湘南|大船と辻堂(藤沢・茅ヶ崎)と平塚|3つ法律事務所がある弁護士法人代表某の「弁」

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「弁護士法人プロフェッション」代表某が時々弁ずるブログ|大船駅(鎌倉市)・辻堂駅(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚駅各3分|夜間休日相談あり

2019年 02月 19日 ( 1 )

1 平塚の河川 「相模川」と「花水川」
  
平塚市には、東側の茅ヶ崎市との境に「相模川」、西側の大磯町との境に「花水川」が流れる。
そのほかに「馬入川」「金目川」という河川も、国道1号や134号を走ると目にするので、知られる河川だろう。

この4つの河川の区別ができていない方が多いのではないか。というか、私が混乱していたので整理する。

ア 「相模川」と「馬入川」は、同じ川である。相模川の下流域を、特に「馬入川」という。

国道1号(東海道)の橋で、河口(海側)から数えて2番目に架かるのが馬入橋(なお、1番目は湘南トラスト大橋)。
この馬入橋以南の相模川下流域を「馬入川」と呼ぶと言ってよい。

「馬入」の名前の由来は、建久九年(1198年)冬、馬入橋架橋時に、渡り初めをした源頼朝が馬で川に落ちたからと伝承されている。ゆえの馬入橋と馬入川。頼朝は、この落水が原因で病気(肺炎か?)になり亡くなったも言われる。
なお、そのころの川筋は、現在よりも約一キロメートル東の茅ヶ崎側の小出川畔を流れていた。関東大震災で旧相模川の橋脚が隆起し判明。この橋脚は国の史跡となっている。新湘南バイパス茅ヶ崎西インターやニトリ茅ヶ崎店の直近に存在する。一見の価値あり。

イ 「花水川」と「金目川」は(も)、同じ川である。これらは、北方の秦野市方面から南の相模湾へ流れるが、平塚市内で「渋田川」と合流する。この合流地点の以北が「金目川」、以南が「花水川」だ。

かつては金目川と渋田川の合流地点から下流も金目川と呼ばれていたらしいが、その下流の桜を、源頼朝(ここでも頼朝)が桜見にきた。しかし、花を見ずに帰った。ゆえに、花水川となったと伝承されている。

ここからは推論。花を見ずは、漢文では花不見(花見不)になりそうであるが、「不」はマイナス印象ゆえ避けられ,河川名でもあるので「水」が当て字にされたのではなかろうか。

2 平塚市南部の碁盤目状道路区画と綺麗な町名

平塚市の東海道線よりも南側は、碁盤目に東西南北に道路が整備されている。
平塚駅南口から海へと繋がるメインストリート(なぎさプロムナード)は、幅も広く、歩道も整備された大通りである(駅から徒歩2~3分には、平塚で代々の国会議員、河野邸もある)。

道路の碁盤目整備は、平塚大空襲に関係がある。平塚大空襲により、焼け野原になった南部の新たなまちづくりで、道路が碁盤目に整備された。

ア 不思議なのは、その碁盤目状道路区画の中に、なぜだか北西から南東へと斜めに入る道路が1本あるのと、南北に走るくねくねした道路が1本あることである。

前者の斜め道路は、気をつけないと、碁盤目という前提で東に向かっているつもりが、その道路に入ってしまい、いつの間にか東ではなく南東へと進んでしまう。

碁盤目状の中に、なぜ斜めに入る道路があるかという謎の答えは、馬入川の河口にある須賀港(現在の平塚港あるいは平塚新港)が存在したから。

この須賀港は、江戸時代やそれ以前に、海運で非常に栄えた。海から廻船が集中し、高瀬船で相模川を北上し、厚木、相模原、山梨上野原方面へと物資を運んでいたのである(現在の中心街は平塚駅北口付近だが、昔は物資が集まっていたから須賀港付近であった)。

その須賀港に集まる物資は、須賀港から見て、北西に位置する平塚中心地市内(江戸時代、徳川家の直轄領であり、徳川家康が鷹狩りに来て、中原を宿地にしていた。「中原御殿」という。また、東海道の平塚宿があった)に、陸送された。

その陸送道路の歴史や重要性から、平塚大空襲後の道路区画整理の際も、しっかり残されたと考えられる。

後者の南北に走る道路は、海沿いの国道134号の「扇の松入口」交差点を起点とする。
入ってすぐ、立派な扇形の枝振りをした黒松がある。

この道が残されたのは、この「扇の松」が平塚大空襲でも焼けなかったことが関係していると思う。
また、この道は北へ延長していくと平塚八幡宮に繋がる(途中に東西にJR東海道線と国道一号線が横切るが)。つまり、平塚八幡宮の参詣道であった。

やはり、道路の歴史や重要性から、道路区画整理の際も残されたと考えられる。

イ 平塚市の南側は、町の地名の名付け・読み名が綺麗なのも特徴である。例えば、八重咲町(当法律事務所があるから一番先に書く)、松風町、菫平(すみれだいら)、袖ヶ浜、龍城ヶ丘など。

これらの町名は、平塚大空襲により、南側が焼け野原になったことを契機に、復興の趣旨が込められて新しく名付けられたと推測される。

また、名付けられた当時の平塚市長は戸川貞雄氏。作家・小説家であり、いわゆる言葉の専門家。「湘南平」の名付け親でもある。

3 湘南ベルマーレ なぜチーム名に「平塚」がなくなったのか

湘南ベルマーレは、本拠が平塚市にある。
昔は、ホームタウンも平塚で、チーム名がベルマーレ平塚だった。

全国的に高くはない平塚市の知名度アップのためには、ベルマーレ平塚のままがよかったはず。例えば、鹿嶋アントラーズにせよ、浦和レッズにせよ、限局された市名を冠としているのだから。
中田英寿や岩本輝雄ら日本代表を輩出したクラブという歴史を考えてもだ。

ただ、資金力不足で、周辺自治体も巻き込んで改名したとのこと。仕方ないが、湘南というと、茅ヶ崎、江ノ島、鎌倉あたりが思い出されるから、平塚色が極めて薄まった気がして惜しい。
でも、ホームでの試合日は、市内にサポーターがゾロつき盛り上がる。本拠ならではの風景だ。

昨今スタジアムの定員不足の問題で、移転が検討されている。
湘南といえば、現在は藤沢や茅ヶ崎であり、人口が増加し43万人を突破した藤沢市の勢いなどを考えると、移転の危機は極めて高い(平塚市の人口は2019年1月現在25万人。減少傾向だが、市を上げ減少を止めここ数年横ばい推移中)。

ベルマーレ湘南は、平塚市にとって宝である。本拠であることを逃してはならない。

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by ofuna-law | 2019-02-19 07:08 | 地域の出来事 歴史 研究等

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