大船法律事務所 辻堂法律事務所 平塚八重咲町法律事務所 某辯護士の「弁」

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湘南に3つ ~大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町~ の法律事務所を置く「弁護士法人プロフェッション」の弁護士某が仕事や出来事や趣味などを時々弁ずるブログ

カテゴリ:地域の出来事 歴史 研究等( 29 )

今川義元が題材とされるテレビ番組を見ました。

桶狭間で信長に敗れたために、とかく凡才(あるいは無能)に書かれがちだが、むしろ非凡の戦国大名だったという(推測するに、信長を英雄化するに、義元を無能化して、ギャップ効果を狙ったのではないか。ギャップが大きいほど、信長のすごさが際立つから)。

それのことはほどほどに、あらためて気づき驚いたのは、桶狭間の戦いから関ヶ原の戦いまで40年しか経ってないこと(桶狭間1560年・関ヶ原1600年)。

その間に、信長→秀吉→家康という、覇権の変遷があったわけで。
僅か40年の間に歴史上の合戦や歴史の荒波、激動等のすし詰め・凝縮状況といったら、ものすごかったんだなと。

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by ofuna-law | 2014-02-02 07:00 | 地域の出来事 歴史 研究等
湘南藤沢市の江の島の、江島神社の弁才天(弁財天・弁天)は、日本三大弁才天の1つ。

地元では、「カップルで行くと別れる」という噂がある。天女である弁才天が嫉妬するからとのこと(ちなみに、井の頭公園に行くと同様の噂があるが、ここには井の頭弁財天があり、同様の言われであろう。。)。

日本三大弁才天は、次のとおり。

宝厳寺(滋賀県長浜市・竹生島)
大願寺(広島県廿日市・宮島)
江島神社(神奈川県藤沢市・江の島)※江島神社を日本三大にするかは反対説あり。

弁才天は、ヒンドゥー教の聖なる河の神に由来する水の神。

そのため、水のそば(海、湖、河、島)に祭られることが多く、日本三大弁才天も全て該当する(井の頭も。。)。弁天島とか弁天池と名付けられる場所も各地に多い。
このヒンドゥー教の神が、仏教に取り入れられた。神仏習合により神社の祭神としても祀られる。近世になって、七福神の一員として信仰されるようになった。

ご利益は、「河の神様(が河の流れの音の連想で、=音楽)、「弁(=弁舌・学問・知恵・芸道)」「財(=財宝・富・金運・幸福)」というのが覚えやすい。なお、「天」は天女、女神。

ちなみに、鎌倉には銭洗い弁天がある。ここは中でも財運がご利益になっている。

弁天信仰は、奈良時代から始まる。三大弁才天のうち、起源が一番古いのは江の島(ただし、起源に諸説あり。後述)。

日本三大弁才天の場所を確認すると、滋賀、広島、神奈川。
徒歩で詣でることを考えると、バランスよく国内に所在していることが分かる。
各地の弁才天信仰のメッカとして位置づけられ、ゆえに日本三大になったのだと思う。

1 宝厳寺

西国三十三観音霊場の一つでもある。

神亀元年(724年)、民衆から絶大な人気があった「行基」が弁才天を祀ったのが起源とされる。
そして、度々の大火があったが、豊臣秀頼が伽藍を復興し、豊臣秀吉の霊廟(豊国廟)の唐門や伏見城の御殿が移築されるなどした。
この唐門は、国宝。その他、竹島経という美術品も国宝である。

由来と歴史は深い。

2 大願寺
全国に約500ある厳島神社の総本社。世界遺産。日本三景の一つ「安芸の宮島」。平舞台は日本三大舞台の一つ。大鳥居は日本三大鳥居の一つ。建造物や美術工芸品に国宝多数。

三大弁才天のうち最も著名だろう(弁才天としてはさておき)。

弘仁2年(811年)が起源。社格が整備される中で、市杵島姫命(仏教でいう弁才天)が祭られるようになった。
平清盛が社殿を造営し、平家一門の隆盛により栄え、平家の氏神に。平家滅亡後は、源氏をはじめ時の権力者の崇敬を受けた。毛利元就が崇敬して大修復をし、豊臣秀吉も九州遠征の途上で参拝するなどした。

江戸時代には、民衆に厳島詣が流行し、門前町や周囲が大いに賑わう。

3 江島神社

ここの由来と歴史も深い。

文武天皇四年(700年)が起源とされ(より後年という説あり)、以後、多くの名僧が訪れたとされる。日蓮、空海など。
鎌倉時代には、源頼朝が平泉藤原氏との戦いの戦勝祈願に来るなど、戦いの神としての弁才天信仰が広がり、東国武士が多く訪れた。

