歳追うごと増す祖父の存在 2007.8記事改訂
初孫の私を、とてもかわいがってくれました。
毎年くれないお年玉を、1回だけくれたときに、古札だった(前の前の前のバージョンくらいの千円札)衝撃は、忘れることができません。
腕時計を2回、幼稚園のころと中学生のころに買ってくれたことや、わざとなのか分かりませんが「渋滞」のことを「しぶたい」と話し、「高速道路のしぶたいがひどいらしいぞ」と言っていたことが大きな思い出です。
祖父の大工修業時代のことは不明(それ以外のこともほとんど不明)。
横浜の石川町近辺で大工として独立し、その後、藤沢の六会に移って工務店をし、職人を増やして、棟梁をしていたのは確かです。
大工(特に建築士制度が今ほどでない昔の当時の大工)は、基礎から完成まで構造を緻密に頭の中で組み上げるので頭は使うし、実際に木材を道具で狂いなく加工し、丁寧な仕事で組み上げる腕も必要で、また、職人を徒弟制度で鍛えつつ、工務店という組織をトップとしてまとめます。
大工と弁護士は一見して違いますが、弁護士でいう、知識を高め知恵を絞り成果を訴求していくことや、解釈や文章や法廷技術にこだわる職人気質なところ、部下の弁護士の指導に徒弟制度的な面が残る伝統、事務所(法人)が大きくなると比重が増えてくるマネジメントは、上記大工の局面と似通っていると思います。
最近、そう気づき、その思いがどんどん強くなってきて、祖父との同質性や親近感を勝手に感じ、同じような悩みとかありながら天寿を全うしたのだと、これも勝手に解釈して、祖父への尊敬心は強まるばかりです。
以前は、尊敬する人を「織田信長」と言っていましたが、最近は「祖父」と言うようになりました。
年月による成長・進化と自称しています。
ブログランキングに参加しています
バナーをクリック頂けると幸いです