大船法律事務所 辻堂法律事務所 平塚八重咲町法律事務所の某弁護士の述懐

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湘南に3つ ―大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町―法律事務所を置く 弁護士法人プロフェッションの いち弁護士が 思いや出来事を時々つづるブログ

(下線部が2015年4月の改訂部分)

離婚弁護士というドラマがありました。
天海祐希主演の記憶がある。

離婚を専門にしようと考えてはいないのですが,最近離婚の相談が増えています。
離婚そのものが世の中で増加しているのではないでしょうか。
離婚の数は同じで弁護士に相談する事例が増えたのだと今になると思う。そして、10年経過して、専門分野のひとつになった。

同じようなことを言っている弁護士仲間がいますし。
今も弁護士仲間は皆そう言う。

妻の側の場合と夫の側の場合と,どちらも半々くらいの相談を受けています。
相談から依頼につながるケースが多いです。
どちらかというと今はなぜか妻側が多い。もちろん、夫側も多い。攻める場合守る方法、守る場合攻める方法が蓄積され、経験が増える。

その場合,弁護士費用については,事案に応じて決めています。
「事案に応じて」というのがわかりにくいかも知れませんが,私は,離婚の難易度,裁判までいきそうかや慰謝料・財産分与が絡むか,子供の親権の問題が絡むか,などを判断して,弁護士費用を決めています。
事務所には、当時から報酬規程があり(HPに料金表掲載中)、その範囲内で決めているとの記載をしていなかったので、追加する。

結婚は簡単だったけど,離婚は。。。とおっしゃる方が多いです。
確かに,離婚するには,パワーが必要だと思います。
今も同感。倍以上のパワーがいるだろう。

少しでもお役に立てれば幸いです。
法律論に、当時以降の人生と弁護士経験を加え、お気持ちを大事に、メンタルケアにも配慮し、人生の再出発のお手伝いができればと思います。

# by ofuna-law | 2015-04-15 08:40 | ・男女問題

玉縄城(関東三名城)

大船至近の玉縄城(清泉敷地内で遺構も少ない)は、北条早雲築城。

江戸城・川越城と並ぶ堅城で、関東三名城といわれた。

なお、辻堂至近には、大庭城(城址公園になっている)がある。
平塚には、平塚城(平塚農業高校の場所。遺構はほぼない)があった。東京豊島の平塚城と区別し、相模平塚城ともいわれる。

城があり、城主や家臣がいて、戦があり、治める民がいたこと。思いをはせきれない。

加筆予定(調べ中)。

# by ofuna-law | 2015-04-13 08:18 | 地域の出来事 歴史 研究等
湘南藤沢市の江の島の、江島神社の弁才天(弁財天・弁天)は、日本三大弁才天の1つ。

地元では、「カップルで行くと別れる」という噂がある。天女である弁才天が嫉妬するからとのこと(ちなみに、井の頭公園に行くと同様の噂があるが、ここには井の頭弁財天があり、同様の言われであろう。。)。

日本三大弁才天は、次のとおり。

宝厳寺(滋賀県長浜市・竹生島)
大願寺(広島県廿日市・宮島)
江島神社(神奈川県藤沢市・江の島)※江島神社を日本三大にするかは反対説あり。

弁才天は、ヒンドゥー教の聖なる河の神に由来する水の神。

そのため、水のそば(海、湖、河、島)に祭られることが多く、日本三大弁才天も全て該当する(井の頭も。。)。弁天島とか弁天池と名付けられる場所も各地に多い。
このヒンドゥー教の神が、仏教に取り入れられた。神仏習合により神社の祭神としても祀られる。近世になって、七福神の一員として信仰されるようになった。

ご利益は、「河の神様(が河の流れの音の連想で、=音楽)、「弁(=弁舌・学問・知恵・芸道)」「財(=財宝・富・金運・幸福)」というのが覚えやすい。なお、「天」は天女、女神。

ちなみに、鎌倉には銭洗い弁天がある。ここは中でも財運がご利益になっている。

弁天信仰は、奈良時代から始まる。三大弁才天のうち、起源が一番古いのは江の島(ただし、起源に諸説あり。後述)。

日本三大弁才天の場所を確認すると、滋賀、広島、神奈川。
徒歩で詣でることを考えると、バランスよく国内に所在していることが分かる。
各地の弁才天信仰のメッカとして位置づけられ、ゆえに日本三大になったのだと思う。

1 宝厳寺

西国三十三観音霊場の一つでもある。

神亀元年(724年)、民衆から絶大な人気があった「行基」が弁才天を祀ったのが起源とされる。
そして、度々の大火があったが、豊臣秀頼が伽藍を復興し、豊臣秀吉の霊廟(豊国廟)の唐門や伏見城の御殿が移築されるなどした。
この唐門は、国宝。その他、竹島経という美術品も国宝である。

由来と歴史は深い。

2 大願寺
全国に約500ある厳島神社の総本社。世界遺産。日本三景の一つ「安芸の宮島」。平舞台は日本三大舞台の一つ。大鳥居は日本三大鳥居の一つ。建造物や美術工芸品に国宝多数。

三大弁才天のうち最も著名だろう(弁才天としてはさておき)。

弘仁2年(811年)が起源。社格が整備される中で、市杵島姫命(仏教でいう弁才天)が祭られるようになった。
平清盛が社殿を造営し、平家一門の隆盛により栄え、平家の氏神に。平家滅亡後は、源氏をはじめ時の権力者の崇敬を受けた。毛利元就が崇敬して大修復をし、豊臣秀吉も九州遠征の途上で参拝するなどした。

江戸時代には、民衆に厳島詣が流行し、門前町や周囲が大いに賑わう。

3 江島神社

ここの由来と歴史も深い。

文武天皇四年(700年)が起源とされ(より後年という説あり)、以後、多くの名僧が訪れたとされる。日蓮、空海など。
鎌倉時代には、源頼朝が平泉藤原氏との戦いの戦勝祈願に来るなど、戦いの神としての弁才天信仰が広がり、東国武士が多く訪れた。

江の島が日本三大に数えられる理由は、このような歴史・由来のみならず、江戸時代の江ノ島詣が関係していると思う。

江戸は平和なので、戦勝祈願ではなく、学業成就・家内安全・安産等を祈願した。
徳川家康や代々の将軍たちも祈願したが、特に江戸の庶民が詣でた。

当時は、観光旅行という習慣はなく、庶民には、商用・参詣・訴訟など限られた旅しか許されず、信仰という名目をつけた物見遊山として、江ノ島、大山、富士山、成田山、一生に一度の贅沢としての伊勢などへの旅がされた。

江の島は、江戸から2~3日という近さがあり、神奈川県北方にある大山詣(信仰という名目をつけた物見遊山の旅としては大人気であった)とセットにできる。そのため、大いに流行した。

大山詣は、行きは大山街道(現在の国道246号沿い)・帰りは東海道という組み合わせが多かった。
東海道を使うと、途中、藤沢宿がある。
藤沢宿から江ノ島までは「江ノ島道」という江ノ島弁才天への参詣道がある。藤沢宿から江の島までは約1里。江の島へは海岸から小舟で渡った(なお、江の島のみならず、鎌倉見物もセットにされた)。