江の島が日本三大に数えられる理由は、このような歴史・由来のみならず、江戸時代の江ノ島詣が関係していると思う。

江戸は平和なので、戦勝祈願ではなく、学業成就・家内安全・安産等を祈願した。
徳川家康や代々の将軍たちも祈願したが、特に江戸の庶民が詣でた。

当時は、観光旅行という習慣はなく、庶民には、商用・参詣・訴訟など限られた旅しか許されず、信仰という名目をつけた物見遊山として、江ノ島、大山、富士山、成田山、一生に一度の贅沢としての伊勢などへの旅がされた。

江の島は、江戸から2~3日という近さがあり、神奈川県北方にある大山詣(信仰という名目をつけた物見遊山の旅としては大人気であった)とセットにできる。そのため、大いに流行した。

大山詣は、行きは大山街道(現在の国道246号沿い)・帰りは東海道という組み合わせが多かった。
東海道を使うと、途中、藤沢宿がある。
藤沢宿から江ノ島までは「江ノ島道」という江ノ島弁才天への参詣道がある。藤沢宿から江の島までは約1里。江の島へは海岸から小舟で渡った(なお、江の島のみならず、鎌倉見物もセットにされた)。

また、大山の山頂からは、江の島方向が望める。帰りに寄りたいという旅心を誘ったはずである。

単に立地だけでなく、歴史や由来等からも、大山と江ノ島はセットで詣でることがよいとされた。
というのも、大山の祭神は男神。江ノ島の祭神は女神。片方だけのお参りは忌みとされていたからである。

余談・・・「江の島」「江ノ島」「江島」という表記について。

昭和40年代に藤沢市・藤沢市観光協会が「江の島」に統一するよう動いた。
それ以前の史跡や交通機関等では、「江ノ島」「江島」という表記のまま現在に至っている。


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by ofuna-law | 2013-11-11 13:30 | 地域の出来事 歴史 研究等

「湘南」の由来と範囲

「湘南」については、その由来にも、範囲にも、それぞれ争いがある。

まず由来の点は、歴史そのものだから、なんといっても古文書がなければ語れないが、残っている古文書は稀少だし、残っていても、記載の真偽が問われる。ゆえに、遡って歴史を論ずるのは自由。だからこそ歴史はおもしろいといえる。

裁判で、お互いの言い分(主張)はあるけれども、その証拠があるのか、あるとして真偽は定かかを問い、真相を探るのに似ている。

元々、中国にある河川「湘江」の南部に、古代は長沙国湘南県という所があって、そこから転じたのは争いがないようだ。

これを前提に、一説は、その地は禅宗が栄えていたと。
日本では鎌倉仏教が禅宗。だから、鎌倉時代に禅宗の僧が鎌倉周辺を湘南というようになった・僧が書いた古文書に湘南の文字がある、これがこの説である。
鎌倉説と呼ぶことにする。

他方、室町時代に大磯の鴫立庵に「著盡湘南清絶地」という石碑が建てられたことを由来とする説もある。
室町説と呼ぶことにする。
鴫立庵から相模川を望む河口付近の絶景が湘江のそれを思わせたからともいわれ、ここでもキーワードは湘江。
(ちなみに、本記事は、上記石碑のレプリカが2016年新たに大磯駅前に設置されたことから執筆した。)

昭和に入り、太陽族とサザンオールスターズで、江の島付近(藤沢)と隣接の茅ヶ崎が湘南の中心地となる。これは、由来というよりはむしろ範囲のほうの見解となるが、昭和説と呼ぶことにする。

範囲の点は、これら3つの説を軸に、その系統あるいは亜種に位置づけられる説が百花繚乱の様相を呈し、湘南とはどこなのかが熱く語られる。

ちなみに、神奈川県南岸の自治体は、西から順に、湯河原、真鶴、小田原、二宮、大磯、平塚、茅ヶ崎、藤沢、鎌倉、逗子、葉山、横須賀、三浦、横須賀、横浜、川崎である。
真鶴半島と三浦半島に挟まれた小田原~三浦までが相模湾。
湘江に見立てられた相模川は、平塚と茅ヶ崎の市境を南北に流れている。

例えば、葉山・逗子を湘南であるという人は、鎌倉説を軸に、鎌倉とのゆかり(頼朝と三浦一族)のほか、(昭和説が混じって)太陽族といえば石原裕次郎・慎太郎であって、この兄弟の住まいが逗子であったことと、観光地としては江の島と鎌倉は一体で、だとすると、鎌倉と逗子・逗子と葉山は相互に一体であって全体で一地域をなすとして、葉山・逗子は湘南であると論じる。

また例えば、平塚を湘南であるという人は、室町説を軸に、湘江に見立てられた相模川及びその河口は正に平塚に属するし、地域的に平塚は大磯に隣接し一体性があり、室町説には当然平塚が含まれると論じる。そして、昭和説に対しては、歴史の浅い新出説と批判し、鎌倉説は湘江に見立てられた相模川からみると位置的に遠すぎると批判するのである。

