつか囲碁まつり1000面打ち大会」を開催。

第27回とか第19回とか、まちづくりの歴史を感じます。
マンガ「ヒカルの碁」は読んでいるんですが。

3 木谷明元判事について

まず、木谷元判事の簡単にプロフィールを紹介しておきます。

平塚市に転入と同じ年の昭和12年に出生。

平塚学区で1番の公立校「平塚江南高校」入学。
東大を経て、司法試験に合格。1963年(昭和38年)に裁判官任官。

法曹としては、東大から裁判官という、いわゆるエリートです。
裁判官になるのは、当時も今も、司法修習生の中では1番難しいからです。それゆえ、平塚江南高校の大法曹です。OB会はそのことを知っているのでしょうか。

木谷先生は、ご著書の「刑事事実認定の基本問題」という本が、司法試験合格後近々に、誰もが読むような基本書です。
表題に「刑事」とあるように、刑事弁護、刑事裁判、検察実務への影響はとても大きいです。

4 小括

以上で、「囲碁のまちひらつか」→「木谷道場」→「木谷明元判事」という、つながりをご理解いただけましたでしょうか。

5 その他

木谷元判事は、2000年(平成14年)に東京高裁部総括判事として退官され、公証人・法科大学院教授を経て、現在は東京で弁護士をされています。

裁判官経歴は、浦和地裁刑事部部総括、最高裁調査官(注:最高裁調査官は陰で最高裁を支える役職)、数か所の地裁の所長などを歴任されてます。

裁判官は、任官後、大きな岐路として、民事裁判官へ進むのと刑事裁判官へ進むのとがありますが、木谷先生は、刑事裁判官。

後々、「人権派の裁判官」と呼ばれるようになり、99.9%の有罪確率の現実の中、約30件の無罪判決を「確定」(地裁で無罪判決を出しても、高裁では有罪になることがほとんどなので、無罪で確定は0.01%なので驚きの数字になります)させています。

他にもご著書は多く、「刑事事件の心-事実認定適正化の方策」は、映画「それでもボクはやっていない」の周防正行監督が、参考にした本として有名です。

以上ですが、今後も、平塚ネタをご紹介したいと思います。気になっているのが、「鳥仲商店」「しまむら」「平塚水天宮」です。
# by ofuna-law | 2014-12-01 10:00 | 地域の出来事 歴史 研究等
平塚八重咲町法律事務所営業日を変更し、「金土祝休み」「日曜日~木曜日営業」といたします。
よろしくお願いします。
# by ofuna-law | 2014-11-28 14:50 | これまでの事務所運営

交通事故 経済的全損

少し形式の古い車が事故に遭って,損害が生じた場合で,修理費が140万円かかる,しかし,同程度の車を購入したら,80万円ですむ,というような場合,損害はどちらでしょうか。

被害者の立場に立ってみたら,これまで乗っていた車には愛着等がありますし,修理して乗りたいという気持ちから,修理費の140万円を損害として請求したいところでしょう。

しかし,法律的には,この場合を「経済的全損」と言って,経済的に見ると修理できないものと考えて,安いほうの,同程度の車を購入した額である80万円を損害と考えます。

損害賠償の趣旨の一つに,損害の公平な分担というものがあります。被害者は常に加害者にもなる可能性もあり,加害者は常に被害者にもなる可能性もあるから,損害は両者公平に分担するという考え方です。これを敷衍すると,社会通念上相当な損害を賠償するということになります。

経済的全損の場合,社会通念上相当な損害というのが,高い修理費ではなく,安い購入費になるのです。

納得できない!という気持ちは分かりますが,法的には認められない主張なので,弁護が難しいです。
# by ofuna-law | 2014-10-10 08:30 | ・交通事故
ふと興味がわいて、大船藤沢辻堂平塚の地名の由来について調べてみた。ただし、ネットでなので原典にはあたっていない。