また、大山の山頂からは、江の島方向が望める。帰りに寄りたいという旅心を誘ったはずである。

単に立地だけでなく、歴史や由来等からも、大山と江ノ島はセットで詣でることがよいとされた。
というのも、大山の祭神は男神。江ノ島の祭神は女神。片方だけのお参りは忌みとされていたからである。

余談・・・「江の島」「江ノ島」「江島」という表記について。

昭和40年代に藤沢市・藤沢市観光協会が「江の島」に統一するよう動いた。
それ以前の史跡や交通機関等では、「江ノ島」「江島」という表記のまま現在に至っている。


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# by ofuna-law | 2015-04-11 13:30 | 地域の出来事 歴史 研究等
俳優・女優は、役に入り込む。

2年前の3月の記事で、「クライアントを自分を置き換えて、その人が弁護士だったら、やるであろうできる限りの手段を講じるようにしたい」と書き、それは役者魂のようなものだとした。

今も昔も、そう思う。

ただ、その場合、経験とキャパシティを考えて、その手段は効果的ではないとか、できない、という選択眼を持つ意識も大事だと思うという記載をしなかったので、追加する。

いくら役者魂のある俳優・女優でも、この役はできないと断るのがよくあるし、同時に何人も役をこなさない。

仕事に集中しすぎると、様々なことに余裕がなくなる自分がいる。
プライベートも重視し、ほどほどに両立することが大切だと思う。

「趣味は読書」といいながら、「最近は読書する暇がない」と弁解していたが、それではいけない。。

弁護士は、お客様が、全員、弁護士に頼まねばならないほど思い悩み、弁護士でも簡単ではない法律問題を抱えている。このご本人のストレスをシェアして、それに手持ちの案件数を乗ずることになるから、辛くないと言えば嘘になる。

弁護士界では、「あくまでも他人事」という考えをしたほうがいいと言われる。

全部それで割り切ることはできないが、頭の片隅でそう思っておく程度が丁度よいのではないか。
自分事として入り込むことは大切で、そのストレスはやはり受け入れ、一方で、プライベートなどで発散して、バランスをとる。

ただ、この仕事を続けているうち、ストレスに耐えられるようになるというか、意識しなくなるというか、昔よりは、ましになったのは、年の功か。

「ストレス発散には運動がいい」といわれながら、「運動をする暇がない」と弁解するのは、それもいけない。。。


# by ofuna-law | 2015-04-09 15:33 | スタンス

車の自動走行化

FUN TO DRIVE
というキャッチは、今は昔か。。

車の自動走行の開発がすすんでいる。

先行しているのは、Google。
日産やアウディ、トヨタなども開発中とのこと。
家電会社なども参入。

事故や逆走がなくなるなどの安全と、運転中にほかのことができるメリットはとてもわかる。

事故のときに、運転席に座る人が法的責任を負う方向で法整備が進んでいるとのこと。

自動スピードに調整されるから、エンジンの善し悪しは関係なくなるように思う。
カーシェアが進んでいるから、タクシーもバスもいらなくなるかもしれない。
全道路が自動走行の時代になったとき(ずっと未来だろうけど)、どこで運転自体の楽しみを味わったらいいのだろうか。

というより、新車に買い換えないと自動走行にならないか。。
エコカー同様(あるいはそれ以上に)、補助金が出ることになるのだろう。。。


# by ofuna-law | 2015-04-08 16:53 | 今の関心事

七夕研究

1 日本三大七夕祭り

「日本三大七夕祭り」は、まず第1と第2は確定していて、仙台・平塚。
第3には、争いがあり、愛知県安城市と愛知県一宮市が、それぞれ主張している。

ただ、近時、安城市は、その主張を「願いごと日本一祭り」に変更した。弱気とも思える一方、日本三大七夕にこだわるよりも、日本一にこだわったのであろう。もっとも、願いごと日本一祭りという主張をしていることそのものが、市民はもとより全国に周知されておらず、現在のところ、その目論見は成功していない。。

第3を、安城説とするか、一宮説にするかについては、一宮説とすべきである。
理由は、上記のとおり、日本三大の主張を変更した安城よりも、安城よりも分が悪かった一宮が、自ら日本三大にこだわりつづける、その心意気を評価すべきこと、また、それに、後述する由来(なぜ、一宮にて七夕祭りが始まったのか)の説得力である。

2 関東三大七夕祭り

「関東三大七夕祭り」というくくりもある。平塚、埼玉県狭山市(入間川)、千葉県茂原市である。

ただ、平塚は、自らは全くこの呼び方を主張しない。
日本三大に数えられる以上、それよりも小さい関東三大というくくりは、平塚にとって不要だからであろう。
平塚の並々ならぬプライドが見て取れる。。

3 歴史

もともと、七夕を祝うようになる風習は、江戸中期とされる(諸説あり)。現在も、家や地域で、笹を立て短冊を飾り願掛けをして祝う。

それが大規模な「祭り」とされたのが、仙台で、江戸中期からのようである。ただ、風習が徐々に大きくなり、祭りとなるのが通常の流れであることからすると、風習が江戸中期からとすると、同時期である江戸中期の仙台の七夕祭りの規模は、小さかったと推測される。

仙台は、その起源を、藩主伊達正宗公が、子女の手芸を上達を願うため、強く七夕を祭ったことに由来するとし、その時期を、江戸初期としている。

正宗公が子女の手芸を上達を願ったことや、正宗公が江戸初期に活躍していたことは正しい史実としても、そのころ(江戸初期)から強く七夕を祭ったというのは、七夕が祝われるようのがそもそも江戸中期だとすると、飛躍が否めない。
むしろ、昭和以降の仙台が、日本一の七夕祭りであるという主張を強く根拠づける後付けの主張とすべきではなかろうか。。

なお、七夕を江戸中期から祝うようになったという起源を裏付ける資料まで当たっていないので、その起源自体が揺らぐならば、江戸初期に仙台が七夕祭りを始めたという事実は、その正当性が強まるので注意が必要である。

さて、なぜ七夕が「子女の手芸の上達を願う」なのかというと、物語上、彦星と織姫が、願う=「願掛け」となり、短冊を書くは、短歌を筆で書くことで、短歌は、学問を意味し、筆で書くは、習字と転じていること。また、織姫の「織り」が、針仕事・機織り・染め織りを意味すること。それゆえ、これらの上達を願う祭りに繋がってくる。もちろん、祭りであるから、豊作豊漁を願い、それに感謝することも含まれてくる。

話を戻すと、仙台の七夕祭りは、江戸中期には始まっていた。そして、その起源は、伊達正宗公にある。

では他方、仙台以外の、平塚・安城・一宮・狭山・茂原での始まりはいつか。

平塚は、昭和25年
安城は、昭和29年
一宮は、昭和31年
狭山は、江戸中期
茂原は、昭和30年

である。
狭山の歴史は、仙台と同じころからであった。
他方、仙台・狭山以外の平塚・安城・一宮・茂原は、戦後である。戦後に開始したのは、いずれも、戦後の復興祭という意味合いが非常に強い。すなわち、地域振興や、周辺地域からの来客を呼び込む意味合いである。

