大船法律事務所 辻堂法律事務所 平塚八重咲町法律事務所の某弁護士の述懐

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湘南に3つ ―大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町―法律事務所を置く 弁護士法人プロフェッションの いち弁護士が 思いや出来事を時々つづるブログ

カテゴリ:地域の出来事 歴史 研究等( 29 )

弊所平塚の支所は,八重咲町にある。

強引に繋げるが,食用の「八重桜」の産地が秦野市である。塩漬けにして食する。
全国シェア7割を誇る日本一の産地が神奈川県にあるのである。

ソメイヨシノが散った後,満開を迎えるのが八重桜。先週辺り正に見頃で,秦野市における収穫もピーク。

たまたま林道ドライブの途中に通過したが,緑色(自然)と黄色(タンポポや菜の花)の世界に,八重桜のピンクが差し色になる牧歌的な風景が美しく,八重桜畑で花がどんどん摘まれていた。
ただ,高齢化した農家(摘み手)の後継不足が悩みだそうだ。神奈川新聞の記事になっていた。

これも強引な余談であるが,秦野市の車のナンバーは,湘南ナンバーである。秦野市は,平塚市の北西部に位置し,海(相模湾)にも,相模川にも,接していない(湘南の「湘」とは,「相にさんずい」ゆえに,語源的に,相模川や相模湾との関係は密接不可分と考えられる)。

湘南の現在の中心にあたる藤沢及び茅ヶ崎から特に,「秦野は湘南ではない」と揶揄されるのであるが,「湘南ではない」と言われることでは同じの平塚からすれば,「そんな了見の狭いこと言わず,この辺一帯みんな湘南でいいじゃないか」と思う(叩かれないように小声でしか言えないけど)。

湘南は,地域的に何と言っても「寛容」。その原点に立ち戻れば,それで何ら問題ないのである。

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by ofuna-law | 2017-04-25 10:05 | 地域の出来事 歴史 研究等
大岡裁きで有名な大岡忠相(越前)の菩提寺は、湘南内「茅ヶ崎市」の北部にある(浄見寺)。

大岡裁きの例は、色々あれど、解釈に一考を要するのが、次のもの。

どちらが本当の母かの争い。大岡越前の前で、2人の争う女が、子の手を引っ張る。痛がる子を見て、片方の女が手を離す。

大岡越前は、手を離した女を本当の親とした。
根拠は、本当の親だからこそ、痛がる子を見て、手を離したのであり、愛あればの証だと。

しかし、これには違う見方も存する。

本当の親ならば、偽者に渡してはならないと、子が泣いても心を鬼にして引っ張るのではないか。また、手を離した女も、執着が弱い、あるいは自分が偽者だから、鬼の形相の相手に根負けして、離さざるを得なかったのではないか。

近現代の裁判では、このような疑義をなくすために、証拠をもって勝敗を決め、証拠の中でも、客観的証拠を重視する(主観的証拠とは、供述のこと。嘘や誤認の余地が多くなる)。これを、証拠裁判主義という。

なお、上記例には、裏話があるといわれる。

大岡越前は、引っ張り合いだけで決めたのではない。裁きの前に、捜査を入れ証拠を掴んでおり、心証はもう事前に決まっていたというのである。
その上で、引っ張り合いをさせた。

結果的に、離した女を勝たせたが、もし、その女が離さなかったら、偽者許さじの親心を認定し、結局その女を勝たせようと考えていたというのである。

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by ofuna-law | 2017-04-24 00:02 | 地域の出来事 歴史 研究等
後北条氏の本拠「小田原城」。昨年リニューアルされ、過去最高の観光客が押し寄せている。

後北条氏は、戦国時代における関東の覇者である。初代早雲は下克上の先駆けでもある。
家康も、江戸城、江戸の街づくり、上水整備など、小田原を模した。

にもかかわらず、後北条氏はなぜ地味なのか。

地元に住む筆者が痛感するのだから、その地味感は自然な国民感覚であろう。

私見であるが、理由のひとつは、天下人秀吉に負けたこと。歴史における敗者は、勝者の歴史を華々しく飾る反作用として、殊更愚者として描かれる。

これは、例えば、桶狭間の勝者信長を上げるべく今川義元を愚者に下げる、大阪の陣の勝者家康を上げるべく豊臣秀頼を愚者に下げる等々、枚挙に暇がない。なお、近年、義元にせよ秀頼にせよ、その器量はとみに見直されている。