結論的に、一貫した共通点が見えてきた。

つまり、これらは全て湘南地域にあるが、地形的には、海(相模湾)に面した土地であり、そのことが、地名由来に大きく関わっているということだ。

それは、遥か昔の湘南の海岸線が、いまよりもずっと山よりで、湘南の東西を走る東海道線の南手前くらいまでは、海岸線だった(正確な地理は調べておらず、多くのネット記事を読む限りイメージ)ということとも関係する。

海岸線が山よりであったため、砂浜、砂丘のほか、海へと水が流れていく川、その周囲の湿原、湿地、沢など、この地域は、水地帯といえるような土地であったようだ。

まず、大船の由来。

ここは、まさに昔は、湿地帯の中に、丘が点在する土地であった。

それは、大きな船が入れるほどのものだったとのこと。そう、この大きな船から「大船」となった。それに似た説が、粟を積んだ船が出入りし、そこから「粟船」となり、それが「大船」に転じたというもの。ちなみに、大船の鎌倉よりに常楽寺というお寺があるが、その山号を粟船山という。

これらの説は、やはり、この地域が海岸から近い水地帯であったことを示す。

なお、丘も多かったことに着目し、その丘の形状が船に見えたとして、大船という説もある。
また、あくまでも私見であるが、「大船に乗ったつもり」という言葉があるように、大船は縁起のいい言葉であり、地名として相応しかったのではないか。

余談だが、大船には、屋号などに「田園」の表記が非常に多い。大船事務所の1階は田園印刷所だ。では、なぜ田園なのか。この点、大船には田園という住居表示はない。

田園の由来だが、昔、まちづくり策として、世田谷の田園調布を目指した「大船田園調布計画」というのがあったということから来ている。実現はしなかった。ただ、田園という表記は多く残ったと。
この計画が実現していたら、どうなっていたかを想像するだけでも、楽しい。そして、残念である。

次に藤沢。

藤の木が多かったという説がまことしやかにいわれるが、これは最近になって言われるようになった俗説。由来とは関係ないといわれる。

また、藤沢姓の有力武士の館があったことから、藤沢となったともいわれる。しかし、その有力武士が館を建てたときには、もうすでに藤沢という地名があり、その武士は土地名を名乗ったもの。由来とは言い難い。

最も妥当とされるのが、「淵沢」が転じて「藤沢」となったという説。

すなわち、やはり藤沢も水地帯であり、淵や沢が多い土地で、そのために、淵沢と呼ばれるようになった。これが、藤沢となったと。
訛り言葉として変化したか、あるいは、淵よりは藤のほうが、地名としては相応しいとされたのではないか。

ちなみに、藤沢駅北口のマックやセンチュリー21、てるるという携帯ショップ、ファミマがあるあたりは、字を横須賀という。

この須賀とは、詳しくは後述するが、神奈川では、横須賀と同じだ。

もともと「スカ」とは、海に沿った高地、砂丘、砂地という意味。横須賀は、横に砂丘や海岸がある土地という意味といわれる。

そうすると、藤沢駅北口直近に、「字横須賀」という地名があるのは、昔は、ここが海岸線に近く、砂浜、砂丘があり、その上に集落があったと考えて自然だ。

次に辻堂。

辻堂もやはり水地帯であった。たとえば、浜見山は、昔は砂丘。浜が砂丘の上から広く見通せたという。
柳島は本当に島だった。後に陸地化した。
その他、南湖なども水に関連する。おそらくではあるが、湖の南の土地、逆に、湖が南にある土地というのが由来であろう。

そもそも、辻堂は、もともと八松ヶ原と呼ばれていた。砂浜に八本の松があったことからきているらしい。
八松ヶ原という地名も、このように、海が関係している。

それが辻堂と呼ばれるようになったのだが、この名はだいぶ水関連からはずれる。ちょっと残念。

辻堂の由来は、漢字を見ると推理できる。
「辻」と「堂」。
現在はもう僅かしか遺稿が残っていないが、辻堂には、鎌倉街道の十字路があった。十字路とは辻。そして、その十字路にお寺があった。お寺とは堂。