ただ、「戦後の復興祭」は全国各地で行われたのであり、なぜ「七夕」なのかという意味は疑問である。この点に関しては、七夕の上記意味の側面からアプローチしてみる。

織姫の「織り」からは、繊維・紡績へと意味を転化できる。

この点で、まず、平塚には、関東紡績と相模紡績という紡績工場が存在していた。
この点で、七夕との強いつながりを見い出せる。

同じ意味では一宮が該当する。一宮は、昔から繊維・紡績で栄えた。

そもそも、一宮とは、尾張国一宮を意味し、宮とは神社であって、「真清田神社」のこと。
この神社の祭神の、母神が、「萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)」であり、機織りの神。
このことからも、一宮が昔から繊維・紡績で栄えたことが認められる。そして、現在も、繊維・紡績業は行われている。

それゆえの一宮七夕なのである。

なお、上記のとおり、日本三大七夕祭りの第3について、一宮説(安城説を否定)を支持するのは、「織り」と「真清田神社」という説得力を評価したゆえである。

一方、安城と茂原については、現状、七夕の意味からのアプローチは困難であった(なお、安城には、倉敷紡績安城工場という紡績工場があったが。。)。
現時点では、この二つの地で、戦後復興のためになぜ七夕か、という疑問には、「偶々」という答えが相当のようである。。もちろん、学問・習字・針仕事・手習い・豊作豊漁祈願等の意味があり、七夕を祭るという意義は極めて重要である。

4 開催時期・規模

日本三大・関東三大といわれるのは、上記由来や歴史に加えて、規模という要素は欠かせないであろう。

加えて、時期も列記し、それぞれの祭りを比較してみる。
なお、七夕が7月7日であることは公知の事実である。もっとも、日本には、旧暦と新暦がある。旧暦の7月7日は、新暦の7月の下旬から8月上旬とされる(太陽の位置で換算するようで、幅があるらしい)。

仙台 204万人/3日間(日換算68万人) 8月8日ころ 3日間開催
平塚 170万人/3日間(日換算56万人) 7月7日ころ 3日間開催
安城 102万人/3日間(日換算34万人) 8月8日ころ 3日間開催
一宮 130万人/4日間(日換算32万人) 7月下旬ころ 4日間開催
狭山  43万人/2日間(日換算21万人) 8月8日ころ 2日間開催
茂原  84万人/3日間(日換算28万人) 7月下旬ころ 3日間開催

このデータ比較からすると、日本三大七夕の第3について、安城と一宮がしのぎを削っているのがよく分かる。さながら、餃子消費量で宇都宮と浜松が競っているのと同じ構図といえよう。。

ちなみに、平塚のみ新暦を採用している点が耳目に値する。

新暦を採用した場合、伝統性や歴史性から離れるという難点が否めないが、開催開始時の平塚市長は、新暦にすると、「飾りを旧暦開催の七夕祭りの地へ譲渡できる」と話していたという。一見合理的である(ただし、この点については、最期に余談で述べる)。そして、この合理性から推理すると、新暦開催は、旧暦開催の七夕祭りと時期がかぶらず、来客が見込めると考えたのではなかろうか。

5 余談

湘南では、まことしやかに「平塚七夕祭りの飾りが、仙台七夕祭りで再利用されている」と言われている。

このことを、仙台の方々に話すのは危険である。猛烈に否定され、友好が途絶えかねない(実際、そのような体験をしたことがある。人格否定に近かった。。)。

また、仙台同様、旧暦開催の安城・一宮・狭山・茂原の方々に、「平塚の七夕祭りの飾りが再利用されている」と話そうものなら、仙台の方々と同様、断固否定され、友好が途絶えかねない。

それは至極当然である。
地元の祭りなのだから。
飾りは、地元市民や地元企業が、願を掛け、祝金を掛けて、創意工夫し独自の飾りが作られるはずだからである。

平塚七夕祭り開始当時の平塚市長の「譲渡」発言は、一見合理的であったが、実現しなかったと考えられる。

# by ofuna-law | 2015-03-30 12:40 | 地域の出来事 歴史 研究等

平塚の3不思議を語る

1 平塚の河川
  
平塚市には、東側の茅ヶ崎市の境に「相模川」、西側の大磯町の境に「花水川」が流れる。

そのほかに「馬入川」「金目川」という河川も少々知られる河川だろう。

この4つの河川の区別ができていない方が多いのではないか。というか、私が混乱していたので、整理した。

まず、「相模川」と「馬入川」は、同じ川である。相模川の下流域を、特に「馬入川」という。
国道1号線(東海道)の橋で、河口から数えて2番目(なお、1番目は湘南トラスト大橋)が、馬入橋。

この馬入橋以南は、相模川を馬入川と呼ぶといっていい。名前の由来は、建久九年(1198年)の冬、馬入橋架橋時に、頼朝が馬で渡り初めをした際、源頼朝が馬で川に落ちたからと言い伝えられている。ゆえの馬入橋と馬入川。ちなみに、頼朝は、この落水が原因で、病気(肺炎か?)になり、亡くなったという。
なお、そのころの川筋は、現在よりも約一キロメートル手前(東の茅ヶ崎側)の小出川畔を流れていた。関東大震災で旧相模川の橋脚が隆起し判明。この橋脚は国の史跡となっている。

次に、「花水川」と「金目川」は(も)、同じ川である。これらは、北方の秦野市方面から南の相模湾へ流れるが、平塚市内で「渋田川」と合流する。この合流地点の以北が「金目川」、以南が「花水川」だ。

かつては,金目川と渋田川の合流地点から下流も金目川と呼ばれていたらしいが、その下流の桜を,頼朝(ここでも頼朝。。)が桜見にきた。しかし、花を見ずに帰った。ゆえに、花水川となったと言い伝えられている。ここからは推論だが、花を見ずは、花不見(漢文)または花見不になりそうだが、「不」のマイナス印象ゆえ,避けられ,「水」の文字が当て字にされたのではないか。

2 平塚市南部の道路区画と町名の不思議

さて、平塚市の東海道線よりも南側は、碁盤目に東西南北に道路が整備されている。
平塚駅南口から海へと繋がるメインストリート(なぎさプロムナード)は、幅も広く、歩道も整備され、一見の価値がある(駅から徒歩2~3分には、平塚で代々の国会議員、河野邸もある)。

もっとも、その碁盤目に整備された道路に、なぜだか北西から南東へと斜めに入る道路がある。

気をつけないと、碁盤目という前提で、東に向かっているつもりが、その道路が斜めに入る道で、いつの間にか、東ではなく南東へと進んでしまう。

道路の碁盤目整備は、平塚大空襲に関係がある。平塚大空襲により、焼け野原になった南部の新たなまちづくりで、道路が碁盤目に整備された。

にもかかわらず、なぜ斜めに入る道路を入れたかというと、馬入川の河口にある須賀港(現在の平塚港あるいは平塚新港)の存在したからだ。

この港は、江戸時代やそれ以前に、海運で非常に栄えた。海から廻船が集中し、高瀬船で相模川を北上し、厚木や相模原方面へと物資を運んでいたのである(現在の中心街は平塚駅北口付近だが、昔は須賀港付近であった。物資が集まっていたから当然といえる)。

