大船法律事務所 辻堂法律事務所 平塚八重咲町法律事務所の某弁護士の述懐

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湘南に3つ ―大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町―法律事務所を置く 弁護士法人プロフェッションの いち弁護士が 思いや出来事を時々つづるブログ

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「湘南」の由来と範囲

「湘南」については、その由来にも、範囲にも、それぞれ争いがある。

まず由来の点は、歴史そのものだから、なんといっても古文書がなければ語れないが、残っている古文書は稀少だし、残っていても、記載の真偽が問われる。ゆえに、遡って歴史を論ずるのは自由。だからこそ歴史はおもしろいといえる。

裁判で、お互いの言い分(主張)はあるけれども、その証拠があるのか、あるとして真偽は定かかを問い、真相を探るのに似ている。

元々、中国にある河川「湘江」の南部に、古代は長沙国湘南県という所があって、そこから転じたのは争いがないようだ。

これを前提に、一説は、その地は禅宗が栄えていたと。
日本では鎌倉仏教が禅宗。だから、鎌倉時代に禅宗の僧が鎌倉周辺を湘南というようになった・僧が書いた古文書に湘南の文字がある、これがこの説である。
鎌倉説と呼ぶことにする。

他方、室町時代に大磯の鴫立庵に「著盡湘南清絶地」という石碑が建てられたことを由来とする説もある。
室町説と呼ぶことにする。
鴫立庵から相模川を望む河口付近の絶景が湘江のそれを思わせたからともいわれ、ここでもキーワードは湘江。
(ちなみに、本記事は、上記石碑のレプリカが2016年新たに大磯駅前に設置されたことから執筆した。)

昭和に入り、太陽族とサザンオールスターズで、江の島付近(藤沢)と隣接の茅ヶ崎が湘南の中心地となる。これは、由来というよりはむしろ範囲のほうの見解となるが、昭和説と呼ぶことにする。

範囲の点は、これら3つの説を軸に、その系統あるいは亜種に位置づけられる説が百花繚乱の様相を呈し、湘南とはどこなのかが熱く語られる。

ちなみに、神奈川県南岸の自治体は、西から順に、湯河原、真鶴、小田原、二宮、大磯、平塚、茅ヶ崎、藤沢、鎌倉、逗子、葉山、横須賀、三浦、横須賀、横浜、川崎である。
真鶴半島と三浦半島に挟まれた小田原~三浦までが相模湾。
湘江に見立てられた相模川は、平塚と茅ヶ崎の市境を南北に流れている。

例えば、葉山・逗子を湘南であるという人は、鎌倉説を軸に、鎌倉とのゆかり(頼朝と三浦一族)のほか、(昭和説が混じって)太陽族といえば石原裕次郎・慎太郎であって、この兄弟の住まいが逗子であったことと、観光地としては江の島と鎌倉は一体で、だとすると、鎌倉と逗子・逗子と葉山は相互に一体であって全体で一地域をなすとして、葉山・逗子は湘南であると論じる。

また例えば、平塚を湘南であるという人は、室町説を軸に、湘江に見立てられた相模川及びその河口は正に平塚に属するし、地域的に平塚は大磯に隣接し一体性があり、室町説には当然平塚が含まれると論じる。そして、昭和説に対しては、歴史の浅い新出説と批判し、鎌倉説は湘江に見立てられた相模川からみると位置的に遠すぎると批判するのである。

一方で、平成6年に湘南ナンバーが相模ナンバーから分離され独立した。
これにより、上記自治体のうち、藤沢以西は小田原までのみならず、湯河原や、海に面していない秦野、伊勢原、寒川、南足柄、足柄上・下郡もが湘南ナンバーの地域となった。そして、これら全てが湘南であると論じられるようになる。
平成説と呼ぶことにする。

平成説の出現により、範囲の点では最有力説であった昭和説が正当化され、のみならず、室町説も追認されることになったといえる。
ところが、新たな問題として、海に面さない秦野等や足柄地域までもが湘南なのかという派生的争点と、鎌倉以東は湘南ナンバーではないので、鎌倉説が覆され、鎌倉説を強い根拠としていた逗子・葉山をも湘南であることが覆されかねないという、仁義なき蒸し返し論争までをも招くことになった。

こうなると、もう由来や範囲をどうのこうのすること自体煩わしい。
それに、単に神奈川県内の一部地域内部の論争にすぎず、そもそも他県民にとってはどうだってよい話なのだろう。

そこで、調べた範囲では論者がいないが、「湘南」という漢字に着目し、それだけ解決する問題と考えてしまうのはどうか。

漢字に着目するだけでいいなら、相にサンズイがついて南、であり、相は相模国を意味し、サンズイは水を意味し、南は文字通りであるから、単に「相模国の南部の海沿い」の意だ。

相模国という呼ばれ方は律令制時代の西暦700年代から始まるとのこと。
その後鎌倉時代までは400年(1100年代),なお室町時代までは600年(1300年代)。
相模国という名の周知後ほどなく、その南部の海沿いは湘南とされたのではないか。
書けば、位置や範囲がすぐ分かり都合がよいというのも理由のひとつ。

そうであれば、鎌倉時代よりもっと前から湘南という場所も使われ方もあったといえる。

従来、由来として最古の鎌倉説も、鎌倉時代の僧は漢字が書け、かつ、稀少な古文書として残っただけのこと。室町説も石碑として最古にすぎないだけ。昭和説はトレンド、平成説はナンバーというだけとなる。

恐れ多い独自説であるが、律令制が整ったのは奈良時代だから、奈良説と呼ぶことにする。

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by ofuna-law | 2016-02-25 09:28 | 地域の出来事 歴史 研究等

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