ちなみに、問題は、その場所。
辻堂には現在3つの寺がある(昔はもう1つあったとのこと)。
それぞれが、我こそが「堂だ」と主張している。
この中でも、地域では「南の寺」と呼ばれる宝泉寺が、その堂であろう。

それは、鎌倉街道が直近を走っていた点だ。これは動かしがたい事実。
また、地元ではこの宝泉寺を中心とした東西南北が、それぞれ東町、西町、南町、北町といわれている点。

あと、これは、あくまでも私見であるが、前述のように、辻堂と呼ばれる前は、この地域は八松ヶ原と呼ばれていたという点。この八松という地名は、いまの住居表示には知る限りでは見当たらない。ただ、一番に思い当たる八松という表記として、八松小学校がある。
この八松小学校が、宝泉寺のすぐそばだ。

結局のところ、辻堂は、この宝泉寺を中心として発展していた地域と考えるのが妥当だろう。

最後に平塚。

これも諸説が割れているが、砂浜、砂丘、水、海に関連した地名という共通点が見いだせるという私見からすると、次の説が最も説得的といえる。

前述のとおり、「スカ」とは、海に沿った高地、砂丘、砂地などの意味がある。

そして、平塚には、馬入川の河口に、須賀港という港がある。いまでこそ、海釣りの地としての知名度くらいであるが、江戸時代は、ここが水運の地としてものすごく栄えていた。
むしろ、平塚の中心が須賀港であったといってよかった。

全国の回船が須賀港に集まり、馬入川を遡って、厚木や相模原の方へと物資を運んでいた。

この須賀港自体、いまでも須賀=「スカ」と呼ばれ続けている。まさに海沿いであり、砂浜がある土地にほかならない。

そして、平塚の「塚」は、この「スカ」が「ツカ」に変化したのではないかという考えが有力だ。
昔の人がスカをツカと訛っても、不思議ではない。

では、平塚の「平」とは?
地名としての「ヒラ」は、斜面を表す。すなわち、平は、丘ということ。
この丘は、これも私見であるが、普通の土の丘ではなく、砂丘を意味すると思う。

それは、いま、平塚の南側は、坂も丘もない真っ平らな地域。

もし、ヒラが土の丘であったなら、時代とともに、簡単に平らになるだろうか。
一方で、もし、砂丘であったなら、時代とともに、平らになりやすい。

前述の辻堂の「浜見山」も、海が見渡せた砂丘であったとされるが、いまは砂丘は影も形もない平地だ。

よって、「ヒラツカ」という呼び方そのものも平塚の地形、すなわち、砂浜、砂丘、ひいては、海を由来しているといえよう。
# by ofuna-law | 2014-09-21 11:00 | 地域の出来事 歴史 研究等

有隣堂

藤沢で、最も有名な本屋は、有隣堂だと思います。

物心がついた昭和50年代後半には、藤沢駅南口の名店ビルに、既に入っていました。

小学生のときは、有隣堂に本を買いに行くことは、電車での遠足でした。

地元「六会」という生活圏から出て、藤沢駅までは小田急線で10分。
子どもには、藤沢は大都市。かつ、有隣堂には、膨大な蔵書があり、未知の知識の宝庫。

有隣堂は、横浜の伊勢佐木町に本店があり、神奈川・東京に一大チェーンを築く本屋。神奈川の地元企業です。

本屋だけでなく、文具店、CDショップ、音楽教室も、業務としています。

昔は、「有隣堂パーラー」というものもやっていたそうです。念のため、「資生堂パーラー」ではありません。

さて、有隣堂の「有隣」の由来は、ご存知でしょうか?