一方で、平成6年に湘南ナンバーが相模ナンバーから分離され独立した。
これにより、上記自治体のうち、藤沢以西は小田原までのみならず、湯河原や、海に面していない秦野、伊勢原、寒川、南足柄、足柄上・下郡もが湘南ナンバーの地域となった。そして、これら全てが湘南であると論じられるようになる。
平成説と呼ぶことにする。

平成説の出現により、範囲の点では最有力説であった昭和説が正当化され、のみならず、室町説も追認されることになったといえる。
ところが、新たな問題として、海に面さない秦野等や足柄地域までもが湘南なのかという派生的争点と、鎌倉以東は湘南ナンバーではないので、鎌倉説が覆され、鎌倉説を強い根拠としていた逗子・葉山をも湘南であることが覆されかねないという、仁義なき蒸し返し論争までをも招くことになった。

こうなると、もう由来や範囲をどうのこうのすること自体煩わしい。
それに、単に神奈川県内の一部地域内部の論争にすぎず、そもそも他県民にとってはどうだってよい話なのだろう。

そこで、調べた範囲では論者がいないが、「湘南」という漢字に着目し、それだけ解決する問題と考えてしまうのはどうか。

漢字に着目するだけでいいなら、相にサンズイがついて南、であり、相は相模国を意味し、サンズイは水を意味し、南は文字通りであるから、単に「相模国の南部の海沿い」の意だ。

相模国という呼ばれ方は律令制時代の西暦700年代から始まるとのこと。
その後鎌倉時代までは400年(1100年代),なお室町時代までは600年(1300年代)。
相模国という名の周知後ほどなく、その南部の海沿いは湘南とされたのではないか。
書けば、位置や範囲がすぐ分かり都合がよいというのも理由のひとつ。

そうであれば、鎌倉時代よりもっと前から湘南という場所も使われ方もあったといえる。

従来、由来として最古の鎌倉説も、鎌倉時代の僧は漢字が書け、かつ、稀少な古文書として残っただけのこと。室町説も石碑として最古にすぎないだけ。昭和説はトレンド、平成説はナンバーというだけとなる。

恐れ多い独自説であるが、律令制が整ったのは奈良時代だから、奈良説と呼ぶことにする。

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by ofuna-law | 2013-06-25 09:28 | 地域の出来事 歴史 研究等

辻堂という街

プロフェッションの支店は辻堂駅の北口、辻堂新町にあります。

出身の亀井野と辻堂は同市内で、車で15分ほど。互いに遠くないです。
が、辻堂は、昔駅舎が小さかった記憶や、家具の大正堂、湘南モールフィルやMr.MAXに時々行っていた程度。

互いに近いのに案外遠い場所になるのではないでしょうか。

さて、現時点の辻堂のいいところ等を挙げます。

もちろん、辻堂駅直結のテラスモール湘南。肉を買うならそこのタカギフーズ。

それと、事務所のビル、プリメロ湘南の一階にある焼き鳥屋さん「鳥人」、羽鳥のラーメン屋「めんめん亭」。とんかつなら「大関」。
日常品の買い物は、ヨークマート。ドラッグストアは、サンドラック。

テラスモールのちょっと北に、1500メートル掘って温泉を涌かせたスパ(フィットネスもある)があり、朝いつも行列。空いているときに一度は行ってみたい。
家具なら大正堂。

北口の再開発地域を除き、街が古くからそのままなので、狭い道が迷路のように張り巡らされていて、すぐ迷うし、車のすれ違いが大変。だんだん道が狭くなったり、行き止まりになったり、車で曲がれない角度の曲がり角も多い。

土日のテラスモール渋滞はすごくて、中に入ったら最後。テラスモールに行くつもりがないのに、迂回路がない。

辻堂駅の西側半分からはもう茅ヶ崎市。
茅ヶ崎市の人には「どこに住んでいますか?」と聞かれ、普通に「辻堂です」という方が多い。
辻堂に住んでいると言われれば、藤沢市民だという固定観念がありました。

駅の北口はタワーマンションが増えているのに対し、南口は、低層住宅地域規制があるようで、賃借ならテラスハウスが一般的で、いたるところに建っています。

by ofuna-law | 2013-02-17 13:10 | 地域の出来事 歴史 研究等

藤沢一押しラーメン店

「こぐま」でしょう。

藤沢駅北口市役所近くにあります。
藤沢簡裁で仕事があるときはほとんど通います。
牛乳ラーメンが名物ですが,基本は味噌です。

うまいラーメン屋の共通点として「カウンター席しかない」ことが挙げられると思います。
もちろん「こぐま」もカウンター席しかありません。
いつも込んでますが一度ご賞味下さい。
by ofuna-law | 2008-02-14 16:41 | 地域の出来事 歴史 研究等
大船は鎌倉市です。
あんまり知られてないみたいです。