同じ構図が、後北条氏も正に当てはまると思うのである。

理由はそれだけでなく、もうひとつあると思っている。

小田原城陥落後、秀吉の命により、家康が関東に転封され、江戸を本拠とした。が、関東は、早雲公以来五代、70年以上にわたり後北条氏が支配していた地。

後北条氏への領民の信頼は厚く、領民にすれば、家康は完全に外様であった。
家康とすれば、関東の領民の信頼獲得の策を要したはずである。

この局面では、家康が、後北条氏を愚者とするのは、失政に繋がる。後北条氏を信頼する領民の反発を買うおそれがあるからである。

後北条氏を受け継ぎつつ、それを上回ることにより、後北条氏よりも家康がよいというように威光を高めていくのがよい。

現に、家康は、関東(少なくとも相模の国)の神社ほとんどに積極的に寄進をするなどした(後北条時代における小田原城の鬼門守護を担っていた二宮「川匂神社」への寄進は端的な一例であろう)。
それだけでなく、関東武士の祖である頼朝にあやかった。これは注目点である。頼朝を再評価し、自身を頼朝に重ね、その威光を利用したのである(地域的に頼朝と家康の伝説は多々残るのに、後北条氏の伝説は不思議にもすっぽり抜けた如く残っていない)。

こういった地道な政策が進めば進むほど、頼朝と家康が強調され、対して、後北条氏は、漸次薄れていくことになったように思う。

以上、ふたつの大きな理由により、後北条氏は地味になってしまったと考える。

ただし、まだまだ調査検討熟慮が必要な問題である。

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by ofuna-law | 2017-04-21 08:43 | 地域の出来事 歴史 研究等

辻堂駅開業100周年

辻堂駅は、1916(大正5)12.1に開業し、今年100周年を迎えた。
地元住民が資金と用地を提供招致した住民誓願駅という特徴がある。

100周年を機に、発車メロディーが地元ゆかりの「浜辺の歌」になった。

1872(明治5)10.14に新橋~旧横浜間で鉄道が開通。
それが東海道本線として西に延び、15年後の1887(明治20)7.11に国府津駅まできた。このとき、戸塚駅、藤沢駅、平塚駅、大磯駅が同時開業。いわゆる「湘南電車」だ。

ちなみにその後、
1888(明治21)11.1大船駅開業。
1898(明治31)6.15茅ヶ崎駅開業。
1902(明治35)4.15二宮駅開業。
辻堂駅はこの後の開業になる。

国府津から西は、1920(大正9)10.21に小田原駅が開業。
このとき、鴨宮駅の前身の酒匂川信号所が開設され、1923(大正12)6.1に駅に昇格し鴨宮駅開業となった。

現在、大船~藤沢の中間に新駅開業のプロジェクトもあると聞く。

発車メロディーにつき、湘南電車では、今回の辻堂「浜辺の歌」のほか、茅ヶ崎は「希望の轍」、平塚は「たなばたさま」、小田原は「お猿のかごや」と、地域色豊か。

なお、二宮駅は菜の花の時期限定で「朧月夜」になる。大磯駅では「われは海の子」へとの動きがある。

by ofuna-law | 2016-11-22 16:44 | 地域の出来事 歴史 研究等
東海道線の湘南地域を走る特急が、踊り子とビュー踊り子。

首都圏から伊豆(終着は下田)を繋ぐ。
横浜駅に止まってから以西は、大船も藤沢も辻堂も茅ヶ崎も平塚も、止まらない。要は、湘南をすっとばす特急。

昼間は一時間に一本くらいで、踊り子かビューか、どちらかが通る(土日は臨時便が出るから便がもう少し多い )。

通過する踊り子を窓の中を見ると、座席を回転させてボックスにし、窓側にお弁当や缶ビールなんかが見えて、確実なる伊豆の観光客がわんさと乗っている。平日にもかかわらずである。

乗客は全員楽しそうに伊豆しか見ずにまっしぐら。

駅で待つ客は、それにしても平日なのに観光客って多いんだなと思いながら、皆見ている(はず)。

で、心だけは伊豆へ行き、温泉へひたるが、現実は仕事。乗りたくとも、湘南付近はひと駅たりとも止まらないから、ふらりとも飛び乗れないのである。決して。

ちなみに、普通の踊り子とビュー踊り子の違いは、ビュー踊り子のほうが全体的に窓の面積が普通の踊り子より断然多くて、展望を楽しめるようになっており、特に一番前に一度は乗ってみたい、そんな感じがする車両だ。

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by ofuna-law | 2016-10-11 11:48 | 地域の出来事 歴史 研究等