その須賀港に集まる物資は、須賀港から見て、北西に位置する平塚中心地市内(江戸時代、徳川家の直轄領であり、徳川家康が鷹狩りに来て、中原を宿地にしていた。「中原御殿」という。また、東海道の平塚宿があった)に、陸送された。

その陸送道路は、繁栄する須賀港から、中原・平塚宿を直結する重要な道路で、ここが、平塚大空襲後の道路区画整理の際も、しっかりと残されたのである。

平塚市の南側は、町の地名の名付け・読み名が綺麗なのも特徴である。例えば、八重咲町(当法律事務所があるから一番先に書いた。。)、松風町、菫平(すみれだいら)、袖ヶ浜など。

これらの町名は、平塚大空襲により、南側が焼け野原になったことを契機に、復興の趣旨が込められたからだと推測している。

3 湘南ベルマーレの不思議

湘南ベルマーレは、ホームグラウンドが平塚市にある。昔は、ホームタウンも平塚で、チーム名がベルマーレ平塚だった。

全国的に高くはない平塚市の知名度アップのためには、ベルマーレ平塚のままがよかったはず。例えば、鹿嶋アントラーズにせよ、浦和レッズにせよ、限局された市名を冠としているのだから。
中田英寿や岩本輝雄ら日本代表を輩出したクラブという歴史を考えてもだ。

ただ、資金力がなくて、周辺自治体も巻き込み改名したとのこと。仕方ないが、湘南というと、茅ヶ崎、江ノ島、鎌倉あたりが思い出されるから、平塚色が極めて薄まった気がして惜しい。
でも、ホームでの試合日は、市内にサポーターがゾロついていて、盛り上がっている。ホームグラウンドがあるからならではの風景だ。
# by ofuna-law | 2015-03-29 09:42 | 地域の出来事 歴史 研究等

2015新年

あけましておめでとうございます。
幸多い1年になりますように。

さて、新年の業務開始は、1/7(水)からとさせていただいております。

今年もよろしくお願いします。

追伸

今年の目標・夢を一言で表現したいと思うのですが、すみません、うまい言葉が見つかりません。。。

(かなり考えた上で捻り出す)

言うならば「削ぐ」かな。

イメージとしては、「やるべきことだけをしっかりとやり、削げるものをできるだけ削ぐ」という感じです。
# by ofuna-law | 2015-01-02 19:12 | これまでの事務所運営
平塚八重咲町法律事務所営業日を変更し、「金土祝休み」「日曜日~木曜日営業」といたします。
よろしくお願いします。
# by ofuna-law | 2014-11-28 14:50 | これまでの事務所運営
平塚八重咲町法律事務所を開設後、平塚市内で多くの発見がありました。そのうち、1つを発表します。

それは、平塚市は、「囲碁のまちひらつか」というまちづくりに取り組んでいること。

そして、これが、いまの弁護士・裁判官・検事(法曹)なら、普通は知っている「木谷(きたに)明」元判事に、綿々と繋がっていること。

将棋の町といえば、山形県天童市。これは、将棋盤を作っていることが根拠。

囲碁の町といえば、平塚市(「囲碁のまちひらつか」)。
なお、他にも、囲碁で、まちづくりをする市あり。これらは、もっと知られていない。

さて、「囲碁のまちひらつか」の発端は、前述の木谷元判事(1937・昭和12-)の御尊父が、木谷實(1909・明治42-1975・昭和51)さんという大棋士なのです。

1 木谷實棋士について

木谷實棋士は、20世紀の棋士の中でも指折りの存在。「囲碁界の父」と呼ばれています。なお、私は、囲碁を知りません。。。

「新布石」という革新的序盤理論を確立したほか、その特徴的な戦法として、「木谷流のドカン」(名前が凄い)というもの、具体的には、先に土地を稼いで相手に大模様を張らせて突入する戦法が有名とのこと。

この木谷實棋士が、昭和12年に平塚市に転入。
そして、この平塚の地に、いまでも跡地には石碑が立つ(平塚市桃浜町)、「木谷道場」を開設。
平塚八重咲町法律事務所からは徒歩2~3分の場所にあります。

2 木谷道場と「囲碁のまちひらつか」について

この「木谷道場」は、全国から囲碁少年を集めて育成する道場として開設されました。
ここからは、多くの大棋士が育ち、昭和後半のタイトル戦線をほぼ独占。孫弟子を含めた一門のプロ棋士は50名以上で、段位合計は500段以上にもなるそうです。

知らないだけで、すごい功績です。

で、この功績を踏まえて、冒頭の「囲碁のまちひらつか」に繋がる訳です。

「囲碁のまちひらつか」は、公益財団法人平塚市まちづくり財団が展開し、平塚市市民センター内に「星のプラザ」というサロンを開き、木谷實棋士の功績紹介や平塚で囲碁のまちづくりを進めています。

例えば、来たる平成26.12.14には「第27回湘南ひらつか子ども囲碁大会」、その他、少し前には「第19回湘南jひらつか囲碁まつり1000面打ち大会」を開催。

第27回とか第19回とか、まちづくりの歴史を感じます。
マンガ「ヒカルの碁」は読んでいるんですが。

3 木谷明元判事について

まず、木谷元判事の簡単にプロフィールを紹介しておきます。

平塚市に転入と同じ年の昭和12年に出生。

平塚学区で1番の公立校「平塚江南高校」入学。
東大を経て、司法試験に合格。1963年(昭和38年)に裁判官任官。

法曹としては、東大から裁判官という、いわゆるエリートです。
裁判官になるのは、当時も今も、司法修習生の中では1番難しいからです。それゆえ、平塚江南高校の大法曹です。OB会はそのことを知っているのでしょうか。

木谷先生は、ご著書の「刑事事実認定の基本問題」という本が、司法試験合格後近々に、誰もが読むような基本書です。
表題に「刑事」とあるように、刑事弁護、刑事裁判、検察実務への影響はとても大きいです。

4 小括

以上で、「囲碁のまちひらつか」→「木谷道場」→「木谷明元判事」という、つながりをご理解いただけましたでしょうか。

5 その他

木谷元判事は、2000年(平成14年)に東京高裁部総括判事として退官され、公証人・法科大学院教授を経て、現在は東京で弁護士をされています。

裁判官経歴は、浦和地裁刑事部部総括、最高裁調査官(注:最高裁調査官は陰で最高裁を支える役職)、数か所の地裁の所長などを歴任されてます。

裁判官は、任官後、大きな岐路として、民事裁判官へ進むのと刑事裁判官へ進むのとがありますが、木谷先生は、刑事裁判官。

後々、「人権派の裁判官」と呼ばれるようになり、99.9%の有罪確率の現実の中、約30件の無罪判決を「確定」(地裁で無罪判決を出しても、高裁では有罪になることがほとんどなので、無罪で確定は0.01%なので驚きの数字になります)させています。