これまで、その由来など、考えたことありませんでした。

ところが、たまたま論語に関係する本を読んでいたところ、「有隣」についての記述があり、そこで初めて、有隣の意味かを知りました。

それは、「徳不孤 必有隣」という一文です。「徳は弧ならず必ず隣あり」と読みます。

徳のある人は、孤独ではない、その徳には必ず人が集まってくる、常に理解してくれる隣人がいるという意味です。

その意味を推し進めると、徳があれば孤独になることはない、だから、徳を養いなさい、徳を持つようにしなさい、という意味があると思います。

だから、かなりの推量がありますが、有隣堂は、本こそが徳を養うものであり、徳を持ち、徳を養おうとする人が集う本屋になりたいという気持ちで、屋号をつけたに違いないと思います。

というような由来を、先日、藤沢の友達との酒席で話題にしたところ、なるほどー、といった反応があるはず、という予想に反し、「何それ、おかしくない?」という反応が。

どうも「徳」を「得」と勘違いしたようで。

当然、「得は弧ならず、必ず隣あり」では、意味が全く変わってしまいます。それも、悪い意味に。

得なことには孤独はなく、人が集まってくる(群がってくる)。それが有隣堂の名前の由来のはずありません。

あくまでも「徳」です。
# by ofuna-law | 2014-08-01 03:18 | コラム
明治大学の校友会(OB・OG会)。

藤沢支部にも所属しつつ,平塚事務所開設を機に平塚支部にも顔を出すようになりました。
100人規模の藤沢支部に比べ,平塚支部はその半分くらいの規模で,アットホーム。

まずは先輩方のお名前と顔を覚えることから。

同世代や後輩世代は,若干しかいません。
40歳くらい年が上の大先輩が多く,教わることばかりです。

# by ofuna-law | 2014-07-26 13:07 | 人脈 友人知人
本日、平塚八重咲町法律事務所が開業しました。

ちなみに、場所等は
平塚市八重咲町18-25寺本ビル3階
電話0463-79-6014
です。

本日午前中は、8時に事務所に出て、荷物の整理やらをしました。
その後、パソコンのネットワークを組む業者さんが来たり、ビジネスフォンの業者さんが来たり、バタバタしていました。

平塚八重咲町事務所の特色は

「日曜日終日営業」・金土祝定休(営業時間9:00~17:30)
です。
※当初、「土曜日及び日曜日終日営業」・火水祝定休(営業時間9:00-17:30)としていましたが、変更いたしました。

今回、しっかりと地元平塚に密着し、また、新支店を着実に軌道に乗せたいと考え、私が、辻堂法律事務所から平塚八重咲町法律事務所に移ります。

今後とも、よろしくお願いします。

平塚八重咲町法律事務所
〒254-0811
平塚市八重咲町18-25寺本ビル3階
電話0463-79-6014
FAX0463-79-6714
# by ofuna-law | 2014-06-19 13:00 | これまでの事務所運営
神奈川・横浜には、地裁地検弁護士会に、「湘南支部」がない。
それはなぜか。