平塚七夕祭りの「技」

開催は7月第一週の金土日が原則ですが、今年に当てはめると、7/1-3になり時期尚早につき、2016年は例外で7/8-10開催です。

七夕は、旧暦(1か月程度遅れた8月になる)で考えると天気はよいのに、新暦で考えると梅雨の時期になってしまいます。
七夕に天の川が見れた記憶がないのはそのため。

新暦で行われる平塚七夕祭りの特徴は、期間中の雨の多さ。晴れる年は晴れますが(今年は空梅雨及び梅雨明けが早そうなため大丈夫なはず)、去年は三日間ほぼ雨でした。

ゆえに、

晴れ間を狙って行くのがよく、そのためには、数日前からの天気読みが大切。
言い換えると、行く日の特定が早すぎると当日雨になる確率が高い。

長い道の竹飾りを見ながら歩く祭りだから、折角なら晴れがよかろうと。
仙台は旧暦かつアーケードで屋根あり。対して、平塚は新暦かつ屋根なし。と肝に銘じるとよいでしょう。

露店が非常に多種多様で豊富なのも大きな特徴で、平塚七夕祭り=竹飾り+露店、という式が概ね成立します。

しかし、人や露店の圧倒さに比し、座るところの稀少さが目立つのが現状(至難の獲得競争を呈し、途方なく彷徨うことになりかねない)。

立ちながら歩きながらや地べたで食べるのがもし嫌なら、敷物やハンディな折り畳み椅子の持参がおすすめです。

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by ofuna-law | 2016-06-22 20:01 | 地域の出来事 歴史 研究等

「湘南」の由来と範囲

「湘南」については、その由来にも、範囲にも、それぞれ争いがある。

まず由来の点は、歴史そのものだから、なんといっても古文書がなければ語れないが、残っている古文書は稀少だし、残っていても、記載の真偽が問われる。ゆえに、遡って歴史を論ずるのは自由。だからこそ歴史はおもしろいといえる。

裁判で、お互いの言い分(主張)はあるけれども、その証拠があるのか、あるとして真偽は定かかを問い、真相を探るのに似ている。

元々、中国にある河川「湘江」の南部に、古代は長沙国湘南県という所があって、そこから転じたのは争いがないようだ。

これを前提に、一説は、その地は禅宗が栄えていたと。
日本では鎌倉仏教が禅宗。だから、鎌倉時代に禅宗の僧が鎌倉周辺を湘南というようになった・僧が書いた古文書に湘南の文字がある、これがこの説である。
鎌倉説と呼ぶことにする。

他方、室町時代に大磯の鴫立庵に「著盡湘南清絶地」という石碑が建てられたことを由来とする説もある。
室町説と呼ぶことにする。
鴫立庵から相模川を望む河口付近の絶景が湘江のそれを思わせたからともいわれ、ここでもキーワードは湘江。
(ちなみに、本記事は、上記石碑のレプリカが2016年新たに大磯駅前に設置されたことから執筆した。)

昭和に入り、太陽族とサザンオールスターズで、江の島付近(藤沢)と隣接の茅ヶ崎が湘南の中心地となる。これは、由来というよりはむしろ範囲のほうの見解となるが、昭和説と呼ぶことにする。

範囲の点は、これら3つの説を軸に、その系統あるいは亜種に位置づけられる説が百花繚乱の様相を呈し、湘南とはどこなのかが熱く語られる。

ちなみに、神奈川県南岸の自治体は、西から順に、湯河原、真鶴、小田原、二宮、大磯、平塚、茅ヶ崎、藤沢、鎌倉、逗子、葉山、横須賀、三浦、横須賀、横浜、川崎である。
真鶴半島と三浦半島に挟まれた小田原~三浦までが相模湾。
湘江に見立てられた相模川は、平塚と茅ヶ崎の市境を南北に流れている。

例えば、葉山・逗子を湘南であるという人は、鎌倉説を軸に、鎌倉とのゆかり(頼朝と三浦一族)のほか、(昭和説が混じって)太陽族といえば石原裕次郎・慎太郎であって、この兄弟の住まいが逗子であったことと、観光地としては江の島と鎌倉は一体で、だとすると、鎌倉と逗子・逗子と葉山は相互に一体であって全体で一地域をなすとして、葉山・逗子は湘南であると論じる。

また例えば、平塚を湘南であるという人は、室町説を軸に、湘江に見立てられた相模川及びその河口は正に平塚に属するし、地域的に平塚は大磯に隣接し一体性があり、室町説には当然平塚が含まれると論じる。そして、昭和説に対しては、歴史の浅い新出説と批判し、鎌倉説は湘江に見立てられた相模川からみると位置的に遠すぎると批判するのである。