他にもご著書は多く、「刑事事件の心-事実認定適正化の方策」は、映画「それでもボクはやっていない」の周防正行監督が、参考にした本として有名です。

以上ですが、今後も、平塚ネタをご紹介したいと思います。気になっているのが、「鳥仲商店」「しまむら」「平塚水天宮」です。
# by ofuna-law | 2014-11-21 10:24 | 地域の出来事 歴史 研究等

有隣堂

藤沢で、最も有名な本屋は、有隣堂だと思います。

物心がついた昭和50年代後半には、藤沢駅南口の名店ビルに、既に入っていました。

小学生のときは、有隣堂に本を買いに行くことは、電車での遠足でした。

地元「六会」という生活圏から出て、藤沢駅までは小田急線で10分。
子どもには、藤沢は大都市。かつ、有隣堂には、膨大な蔵書があり、未知の知識の宝庫。

有隣堂は、横浜の伊勢佐木町に本店があり、神奈川・東京に一大チェーンを築く本屋。神奈川の地元企業です。

本屋だけでなく、文具店、CDショップ、音楽教室も、業務としています。

昔は、「有隣堂パーラー」というものもやっていたそうです。念のため、「資生堂パーラー」ではありません。

さて、有隣堂の「有隣」の由来は、ご存知でしょうか?

これまで、その由来など、考えたことありませんでした。

ところが、たまたま論語に関係する本を読んでいたところ、「有隣」についての記述があり、そこで初めて、有隣の意味かを知りました。

それは、「徳不孤 必有隣」という一文です。「徳は弧ならず必ず隣あり」と読みます。

徳のある人は、孤独ではない、その徳には必ず人が集まってくる、常に理解してくれる隣人がいるという意味です。

その意味を推し進めると、徳があれば孤独になることはない、だから、徳を養いなさい、徳を持つようにしなさい、という意味があると思います。

だから、かなりの推量がありますが、有隣堂は、本こそが徳を養うものであり、徳を持ち、徳を養おうとする人が集う本屋になりたいという気持ちで、屋号をつけたに違いないと思います。

というような由来を、先日、藤沢の友達との酒席で話題にしたところ、なるほどー、といった反応があるはず、という予想に反し、「何それ、おかしくない?」という反応が。

どうも「徳」を「得」と勘違いしたようで。

当然、「得は弧ならず、必ず隣あり」では、意味が全く変わってしまいます。それも、悪い意味に。

得なことには孤独はなく、人が集まってくる(群がってくる)。それが有隣堂の名前の由来のはずありません。

あくまでも「徳」です。
# by ofuna-law | 2014-08-01 03:18 | コラム
神奈川・横浜には、地裁地検弁護士会に、「湘南支部」がない。
それはなぜか。

要は

支部に興味がない、さしたるメリットを感じない。
支部のしがらみに縛られたくない。

だと思う。

そもそも、神奈川(横浜弁護士会)には、弁護士が1430人いる。

管轄は、関内の本庁のほか、川崎支部(194人)県西支部(111人)、横須賀支部(42人)、相模原支部(71人)がある(括弧内は、所属弁護士数)。

そもそも、「湘南の範囲とは?」に関しては、論争があるが、ここでは、鎌倉、藤沢、茅ヶ崎、寒川町、平塚とすることにする。

このうち、鎌倉~寒川町までは、本庁管内に、一方、平塚は、県西支部管内に、それぞれ属する。

これら湘南地域には、簡易裁判所はある。
鎌倉簡裁、藤沢簡裁、平塚簡裁である。
しかし、地家裁はない。

最近驚いたのは、横須賀支部(横須賀、逗子、葉山その他三浦半島の自治体を管轄)の弁護士人数が、前記のとおり、42人ということ。

湘南は、支部はないが、弁護士数は

鎌倉19人、藤沢42人、茅ヶ崎7人、寒川町1人、平塚市19人。合計88人。

つまり、湘南には、横須賀支部の倍以上の弁護士がいる。相模原支部の弁護士数も上回る。

湘南の弁護士数は、横須賀、相模原よりも多く、一大勢力なのである。

地家裁の建物を建てるとしたら、辻堂のCX地域や、藤沢簡裁の敷地など、広い土地はある。
ゆえに、規模、弁護士数、インフラ等には、何ら問題はない。

ちなみに、ここで、エピソードを1つ。

神奈川県で最後にできた支部は、相模原支部。ここは、住民運動で実現した。
相模原市は、政令指定都市化に関しても住民運動で実現。

地域柄、住みやすさ、知名度、地元のブランド力などの向上へのこだわりが強いと思う。

もちろん湘南人の地元への愛着は半端ない。湘南に住むことに誇りを持ち、満足している。自由を満喫している人が多い。

その真意は

好きな人が自由に住んで、自分達が自由に楽しく暮らせれば、それでいいじゃないという、自己満足度と地域肯定感が高いという点ではないか。

また、あまり住民運動など、目立つこと、堅苦しいことは好きではない。

というものだと思う。

それゆえ、要は、私は

市民や弁護士が湘南に支部を作る意味やメリットはなく、興味もないから、支部がない。

のだと思う。

ただし、藤沢簡裁に「家庭裁判所の出張所」は併設してほしいと思う。このような声は多い。

家事事件は数が多く、関内の本庁まで、弁護士のみならず、依頼者もが行かなければならない。
これは、ことのほか不便だからだ。

なお、地裁は、基本的に弁護士だけ行けばよいから、依頼者には不便ではない。
そんなわけで、地裁湘南支部は、このまま不要でいいと思う。
# by ofuna-law | 2014-07-31 06:54 | コラム
10の専門家(士業)による合同無料法律相談会の件。まだ相談者枠があります。

すぐに予約を。

日時
平成26年8月9日10:00~16:00(その中で30分から45分程度)

場所
藤沢市市民活動推進センター
藤沢市藤沢1031小島ビル2階

予約・お問い合わせ
0120-998-707
鈴木税理士事務所
# by ofuna-law | 2014-07-26 13:07 | 人脈 友人知人
ふと興味がわいて、大船藤沢辻堂平塚の地名の由来について調べてみた。ただし、ネットでなので原典にはあたっていない。

結論的に、一貫した共通点が見えてきた。

つまり、これらは全て湘南地域にあるが、地形的には、海(相模湾)に面した土地であり、そのことが、地名由来に大きく関わっているということだ。

それは、遥か昔の湘南の海岸線が、いまよりもずっと山よりで、湘南の東西を走る東海道線の南手前くらいまでは、海岸線だった(正確な地理は調べておらず、多くのネット記事を読む限りイメージ)ということとも関係する。

海岸線が山よりであったため、砂浜、砂丘のほか、海へと水が流れていく川、その周囲の湿原、湿地、沢など、この地域は、水地帯といえるような土地であったようだ。

まず、大船の由来。

ここは、まさに昔は、湿地帯の中に、丘が点在する土地であった。

それは、大きな船が入れるほどのものだったとのこと。そう、この大きな船から「大船」となった。それに似た説が、粟を積んだ船が出入りし、そこから「粟船」となり、それが「大船」に転じたというもの。ちなみに、大船の鎌倉よりに常楽寺というお寺があるが、その山号を粟船山という。