要は

支部に興味がない、さしたるメリットを感じない。
支部のしがらみに縛られたくない。

だと思う。

そもそも、神奈川(横浜弁護士会)には、弁護士が1430人いる。

管轄は、関内の本庁のほか、川崎支部(194人)県西支部(111人)、横須賀支部(42人)、相模原支部(71人)がある(括弧内は、所属弁護士数)。

そもそも、「湘南の範囲とは?」に関しては、論争があるが、ここでは、鎌倉、藤沢、茅ヶ崎、寒川町、平塚とすることにする。

このうち、鎌倉~寒川町までは、本庁管内に、一方、平塚は、県西支部管内に、それぞれ属する。

これら湘南地域には、簡易裁判所はある。
鎌倉簡裁、藤沢簡裁、平塚簡裁である。
しかし、地家裁はない。

最近驚いたのは、横須賀支部(横須賀、逗子、葉山その他三浦半島の自治体を管轄)の弁護士人数が、前記のとおり、42人ということ。

湘南は、支部はないが、弁護士数は

鎌倉19人、藤沢42人、茅ヶ崎7人、寒川町1人、平塚市19人。合計88人。

つまり、湘南には、横須賀支部の倍以上の弁護士がいる。相模原支部の弁護士数も上回る。

湘南の弁護士数は、横須賀、相模原よりも多く、一大勢力なのである。

地家裁の建物を建てるとしたら、辻堂のCX地域や、藤沢簡裁の敷地など、広い土地はある。
ゆえに、規模、弁護士数、インフラ等には、何ら問題はない。

ちなみに、ここで、エピソードを1つ。

神奈川県で最後にできた支部は、相模原支部。ここは、住民運動で実現した。
相模原市は、政令指定都市化に関しても住民運動で実現。

地域柄、住みやすさ、知名度、地元のブランド力などの向上へのこだわりが強いと思う。

もちろん湘南人の地元への愛着は半端ない。湘南に住むことに誇りを持ち、満足している。自由を満喫している人が多い。

その真意は

好きな人が自由に住んで、自分達が自由に楽しく暮らせれば、それでいいじゃないという、自己満足度と地域肯定感が高いという点ではないか。

また、あまり住民運動など、目立つこと、堅苦しいことは好きではない。

というものだと思う。

それゆえ、要は、私は

市民や弁護士が湘南に支部を作る意味やメリットはなく、興味もないから、支部がない。

のだと思う。

ただし、藤沢簡裁に「家庭裁判所の出張所」は併設してほしいと思う。このような声は多い。

家事事件は数が多く、関内の本庁まで、弁護士のみならず、依頼者もが行かなければならない。
これは、ことのほか不便だからだ。

なお、地裁は、基本的に弁護士だけ行けばよいから、依頼者には不便ではない。
そんなわけで、地裁湘南支部は、このまま不要でいいと思う。
# by ofuna-law | 2014-05-31 06:54 | コラム
JALの雑誌を見ていたら福岡市のランドマークという「旧日本生命九州支店」の大きな写真が。
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これを見て、すぐ、横浜地裁の隣の通称「ジャック」こと、横浜開港記念会館を思い出しました。
横浜地裁は、仕事柄、一番行く裁判所。その敷地内には、横浜弁護士会館も、横浜地方検察庁もある。その隣(正確にはその三軒の道を挟んで向かい)に、この横浜開港記念会館は佇立しています。
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調べてみると、「赤煉瓦に白い花崗岩の化粧帯を走らせ、大きなドームを王冠のように載せる」という、この建築様式を、「辰野式建築」と呼ばれるそうです。

辰野とは、辰野金吾という建築家。辰野は、工部大学校(現東京大学工学部)第1期生の首席で、ジョサイア・コンドルに師事したという、その道では著名な建築家ということです(知らなかった)。

辰野式建築の中で、これまで私が既に観光していたものも見つかりました。

まずは、岩手銀行旧本店本館です。
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また、東京駅があります。
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さらに、ここは行ったことがないですが、大阪市中央公会堂も、辰野式建築の代表とのことです。
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辰野式建築は、辰野だけでなく、その弟子たちによって全国に広められました。

さて、以上の中で、1つだけ、辰野の作ではなく、その弟子の作品があります。それはどれでしょうか?(笑)

それが、まさに「横浜開港記念会館」です(笑)。
辰野の弟子である福田重義が設計しました。
他にはない高い時計搭があり、他と比べて非常にシャープな印象です。辰野の作は、どちらかというと、どしんと大きくて重い印象で、なんとなくですが、素人なりに違いを感じます。

辰野式の特徴である「大きなドームを王冠のように載せ」ている上、近くに神奈川県庁という、県の長がおり、ここの通称が「キング」ということから、横浜開港記念会館は、「ジャック」と呼ばれるのかな。

そう想像しました。
# by ofuna-law | 2014-03-02 14:04 | 地域の出来事 歴史 研究等
↓こちらが藤沢市ダブル成人式(FJS48)公式ホームページです。ぜひクリックしてください↓
藤沢市ダブル成人式(FJS48)公式ページ
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ダブル成人式は、去年藤沢市で全国初開催されたとのこと。20歳×2=40歳とのことで、ダブル成人式。