一方で、平成6年に湘南ナンバーが相模ナンバーから分離され独立した。
これにより、上記自治体のうち、藤沢以西は小田原までのみならず、湯河原や、海に面していない秦野、伊勢原、寒川、南足柄、足柄上・下郡もが湘南ナンバーの地域となった。そして、これら全てが湘南であると論じられるようになる。
平成説と呼ぶことにする。

平成説の出現により、範囲の点では最有力説であった昭和説が正当化され、のみならず、室町説も追認されることになったといえる。
ところが、新たな問題として、海に面さない秦野等や足柄地域までもが湘南なのかという派生的争点と、鎌倉以東は湘南ナンバーではないので、鎌倉説が覆され、鎌倉説を強い根拠としていた逗子・葉山をも湘南であることが覆されかねないという、仁義なき蒸し返し論争までをも招くことになった。

こうなると、もう由来や範囲をどうのこうのすること自体煩わしい。
それに、単に神奈川県内の一部地域内部の論争にすぎず、そもそも他県民にとってはどうだってよい話なのだろう。

そこで、調べた範囲では論者がいないが、「湘南」という漢字に着目し、それだけ解決する問題と考えてしまうのはどうか。

漢字に着目するだけでいいなら、相にサンズイがついて南、であり、相は相模国を意味し、サンズイは水を意味し、南は文字通りであるから、単に「相模国の南部の海沿い」の意だ。

相模国という呼ばれ方は律令制時代の西暦700年代から始まるとのこと。
その後鎌倉時代までは400年(1100年代),なお室町時代までは600年(1300年代)。
相模国という名の周知後ほどなく、その南部の海沿いは湘南とされたのではないか。
書けば、位置や範囲がすぐ分かり都合がよいというのも理由のひとつ。

そうであれば、鎌倉時代よりもっと前から湘南という場所も使われ方もあったといえる。

従来、由来として最古の鎌倉説も、鎌倉時代の僧は漢字が書け、かつ、稀少な古文書として残っただけのこと。室町説も石碑として最古にすぎないだけ。昭和説はトレンド、平成説はナンバーというだけとなる。

恐れ多い独自説であるが、律令制が整ったのは奈良時代だから、奈良説と呼ぶことにする。

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by ofuna-law | 2016-02-25 09:28 | 地域の出来事 歴史 研究等
コンビニ弁当と違い、パッケージが色紙で見えないのが駅弁。コンビニ弁当なスケルトン。
駅弁の一番のおかずは、車窓風景。
とのこと。

湘南電車(JR東海道線)の車窓風景、イメージと異なり、実は、大船藤沢茅ヶ崎辺りは、湘南の海は見えない。

相模川が茅ヶ崎平塚の市境で、 だだひろい一級河川ゆえ南に、はじめて湘南の海が開ける(ちなみに、古来、この河口の眺望が、中国湖南省の湘江の河口のそれに匹敵するため、この地が湘南と呼ばれるようになった)。
この由来に思いを馳せ望むと、より味わい深いおかずになると思う。

大磯以西は徐々に海が近づき、小田原までの間、時折、車窓から海が望める。

海は時折しか見えなくとも、海の上の空は遠く広く青く開け(空が青いのは海が青いからとのこと)、青い湘南の海が写る湘南の空、これが抜群の車窓風景だと思う。

で、食べる駅弁はというと、湘南電車の全駅は、大船、藤沢、辻堂、茅ヶ崎、平塚、大磯など多々あるけど、この辺では、大船駅の駅弁「大船軒の鯵の押し寿司」しかない(と言って過言ではない)。

藤沢以西の駅は、数駅にわたり地場の駅弁店がないのです。で、大船軒が売店を出店し鯵の押し寿司が売られている。さながら、横浜駅半径数十キロの駅で崎陽軒のシュウマイ弁当が買えるのと同じ呈である。

小田原駅に至るとようやく(神奈川県が近時小田原以西も相模湾沿いは湘南との公式見解を出した模様)、東華軒という違う地場の駅弁店が登場する。
なお、東華軒は、小鯵の押し寿司がメーン。鯛めし弁当も有名。湘南の西側は養豚が多く、ブランドポークがあるから、豚肉の弁当もお薦め。

もし湘南電車に乗られるときは、これらの弁当と車窓風景をおかずにしてもらえると嬉しい。

写真は、小田原駅構内の駅弁店。東華軒と大船軒が共存。でも、小田原駅でなら、東華軒のものが買いだと思う。

追記 マツコ短信

彼女?のすごさは、話し手のどんな振りにも非常に温かく、話の引き出しが広いので「そうなのよねー」となって、決して相手を傷つけない(自身からの振りも含めて)柔軟な対応力、優しさだと思う。見習いたい(同年代だし)。