大船市ではありません。
大船渡市というのは東北にありますけど。

鎌倉市にはJRの駅としては,鎌倉,北鎌倉,大船があります。
鎌倉,北鎌倉は観光地であるのに対し,大船は商業地です。

大船駅は,東海道線,横須賀線,根岸線(京浜東北線),湘南モノレールが通っていて交通の要衝といえます。ちなみに,仕事上のホームである横浜地方裁判所へは根岸線で関内まで24分。徒歩10分ですから,ドアツードアで約40分と,意外とアクセスがいいです。
by ofuna-law | 2007-01-11 18:53 | 地域の出来事 歴史 研究等

大船駅改装

大船駅がどんどん改装されてきれいになっています。
先日9月9日には,駅ビルのルミネが改装されて,「スイーツ小町」というお菓子専門店街ができました。とてもきれいです。
これからも駅や駅周辺の改装が続くようです。

大船駅周辺は,飲食店の入るテナントは多いのですが,事務所系のテナントは少ないです。
今当事務所が入っているテナントもたまたま偶然見つかりました。
これまでいろいろな先輩弁護士から,大船で開業しようとしたけど,事務所がみつからなかったという話を聞いています。

当事務所の隣の隣のビルが,取り毀しになり,新築されます。来年の7月に完成予定です。
by ofuna-law | 2006-09-12 09:32 | 地域の出来事 歴史 研究等
オレンジとグリーンの湘南電車が今月のダイヤ改正で,東京~小田原(だったかな)間(とりあえず湘南地区の区間であることは確かです)で姿を消すそうです。

私の地元藤沢駅では,キオスクがリニューアルオープンされ,オレンジとグリーンの列車型店舗になりました。これは一見の価値あります。
大船をすぎるとき,人々が一目大船観音を見ようとするのと同じように,藤沢をすぎるとき,人々はこのキオスクを見ようとするようになると思います。

姿を消す理由は色々あるみたいですが,私の知る限りでは,湘南電車は鉄製だそうで,その鉄製の車両が,時代の流れで,ステンレス製の車両に変わるとのことです。
私的には,ステンレス製はいいのですが,デザインまで変えることないのにな,と思います。

あとその鉄製のオレンジとグリーンの湘南電車は,「3つドア」でしたが,ステンレス製の新型車両は,「4つドア」です。座席もボックスシートは前後の1~2両にしかなく,ロングシートが主流になります。

by ofuna-law | 2006-03-16 19:55 | 地域の出来事 歴史 研究等
大船は,(あまり知られていませんが)鎌倉市に所在。
JR大船駅周辺一帯が大船です。

鎌倉市の北端にあたり,東は横浜市栄区と接し,西方近くには藤沢市境があります。
最近CMされる「ビックオレンジ」というマンションは,大船駅北口(笠間口)にあり,地名は横浜市栄区。
つまり,JR大船駅は,鎌倉市民と横浜市栄区民が利用する駅になります。
なお,藤沢市境方面を過ぎて藤沢市内に入ってすぐに,武田薬品の研究所があり,大船駅からバスが直行しています。

車のナンバーは横浜ナンバーになります。
鎌倉市のナンバーが古くから横浜ナンバーであり,後に湘南ナンバーができたとき,横浜ナンバーのまま存続となりました。
県下では,湘南地域の東端に位置します。

大船と言えば,「松竹大船撮影所」でしょう。今は跡地になっています。
駅弁では,大船軒の「鯵の押し寿司」が有名。立ち食いそば屋も出店しています。
鎌倉山を通り,江の島へ抜けることができる「湘南モノレール」があります。
「大船観音」もあります。JR東海道線乗車時に,大船付近のすぐ北の小さい山の上に,白くありがたく鎮座しております。
弊所の真裏に,神奈川(湘南)のアメ横と呼ばれる「大船仲通り商店街」もあります。

東海道線,横須賀線,根岸線(京浜東北線)のほか,上記湘南モノレールが通っており,付近では交通の要衝です。

大船には,以前,弁護士事務所が1軒ありましたが,その弁護士が引退され,私が事務所を開設するまでは,弁護士事務所がありませんでした。
先輩弁護士から,独立するなら大船がいいよと勧められたのもあり,今の事務所のあるビルを見つけ,即断しました。
名前は,早い者勝ちで地名を取り,大船法律事務所としました。
by ofuna-law | 2005-08-23 13:28 | 地域の出来事 歴史 研究等

湘南に3つ ~大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町~ の法律事務所を置く「弁護士法人プロフェッション」の弁護士某が仕事や出来事や趣味などを時々弁ずるブログ


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