要は、沢山の人に来てほしいので、よろしくお願いいたします(ここは本気)。

申込みは以下のリンクから。
藤沢市ダブル成人式申込フォームhttp://fujisawa048.tumblr.com/applicationform
# by ofuna-law | 2014-02-16 14:21 | 地域の出来事 歴史 研究等
1 2007.8記事

私ども大船法律事務所は,神奈川県鎌倉市内,JR大船駅徒歩3分のところにあります。

観音様と逆側,大船駅東口の駅前通りを藤沢方面に進んで頂くと,タイムズパーキングがあるので,その隣の白いビルの中にあり,1階は床屋さんと印刷屋さんが入っています。
ビルの名前は中田ビルと言い,その3階が大船法律事務所です。

取扱業務は広く法律問題一般です。
弁護士の場合,依頼に応じて対応していきますので,タイミングにより主力業務が変わってきます。
最近の主力業務は
1 債務整理,自己破産,個人再生
2 交通事故
3 損害賠償(傷害事件,不貞問題,名誉毀損,慰謝料請求等)
4 民事(債権回収,不動産関係等)
5 家事(離婚,相続,遺言,成年後見等)
6 刑事(国選・私選弁護,少年事件)
となっています。

専門的に勉強しているのは,建築紛争,医療過誤,行政訴訟,租税訴訟です。

顧問契約をして頂ける企業様,個人事業主様も随時募集しています。
顧問契約では,日常的な法律相談は顧問料に含まれ,他の業務にできる限り優先して顧問先の仕事をやることになります。

大船駅は,東海道線,横須賀線,根岸線(京浜東北線),湘南モノレールが通っているターミナル駅なので,お客様は色々なところから来て頂いています。
地元の鎌倉,藤沢,逗子ほか茅ヶ崎,平塚,葉山などの湘南地域を中心に,横浜市,横浜市の中でも特に西部(栄区,戸塚区,港南区,磯子区),小田原市,横須賀市などを広くカバーしています。

お客様は,弁護士や税理士,司法書士仲間や友人,知人等から紹介されたお客様だけでなく,インターネットやタウンページを見て,いわゆる飛び込みで電話して頂くお客様が大半です。飛び込みで全く問題ありません。まずは法律相談を受けて頂き,正式に依頼されて受任となります。法律相談は,電話予約制です。

身近な法律相談幅広くお受けします。
悩まずに弁護士にご相談ください。
お客様窓口 電話0467-42-8093 お気軽にお問い合わせください。

2 2012.10記事

5年前の自分の文章を見て「若いなあ」と感じる自分に恥じ入っています笑が、原文はそのままで、当時の雰囲気や状況を踏まえながら、更新します。

ア 原文の「依頼に応じて対応」「主力業務」のところ

依頼は、想像以上に多種多様。
これを「人の人生」にという視点から書き直してみます。

まず、人は生まれます。生まれるには、親がいます。
親子関係、親同士、親戚同士の問題、身内の問題は数えきれません。
いわゆる身内の恥、といって知り合いなどには決して話したくない、あらゆる問題。

次に、人は成長していけば、また問題が生じえます。
学校生活の問題、例えば、いじめ。進学の問題、例えば、進学失敗による挫折が絡む暴力。
就職、職場の問題、セクハラ、最近多いのが、パワーハラスメント。それに、解雇の問題。これは、人生を左右する大きな問題です。
生活していれば、借金もします。最初は、遊びでしていたギャンブルに依存して生じた問題。
犯罪を起こしてしまったり、その犯罪の被害者となったり。犯罪は、刑事事件や損害賠償事件となります。

人生の転機といえば、結婚と言えましょう。出会いを求める場面では、出会い系サイトの被害。婚活をめぐる問題。婚活相手がストーカーとなったりもします。
そして、晴れて結婚。まれですが、結婚式でプロカメラマンがデータを全部消してしまったという事案もありました。結婚すれば、浮気、不倫もありえます。
そして、離婚の可能性もあります。統計上、結婚したカップルの4分の1が離婚。離婚時には、それこそ色々な問題が生じます。

