神は乗り越えられない試練は与えない
幾多の苦悩、例えば、逆境・ストレス・辛苦・試練等は不可避だ。
当法人名の「プロフェッション」とは、神職・医師・弁護士を指す。
人の三大苦悩を担う職業を意味する。
三大苦悩の対象は、心・体・人間関係。これらのうち、「心の悩みは神職」、「体の悩みは医師」、「人間関係の悩みは弁護士」が担う。
「医者の不養生」という言葉がある。
神職・医師・弁護士、それぞれ心・体・人間関係に悩まないことなどはない。
一見悩んでいないように見えても、表に出していないにすぎない。
むしろ、表に出さない苦悩を抱え、その結果、共感力と問題解決力が醸成され、その結果、仕事にやりがいを見出すという、螺旋回転を繰り返していると思う。
もし悩みがなかったら、そもそも悩みに共感し、解決し、やりがいを感じることはできないのではなかろうか。
マザーテレサは、聖書の言葉を引用し、「神は乗り越えられない試練は与えない」と言った。
いま苦境にある人に、この言葉を話しても、おそらく効果はないだろう。
熱い物を食べて喉がやけどしそうなときに、「のど元過ぎれば熱さ忘れるから我慢」と言うようなものだ。
腑に落ちるとは思えない。
だからといって、いま苦境にある人に、響かないかもしれないけれども、この言葉をいま話す意味はあると思う。後から意味を持ってくると思う。
熱い物がいつかのど元を過ぎて、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」のを実感するように、苦境が過ぎた暁には、「神は乗り越えられない試練は与えない」のを実感すると思う。
そして、実感の瞬間、それが新たなスタートへの力になり、将来もし苦境が来ても、前回乗り越えた経験が必ず生きると思う。
だから、いまは響かなくても、苦境にあるからこそ法律相談にみえる方に、いつも「神は乗り越えられない試練は与えない」という言葉を持ち(口には出さないにしても)向き合っている。
そもそも、相談にみえた時点で、苦境を乗り越える第一歩を踏み出している。あとは、乗り越えて、その後、「神は乗り越えられない試練は与えない」の実感へと道を歩むだけだと思う。