大船法律事務所 辻堂法律事務所 平塚八重咲町法律事務所の某弁護士の述懐

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湘南に3つ ―大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町―法律事務所を置く 弁護士法人プロフェッションの いち弁護士が 思いや出来事を時々つづるブログ

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神奈川・横浜には、地裁地検弁護士会に、「湘南支部」がない。
それはなぜか。

要は

支部に興味がない、さしたるメリットを感じない。
支部のしがらみに縛られたくない。

だと思う。

そもそも、神奈川(横浜弁護士会)には、弁護士が1430人いる。

管轄は、関内の本庁のほか、川崎支部(194人)県西支部(111人)、横須賀支部(42人)、相模原支部(71人)がある(括弧内は、所属弁護士数)。

そもそも、「湘南の範囲とは?」に関しては、論争があるが、ここでは、鎌倉、藤沢、茅ヶ崎、寒川町、平塚とすることにする。

このうち、鎌倉~寒川町までは、本庁管内に、一方、平塚は、県西支部管内に、それぞれ属する。

これら湘南地域には、簡易裁判所はある。
鎌倉簡裁、藤沢簡裁、平塚簡裁である。
しかし、地家裁はない。

最近驚いたのは、横須賀支部(横須賀、逗子、葉山その他三浦半島の自治体を管轄)の弁護士人数が、前記のとおり、42人ということ。

湘南は、支部はないが、弁護士数は

鎌倉19人、藤沢42人、茅ヶ崎7人、寒川町1人、平塚市19人。合計88人。

つまり、湘南には、横須賀支部の倍以上の弁護士がいる。相模原支部の弁護士数も上回る。

湘南の弁護士数は、横須賀、相模原よりも多く、一大勢力なのである。

地家裁の建物を建てるとしたら、辻堂のCX地域や、藤沢簡裁の敷地など、広い土地はある。
ゆえに、規模、弁護士数、インフラ等には、何ら問題はない。

ちなみに、ここで、エピソードを1つ。

神奈川県で最後にできた支部は、相模原支部。ここは、住民運動で実現した。
相模原市は、政令指定都市化に関しても住民運動で実現。

地域柄、住みやすさ、知名度、地元のブランド力などの向上へのこだわりが強いと思う。

もちろん湘南人の地元への愛着は半端ない。湘南に住むことに誇りを持ち、満足している。自由を満喫している人が多い。

その真意は

好きな人が自由に住んで、自分達が自由に楽しく暮らせれば、それでいいじゃないという、自己満足度と地域肯定感が高いという点ではないか。

また、あまり住民運動など、目立つこと、堅苦しいことは好きではない。

というものだと思う。

それゆえ、要は、私は

市民や弁護士が湘南に支部を作る意味やメリットはなく、興味もないから、支部がない。

のだと思う。

ただし、藤沢簡裁に「家庭裁判所の出張所」は併設してほしいと思う。このような声は多い。

家事事件は数が多く、関内の本庁まで、弁護士のみならず、依頼者もが行かなければならない。
これは、ことのほか不便だからだ。

なお、地裁は、基本的に弁護士だけ行けばよいから、依頼者には不便ではない。
そんなわけで、地裁湘南支部は、このまま不要でいいと思う。
by ofuna-law | 2014-07-31 06:54 | コラム
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by ofuna-law | 2014-07-26 13:07 | 人脈 友人知人
ふと興味がわいて、大船藤沢辻堂平塚の地名の由来について調べてみた。ただし、ネットでなので原典にはあたっていない。

結論的に、一貫した共通点が見えてきた。

つまり、これらは全て湘南地域にあるが、地形的には、海(相模湾)に面した土地であり、そのことが、地名由来に大きく関わっているということだ。

それは、遥か昔の湘南の海岸線が、いまよりもずっと山よりで、湘南の東西を走る東海道線の南手前くらいまでは、海岸線だった(正確な地理は調べておらず、多くのネット記事を読む限りイメージ)ということとも関係する。

海岸線が山よりであったため、砂浜、砂丘のほか、海へと水が流れていく川、その周囲の湿原、湿地、沢など、この地域は、水地帯といえるような土地であったようだ。

まず、大船の由来。

ここは、まさに昔は、湿地帯の中に、丘が点在する土地であった。

それは、大きな船が入れるほどのものだったとのこと。そう、この大きな船から「大船」となった。それに似た説が、粟を積んだ船が出入りし、そこから「粟船」となり、それが「大船」に転じたというもの。ちなみに、大船の鎌倉よりに常楽寺というお寺があるが、その山号を粟船山という。

これらの説は、やはり、この地域が海岸から近い水地帯であったことを示す。

なお、丘も多かったことに着目し、その丘の形状が船に見えたとして、大船という説もある。
また、あくまでも私見であるが、「大船に乗ったつもり」という言葉があるように、大船は縁起のいい言葉であり、地名として相応しかったのではないか。

余談だが、大船には、屋号などに「田園」の表記が非常に多い。大船事務所の1階は田園印刷所だ。では、なぜ田園なのか。この点、大船には田園という住居表示はない。

田園の由来だが、昔、まちづくり策として、世田谷の田園調布を目指した「大船田園調布計画」というのがあったということから来ている。実現はしなかった。ただ、田園という表記は多く残ったと。
この計画が実現していたら、どうなっていたかを想像するだけでも、楽しい。そして、残念である。