これらの説は、やはり、この地域が海岸から近い水地帯であったことを示す。

なお、丘も多かったことに着目し、その丘の形状が船に見えたとして、大船という説もある。
また、あくまでも私見であるが、「大船に乗ったつもり」という言葉があるように、大船は縁起のいい言葉であり、地名として相応しかったのではないか。

余談だが、大船には、屋号などに「田園」の表記が非常に多い。大船事務所の1階は田園印刷所だ。では、なぜ田園なのか。この点、大船には田園という住居表示はない。

田園の由来だが、昔、まちづくり策として、世田谷の田園調布を目指した「大船田園調布計画」というのがあったということから来ている。実現はしなかった。ただ、田園という表記は多く残ったと。
この計画が実現していたら、どうなっていたかを想像するだけでも、楽しい。そして、残念である。

次に藤沢。

藤の木が多かったという説がまことしやかにいわれるが、これは最近になって言われるようになった俗説。由来とは関係ないといわれる。

また、藤沢姓の有力武士の館があったことから、藤沢となったともいわれる。しかし、その有力武士が館を建てたときには、もうすでに藤沢という地名があり、その武士は土地名を名乗ったもの。由来とは言い難い。

最も妥当とされるのが、「淵沢」が転じて「藤沢」となったという説。

すなわち、やはり藤沢も水地帯であり、淵や沢が多い土地で、そのために、淵沢と呼ばれるようになった。これが、藤沢となったと。
訛り言葉として変化したか、あるいは、淵よりは藤のほうが、地名としては相応しいとされたのではないか。

ちなみに、藤沢駅北口のマックやセンチュリー21、てるるという携帯ショップ、ファミマがあるあたりは、字を横須賀という。

この須賀とは、詳しくは後述するが、神奈川では、横須賀と同じだ。

もともと「スカ」とは、海に沿った高地、砂丘、砂地という意味。横須賀は、横に砂丘や海岸がある土地という意味といわれる。

そうすると、藤沢駅北口直近に、「字横須賀」という地名があるのは、昔は、ここが海岸線に近く、砂浜、砂丘があり、その上に集落があったと考えて自然だ。

次に辻堂。

辻堂もやはり水地帯であった。たとえば、浜見山は、昔は砂丘。浜が砂丘の上から広く見通せたという。
柳島は本当に島だった。後に陸地化した。
その他、南湖なども水に関連する。おそらくではあるが、湖の南の土地、逆に、湖が南にある土地というのが由来であろう。

そもそも、辻堂は、もともと八松ヶ原と呼ばれていた。砂浜に八本の松があったことからきているらしい。
八松ヶ原という地名も、このように、海が関係している。

それが辻堂と呼ばれるようになったのだが、この名はだいぶ水関連からはずれる。ちょっと残念。

辻堂の由来は、漢字を見ると推理できる。
「辻」と「堂」。
現在はもう僅かしか遺稿が残っていないが、辻堂には、鎌倉街道の十字路があった。十字路とは辻。そして、その十字路にお寺があった。お寺とは堂。

ちなみに、問題は、その場所。
辻堂には現在3つの寺がある(昔はもう1つあったとのこと)。
それぞれが、我こそが「堂だ」と主張している。
この中でも、地域では「南の寺」と呼ばれる宝泉寺が、その堂であろう。

それは、鎌倉街道が直近を走っていた点だ。これは動かしがたい事実。
また、地元ではこの宝泉寺を中心とした東西南北が、それぞれ東町、西町、南町、北町といわれている点。

あと、これは、あくまでも私見であるが、前述のように、辻堂と呼ばれる前は、この地域は八松ヶ原と呼ばれていたという点。この八松という地名は、いまの住居表示には知る限りでは見当たらない。ただ、一番に思い当たる八松という表記として、八松小学校がある。
この八松小学校が、宝泉寺のすぐそばだ。

結局のところ、辻堂は、この宝泉寺を中心として発展していた地域と考えるのが妥当だろう。

最後に平塚。

これも諸説が割れているが、砂浜、砂丘、水、海に関連した地名という共通点が見いだせるという私見からすると、次の説が最も説得的といえる。

前述のとおり、「スカ」とは、海に沿った高地、砂丘、砂地などの意味がある。

そして、平塚には、馬入川の河口に、須賀港という港がある。いまでこそ、海釣りの地としての知名度くらいであるが、江戸時代は、ここが水運の地としてものすごく栄えていた。
むしろ、平塚の中心が須賀港であったといってよかった。

全国の回船が須賀港に集まり、馬入川を遡って、厚木や相模原の方へと物資を運んでいた。

この須賀港自体、いまでも須賀=「スカ」と呼ばれ続けている。まさに海沿いであり、砂浜がある土地にほかならない。

そして、平塚の「塚」は、この「スカ」が「ツカ」に変化したのではないかという考えが有力だ。
昔の人がスカをツカと訛っても、不思議ではない。

では、平塚の「平」とは?
地名としての「ヒラ」は、斜面を表す。すなわち、平は、丘ということ。
この丘は、これも私見であるが、普通の土の丘ではなく、砂丘を意味すると思う。

それは、いま、平塚の南側は、坂も丘もない真っ平らな地域。

もし、ヒラが土の丘であったなら、時代とともに、簡単に平らになるだろうか。
一方で、もし、砂丘であったなら、時代とともに、平らになりやすい。

前述の辻堂の「浜見山」も、海が見渡せた砂丘であったとされるが、いまは砂丘は影も形もない平地だ。

よって、「ヒラツカ」という呼び方そのものも平塚の地形、すなわち、砂浜、砂丘、ひいては、海を由来しているといえよう。
# by ofuna-law | 2014-07-21 11:07 | 地域の出来事 歴史 研究等
本日、平塚八重咲町法律事務所が開業しました。

ちなみに、場所等は
平塚市八重咲町18-25寺本ビル3階
電話0463-79-6014
です。

本日午前中は、8時に事務所に出て、荷物の整理やらをしました。
その後、パソコンのネットワークを組む業者さんが来たり、ビジネスフォンの業者さんが来たり、バタバタしていました。

平塚八重咲町事務所の特色は

「日曜日終日営業」・金土祝定休(営業時間9:00~17:30)
です。
※当初、「土曜日及び日曜日終日営業」・火水祝定休(営業時間9:00-17:30)としていましたが、変更いたしました。

今回、しっかりと地元平塚に密着し、また、新支店を着実に軌道に乗せたいと考え、私が、辻堂法律事務所から平塚八重咲町法律事務所に移ります。

今後とも、よろしくお願いします。

平塚八重咲町法律事務所
〒254-0811
平塚市八重咲町18-25寺本ビル3階
電話0463-79-6014
FAX0463-79-6714
# by ofuna-law | 2014-06-19 13:00 | これまでの事務所運営
JALの雑誌を見ていたら福岡市のランドマークという「旧日本生命九州支店」の大きな写真が。
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これを見て、すぐ、横浜地裁の隣の通称「ジャック」こと、横浜開港記念会館を思い出しました。
横浜地裁は、仕事柄、一番行く裁判所。その敷地内には、横浜弁護士会館も、横浜地方検察庁もある。その隣(正確にはその三軒の道を挟んで向かい)に、この横浜開港記念会館は佇立しています。
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調べてみると、「赤煉瓦に白い花崗岩の化粧帯を走らせ、大きなドームを王冠のように載せる」という、この建築様式を、「辰野式建築」と呼ばれるそうです。