ある人は、仕事面で、起業したり、組織内で経営者や経営陣となることもあります。商法、手形、保証。つい先ごろは、コンプライアンスという問題もありました。企業間同士の契約上のトラブル、組織運営上のトラブル、取引上のトラブルは本当に多いものです。債権回収問題、倒産もありえます。消費者問題もあるでしょう。

そして、人は少しずつ死に近づきます。病気なども生じます。認知症のご老人の財産管理はどうされますか。成年後見事件となります。自分の財産はどうなるのでしょう。相続です。自分の財産を授けたい人がいれば、遺言を作成します。みな法律問題です。

このような相談や依頼を、当事務所はお引き受けしています。

「主力業務」といっても難しいのですが、キーワードは、「お金関係、男女問題、交通事故、犯罪、病気」と言えます。

イ 原文の「専門的に勉強」のところ

「専門的に勉強」の点は、一つとして同じ事案はないという意味で、日々の業務の中が専門的な勉強です。

特に専門的分野といえば、やはり、建築トラブル、医療過誤です。

租税、税務は、5年前は興味がありました。
しかし、東京にほぼそれのみ扱う専門弁護士がいますから、当事務所には、まず依頼はありません。

ウ 原文の「顧問契約」

顧問契約については、これからもっと力を入れていきたいと思っています。
弁護士として「価値にみあった」どんなサービスができるかについて、試行錯誤しています。
新しくするべきものは、早く新しく変えて、正しくしていかなければならないと思っています。

エ 原文の「お客様は色々なところから来て頂いています」

大船というと、大船駅を使う人しかいないのではないかと思われるかもしれません。

でも、実は、1~2駅離れた、藤沢、戸塚、茅ケ崎、平塚、逗子の方が、一番多い層です。面積と人口に比例していたりするのですが、現代では、そのくらいが「身近か」なのだと思います。

余談ですが、元検事としての肩書や口コミなどを参考にして、遠くから来ていただけるお客様もいらっしゃいます。

オ 原文の「飛び込み」「まずは法律相談を受けて頂き,正式に依頼されて受任となります。法律相談は,電話予約制です」

その通りなのですが、「飛び込み」というのは、ちょっと表現がきついですね。「まったくの新規のお客様」と訂正します。
5年前に比較し、紹介のお客様は飛躍的に増加しましたが、ネットの影響力も年々飛躍的に上がっており、「選んで」いただくことは非常に多いです。

3 2014.1記事

2012.10に法人化し,2013.1に従たる事務所の辻堂法律事務所を開設しました。

現在,業務は,4分の1ずつに分けると説明しやすいです。すなわち,業務を4分したら,

1つは,交通事故
1つは,離婚等男女問題
1つは,相続
1つは,その他色々(クレサラ,不動産,契約,建築,労働,医療過誤,私選弁護)

というようになります。

以前は多かったクレサラ・過払い金請求は,殆ど減りました。
弁護士特約の隆盛により,交通事故事件の依頼は,安定的に増加しています。
また,離婚等男女問題は,昔からコンスタントにあります。
相続は,高齢化社会の影響もあり,漸増していると思います。

大船と辻堂では,一駅挟んだだけの距離ですが,お客様の平均年齢層が違ったり,違う地域性が見えるのが,事務所をもう一つ設けて初めて分かりました。

# by ofuna-law | 2014-01-20 16:00 | 取扱業務
古代ギリシャには「愛」を示す言葉が3つあった。

アガペー 無償の愛
エロス 純愛
フィリア 友愛や同胞愛

弁護士とお客様は、お互いにフィリアの関係であるべきだと思う。

当事務所は、お客様が弁護士だったら、どうしたいかを考える事務所でありたいというスタンス。

それは、フィリア、すなわち、自分と同じように他人を愛するということだと思います。
# by ofuna-law | 2013-12-22 19:13 | 今の関心事

湘南に3つ ~大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町~ の法律事務所を置く「弁護士法人プロフェッション」の弁護士某が仕事や出来事や趣味などを時々弁ずるブログ


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