次に藤沢。

藤の木が多かったという説がまことしやかにいわれるが、これは最近になって言われるようになった俗説。由来とは関係ないといわれる。

また、藤沢姓の有力武士の館があったことから、藤沢となったともいわれる。しかし、その有力武士が館を建てたときには、もうすでに藤沢という地名があり、その武士は土地名を名乗ったもの。由来とは言い難い。

最も妥当とされるのが、「淵沢」が転じて「藤沢」となったという説。

すなわち、やはり藤沢も水地帯であり、淵や沢が多い土地で、そのために、淵沢と呼ばれるようになった。これが、藤沢となったと。
訛り言葉として変化したか、あるいは、淵よりは藤のほうが、地名としては相応しいとされたのではないか。

ちなみに、藤沢駅北口のマックやセンチュリー21、てるるという携帯ショップ、ファミマがあるあたりは、字を横須賀という。

この須賀とは、詳しくは後述するが、神奈川では、横須賀と同じだ。

もともと「スカ」とは、海に沿った高地、砂丘、砂地という意味。横須賀は、横に砂丘や海岸がある土地という意味といわれる。

そうすると、藤沢駅北口直近に、「字横須賀」という地名があるのは、昔は、ここが海岸線に近く、砂浜、砂丘があり、その上に集落があったと考えて自然だ。

次に辻堂。

辻堂もやはり水地帯であった。たとえば、浜見山は、昔は砂丘。浜が砂丘の上から広く見通せたという。
柳島は本当に島だった。後に陸地化した。
その他、南湖なども水に関連する。おそらくではあるが、湖の南の土地、逆に、湖が南にある土地というのが由来であろう。

そもそも、辻堂は、もともと八松ヶ原と呼ばれていた。砂浜に八本の松があったことからきているらしい。
八松ヶ原という地名も、このように、海が関係している。

それが辻堂と呼ばれるようになったのだが、この名はだいぶ水関連からはずれる。ちょっと残念。

辻堂の由来は、漢字を見ると推理できる。
「辻」と「堂」。
現在はもう僅かしか遺稿が残っていないが、辻堂には、鎌倉街道の十字路があった。十字路とは辻。そして、その十字路にお寺があった。お寺とは堂。

ちなみに、問題は、その場所。
辻堂には現在3つの寺がある(昔はもう1つあったとのこと)。
それぞれが、我こそが「堂だ」と主張している。
この中でも、地域では「南の寺」と呼ばれる宝泉寺が、その堂であろう。

それは、鎌倉街道が直近を走っていた点だ。これは動かしがたい事実。
また、地元ではこの宝泉寺を中心とした東西南北が、それぞれ東町、西町、南町、北町といわれている点。

あと、これは、あくまでも私見であるが、前述のように、辻堂と呼ばれる前は、この地域は八松ヶ原と呼ばれていたという点。この八松という地名は、いまの住居表示には知る限りでは見当たらない。ただ、一番に思い当たる八松という表記として、八松小学校がある。
この八松小学校が、宝泉寺のすぐそばだ。

結局のところ、辻堂は、この宝泉寺を中心として発展していた地域と考えるのが妥当だろう。

最後に平塚。

これも諸説が割れているが、砂浜、砂丘、水、海に関連した地名という共通点が見いだせるという私見からすると、次の説が最も説得的といえる。

前述のとおり、「スカ」とは、海に沿った高地、砂丘、砂地などの意味がある。

そして、平塚には、馬入川の河口に、須賀港という港がある。いまでこそ、海釣りの地としての知名度くらいであるが、江戸時代は、ここが水運の地としてものすごく栄えていた。
むしろ、平塚の中心が須賀港であったといってよかった。

全国の回船が須賀港に集まり、馬入川を遡って、厚木や相模原の方へと物資を運んでいた。

この須賀港自体、いまでも須賀=「スカ」と呼ばれ続けている。まさに海沿いであり、砂浜がある土地にほかならない。

そして、平塚の「塚」は、この「スカ」が「ツカ」に変化したのではないかという考えが有力だ。
昔の人がスカをツカと訛っても、不思議ではない。

では、平塚の「平」とは?
地名としての「ヒラ」は、斜面を表す。すなわち、平は、丘ということ。
この丘は、これも私見であるが、普通の土の丘ではなく、砂丘を意味すると思う。

それは、いま、平塚の南側は、坂も丘もない真っ平らな地域。

もし、ヒラが土の丘であったなら、時代とともに、簡単に平らになるだろうか。
一方で、もし、砂丘であったなら、時代とともに、平らになりやすい。

前述の辻堂の「浜見山」も、海が見渡せた砂丘であったとされるが、いまは砂丘は影も形もない平地だ。

よって、「ヒラツカ」という呼び方そのものも平塚の地形、すなわち、砂浜、砂丘、ひいては、海を由来しているといえよう。
by ofuna-law | 2014-07-21 11:07 | 地域の出来事 歴史 研究等

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