辰野とは、辰野金吾という建築家。辰野は、工部大学校(現東京大学工学部)第1期生の首席で、ジョサイア・コンドルに師事したという、その道では著名な建築家ということです(知らなかった)。

辰野式建築の中で、これまで私が既に観光していたものも見つかりました。

まずは、岩手銀行旧本店本館です。
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また、東京駅があります。
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さらに、ここは行ったことがないですが、大阪市中央公会堂も、辰野式建築の代表とのことです。
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辰野式建築は、辰野だけでなく、その弟子たちによって全国に広められました。

さて、以上の中で、1つだけ、辰野の作ではなく、その弟子の作品があります。それはどれでしょうか?(笑)

それが、まさに「横浜開港記念会館」です(笑)。
辰野の弟子である福田重義が設計しました。
他にはない高い時計搭があり、他と比べて非常にシャープな印象です。辰野の作は、どちらかというと、どしんと大きくて重い印象で、なんとなくですが、素人なりに違いを感じます。

辰野式の特徴である「大きなドームを王冠のように載せ」ている上、近くに神奈川県庁という、県の長がおり、ここの通称が「キング」ということから、横浜開港記念会館は、「ジャック」と呼ばれるのかな。

そう想像しました。
# by ofuna-law | 2014-03-02 14:04 | 地域の出来事 歴史 研究等
↓こちらが藤沢市ダブル成人式(FJS48)公式ホームページです。ぜひクリックしてください↓
藤沢市ダブル成人式(FJS48)公式ページ
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ダブル成人式は、去年藤沢市で全国初開催されたとのこと。20歳×2=40歳とのことで、ダブル成人式。

要は、沢山の人に来てほしいので、よろしくお願いいたします(ここは本気)。

申込みは以下のリンクから。
藤沢市ダブル成人式申込フォームhttp://fujisawa048.tumblr.com/applicationform
# by ofuna-law | 2014-02-16 14:21 | 地域の出来事 歴史 研究等
古代ギリシャには「愛」を示す言葉が3つあった。

アガペー 無償の愛
エロス 純愛
フィリア 友愛や同胞愛

弁護士とお客様は、お互いにフィリアの関係であるべきだと思う。

当事務所は、お客様が弁護士だったら、どうしたいかを考える事務所でありたいというスタンス。

それは、フィリア、すなわち、自分と同じように他人を愛するということだと思います。
# by ofuna-law | 2013-12-22 19:13 | 今の関心事

チラシです

最終版チラシの画像です。
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# by ofuna-law | 2013-07-27 01:15 | これまでの事務所運営

新ホームページ

弁護士法人プロフェッションの新ホームページ,遅ればせながら,本日アップしました!

ぜひご覧ください。

弁護士法人プロフェッションの新ホームページ

この記事にコメントにより,ご意見をください。
あるいは,事務所のアドレス,info@prof-law.comでもかまいません。
色々と参考にさせていただきます。
# by ofuna-law | 2013-07-18 09:41 | これまでの事務所運営
将棋棋士がコンピューター「GPS将棋」に負けた。

でも、このコンピューター、666台のiMac と、13台のサーバ(その内3台は詰将棋ルーチン用)で動作する総計679台から構成。

極端な例えですが、ボルトが100メートル走で、馬(一馬力)に勝てないのと、同じじゃん。当たり前だろ?って感じ。

人1人の脳と同じスペック、処理能力・記憶容量のコンピューターで勝って初めて、私はプロ棋士の敗北を認める。

百歩譲って、679人のプロ棋士の総力vsGPS将棋で対戦してよって感じ(笑)。

さて、弁護士の仕事も、いずれ将来的にコンピューターに負けるのか?

結論として、ほぼ負けるでしょう。

確実に、条文、判例、経験則からの事実の推理認定等、知識として記憶し、記憶すべきデータ量は、将棋でいう定石や棋譜を覚えさせるのとおなじなので、将棋同様、確実に負けます。

また、将棋では、そのデータ量をベースに、人工知能で、試合の局面局面での最善手を探すようですが、ここも、負けそう。

法律相談の内容は千差万別ですが、圧倒的な事例量を記憶していれば、あとは人工知能で、個別具体的に修正をきかせればいいと思うので、ここも負けそう。

ですが、勝てるとすれば、相談者の説明の言葉一つ一つの合間にかいまみえる、息継ぎや無言の時間、相談者がかんがえていたり、うまく言えなさそうにしている間に同席していると、相談者の言わんとしようとすることがうまく言えない感じの声なき声として分かったり、表情の微妙な変化、同じ言葉でも気持ちの入り具合の強弱、関係なさそうにみえて実は関係している話、言葉を聞いているうちに分かってくる、要するに、何を言いたいのか、要するに、弁護士に何をどうしてほしいのか、を鋭く察知すること。

そこは、同じ人間であり、かつ、専門家として相談者と対応している経験数から、なんとなく相談者の心が読み取れるようになってきまる。
あと、前例にないことでも、相談者の気持ちに共感できるなら、むしろ新しい前例を作るために、法的にどのような方法を取ればいいのか知恵を絞りに絞る努力。

そこだけなのではないかと思います。
# by ofuna-law | 2013-05-12 14:16 | 今の関心事

SHONAN TSUJIDO

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辻堂に点在するベンチです。

設置当初は、湘南に辻堂というところがあるというアピールだったのでしょうが、近年の辻堂の発展で、辻堂が湘南ということは周知さてきているように思います。

# by ofuna-law | 2013-05-10 15:15 | 地域の出来事 歴史 研究等
環境依存文字でしょうが,けものへんに解と書いて,「獬(かい)」。
ある人に教わりました。

(意味)
1 牛に似た神獣の名。人の戦うのを見れば,その邪悪な方を角で突き,人の議論を聞けば,その不正の方を噛むという。後世。この図を裁判官の服に描く。
2 司法官のかぶる冠の名。獬(かい)冠。

西洋で法を司る神がテミス。
獬は東洋でいうそれでしょう。

wikipediaにありました「カイチ」で検索してみてください。

文字を画像で表示しておきます。
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# by ofuna-law | 2013-05-07 22:17 | 法律 論点 解釈
井上ひさしさんの言葉で

むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書く

というのがあります。

戯曲小説文筆家だから、「ゆかい」「書く」。

弁護士だと、「ゆかい」は、お客様との関係では違うけど、なるほどといえるし、「書くこと」は、それだけでなく、「話す(説明する)こと」も含め、同じだなあと思います。
# by ofuna-law | 2013-05-05 05:13 | スタンス

憲法記念日

法律は、国民に向けた規範。
憲法は、国家に向けた規範。

そこが根本的に違います。

過去、数々の権力が暴走し、人々が苦しめられた反省から、生み出された人類の叡知の結晶が憲法です。
国家に向けた規範として、国家を縛るのです。

改憲はしてもいいけど、一法律家として危惧を感じます。

一旦緩い憲法にしてしまうと、国家の暴走を憲法で縛れなくなる可能性があります。
# by ofuna-law | 2013-05-04 13:18 | 法律 論点 解釈
交渉でも証人尋問でも、こちらがどう言ったら(どう質問したら)、相手がどう言うか(どう答えるか)、それについて、こちらはどう言うか(どう質問するか)、それについては、という繰り返しを最後まで練りに練っておいて、自分がもって行きたい(引き出したい)発言へと追い込んでいくイメージをもち、常に先手を打って、先を先を読んで、将棋やチェスのイメージで進めます。

特に、証人尋問では、想定問答集を必ず作ります。

途中、答えが分岐することは勿論ありますので、出来る限り答えが分岐しないように、質問を工夫します。

それでも、答えが分岐しそうなときは、質問をクローズドクエスチョン(極端にいえば、イエスかノーかでしか答えられないような、答えの自由度がない質問)にして、もって行きたいほうへ答えるよう、質問を更に工夫します。

分岐が避けられないときは、分岐させるしかないので、ツリー状に答えが広がっていきますが、そこもふまえながら想定問答を作ります。

ですが、最終的には、 もって行きたい発言へ追い込むことを最優先にします。

勿論こちらに都合のいい方にもって行くことが最優先ですが、それができないときは、逆に相手の都合のいい方にあえてもって行くこともあります。

そのときは、大貧民でいう「革命」のようなかくし球の決定的証拠を突然出し、相手の都合のいい答えを根底から覆せないかを考えています。

最後まで暖めていたかくし球を出して、証人が崩れ去るときは、背筋 がゾゾゾとします(笑)。

一回だけ、私の得意技でもあるかくし球を出したとき、相手方優勢という心証を持っていた裁判官の表情が一瞬にして変わり(こちらの主張が実は正しかったという心証に引っくり返ったため)、急に激怒し、「そんな決定的証拠を持ってるなら、もっと早く出しなさい!」と、叱られたことがあります(笑)。

そのあと、別事件でその裁判官にあたるたびに、「お分かりかと思いますが、お手持ちの証拠は、先に早く提出してください」と常々言われるようになりました(苦笑)。
# by ofuna-law | 2013-04-15 11:22 | スタンス

最近好きな言葉たち

1 千里の道も一歩から。~格言

2 子曰、徳不孤、必有鄰。(子曰わく、徳は孤(こ)ならず。必らず隣あり。)~孔子

3 やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。~山本五十六

4 真は地より生え、義は天より見下ろせり。~出典不明

5 前進できぬ駒はない。~中原誠

6 適正かつ妥当な事実認定をしたいということは、我々実務家の永遠の願望であり、終生の目標である。~司法研修所編「供述心理」

7 ストライクをとるにはセンターピンを倒さなければならない。だから、まずはセンターピンを探せ。~井口雅博

8 世に生を得るは事をなすにあり。~坂本龍馬
# by ofuna-law | 2013-04-14 08:03 | 今の関心事

後ろ向きな前向き

ご存知のとおり、弁護士は、お客様の人生の大問題を仕事にしてます。

なったばかりの初期のころは、お客様の過去へ過去へと、かつ、嫌なことへ嫌なことへと、後ろを向いて、しかも、できるかぎりの最善の結果を出さないといけない仕事ですし、同時に多種多様多数の人生の大問題を抱える荷の重さもあって滅入り、「結婚式場のスタッフみたいな仕事につきたいな ~」と夢想ばかりしてました。

でも、一つ一つ解決が積み重なるにつれ、案件終了時に、お客様から少なからず感謝され、初めは沈うつだったお客様の顔が、はればれとされているように思え、実は、皆様、わざわざ費用等をかけて相談するのは、それだけの人生の大問題であり、お客様なりに終止符を打ち、人生をリスタートしたい一心なのだと、はなはだ遅まきながら感じるようになりました。

それから、肩の荷がストーンと落ち、僕の仕事も結婚式場のスタッフとおなじで、人生の門出を送り出す前向きな仕事だと今更ながら気付き、滅入ったりすることも激減し、むしろ、奮起できて、力強く仕事ができるようになったと思うようになり、現在に至っています。
# by ofuna-law | 2013-03-12 07:11 | プロフィール 

プロフェッション

弁護士法人プロフェッションを立ち上げてから、住職さん2名、医師1名と飲み会等でお話しする機会がありました。

プロフェッションとは、欧米で、宗教家、医師、弁護士をさし、人の悩みを解決することを天地神明に誓う専門職のこと。

宗教家は心の悩み、医師は体の悩み、弁護士は人間関係の悩みをそれぞれ解決するための仕事で、欧米では、これら3つをプロフェッションと説明すると、納得されていました。

プロフェッションとしての自負を共有できてると思いました。
# by ofuna-law | 2013-02-27 05:18 | プロフィール 

辻堂という街

プロフェッションの支店は辻堂駅の北口、辻堂新町にあります。

住居も、辻堂に引っ越してきました。
地元を知ることが必要と思ったからです。

出身の藤沢市亀井野(六会)と辻堂は同市内で、車で15分ほど。互いに遠くないです。
が、辻堂は、昔駅舎が小さかった記憶や、家具の大正堂、湘南モールフィルやMr.MAXに時々行っていた程度。

おそらく、辻堂の方も、六会は近いのに遠いのではないでしょうか。

さて、8月から住み始め1月から事務所を開いた現時点の辻堂のいいところ等を挙げます。

もちろん、辻堂駅直結のテラスモール湘南。肉を買うならそこのタカギフーズ。

それと、事務所のビル、プリメロ湘南の一階にある焼き鳥屋さん「鳥人」、羽鳥のラーメン屋「めんめん亭」。とんかつなら「大関」。
日常品の買い物は、ヨークマート。ドラッグストアは、サンドラック。

一度は買うふりをして行きたいポルシェの販売店。
テラスモールのちょっと北に、1500メートル掘って温泉を涌かせたスパ(フィットネスもある)、ココカラというところがあり、朝いつも行列。空いているときに一度は行ってみたい。
家具なら大正堂。

北口の再開発地域を除き、街が古くからそのままなので、狭い道が迷路のように張り巡らされていて、すぐ迷うし、車のすれ違いが大変。だんだん道が狭くなったり、行き止まりになったり、車で曲がれない角度の曲がり角も多い。

土日のテラスモール渋滞はすごくて、中に入ったら最後。テラスモールに行くつもりがないのに、迂回路がない。

辻堂駅の西側半分からはもう茅ヶ崎市。
茅ヶ崎市の人で、どこに住んでいますか?と聞かれ、普通に辻堂です。という方が多い。
辻堂に住んでいると言われれば、藤沢市民だという固定観念がありました。

駅の北口はタワーマンションが増えているのに対し、南口は、低層住宅地域規制があるようで、賃借ならテラスハウスが一般的で、いたるところに建っている。

現状、そんな感じです。
# by ofuna-law | 2013-02-17 13:10 | 地域の出来事 歴史 研究等

湘南に3つ ―大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町―法律事務所を置く 弁護士法人プロフェッションの いち弁護士が 思いや出来事を時々つづるブログ


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