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by ofuna-law | 2015-08-06 15:52 | 地域の出来事 歴史 研究等
忘れないうちに一筆。

街道としての東海道は、箱根を越え、山あいに旧街道の石畳や関所(ただし復元)が往時を偲ばせます。

線路としての東海道は、急峻な箱根は越えられず、昭和9年までは、現在の御殿場線(国府津駅から松田駅、御殿場駅等を経由して沼津駅へと至る)が、東海道線の本ルートだったとのこと。

(なお、東京横浜方面からいうと、大船、藤沢、辻堂、茅ヶ崎、平塚、大磯、二宮、国府津、鴨宮、小田原・・熱海・・沼津です。)

もっとも、国府津から箱根を北側に迂回しても、勾配はきつく、これは御殿場線に乗れば窺い知れます。

昭和9年、16年もの歳月をかけて、当時青函トンネルに次ぐ日本2位の長さを誇った「丹那トンネル」が開通。
ようやく、箱根の下を通り抜ける形で、現在の東海道線のルートが完成。

と同時に、元の東海道線は御殿場線と名を変え、ひそやかな地方線になったとのことです。

ちなみに、このようになる前に、小田原や箱根に行く際は、二宮駅?から、鉄軌道(軽便鉄道)に乗り換え、これは鉄の線路の上を馬?が客車を引っ張る乗り物でして、のんびりと移動したそうです(不詳部分多々ありごめんなさい)。

さて、東海道新幹線では、同じ箱根越え問題について、「新丹那トンネル」を開通させることにより、一直線に通過にて、問題解決です。

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by ofuna-law | 2015-07-22 12:29 | 地域の出来事 歴史 研究等
神社仏閣巡り好きで、最近地味ながらトライしているのが「相模国六社めぐり」。

相模国六社は、次の六社。
延喜式(式内)神社に分類されてますが、その格式は現在不明。ただ、少なくとも神奈川(特に湘南)では、中でも特に寒川神社が有名だし、格式は高いはず。以下もその系列だから格式は高いのではと想像してます。

一之宮・・・・・・寒川神社(寒川町)
二之宮・・・・・・川匂神社(二宮町)
三之宮・・・・・・日比多神社(伊勢原市)
四之宮・・・・・・前鳥神社(平塚市)
五之宮(格)・・・平塚八幡宮(平塚市)
総社・・・・・・・六所神社(大磯町)

土地柄、幼少より寒川神社はよく知っていて、ここは「相模国一之宮」のキャッチ一押し。
ならば二之宮以下は、どこでどんななの?というのが発端。

順不同で、まず去年に平塚八幡宮、今年に入って前鳥神社→日比多神社→川匂神社を参拝。

パワースポットさでは前鳥神社が一番(参道アプローチが長く荘厳なのがよい)。
劣らず川匂神社(上に茅葺きの門を見ながら長い階段を登るとひらける先の社に風格あり)。

日比多神社は境内が小さいのでその分パワーも弱いように感じますが、強いか弱いかでいえば強いです。
平塚八幡宮は、噂では国道整備の関係で参道が削られたらしく、その分パワー減殺した感じがします。

古来、地場の武士・武将は、神社仏閣への寄進等で、力を誇示し民衆の支持を集めたとのこと。
この地では、まず頼朝。次に早雲のはずなのに特記はなく、出るのはその後の家康。

頼朝は政子安産祈願と寄進、家康は衰微を再興して種々の戦勝祈願をし、これらは六社共通の歴史(なお、以前ブログに記述した家康の江島神社弁才天での戦勝祈願も、その一環に位置づけられると推理され、その後の民衆の江島詣でに繋がる流れは既述)です。

で、本来参拝時にご朱印をもらうとツウと思いつつ、そこまではしてはないので、ツウではないのが残念。
代わりにすることは、必ずおみくじ。

結果が悪かったら結び、よかったら財布に入れます。今のところ、一度も結んでないのが自慢。

おみくじの項目の中に「訴訟」あるいはそれに類似するものがあって、例えば、「勝つ。油断は禁物」とか書いてあります。
玉虫色の記載ゆえ、反対解釈(仕事柄、穿っています)すると、油断したら負けるかもしれない、と突っ込んでしまいたいけど、そこはおみくじ。

次は、近いうち、気の向くまま、六所神社へ行きたいと思っています。
季節柄、あじさいが咲いていたら一石二鳥なのに。

なお、昔は、京の都から官吏が赴任すると、一之宮から1つずつ参拝していた習わしだったところを、各神社を分祀して合祀したのが六所神社。
だから、ここを参拝すれば、全部参拝したことになるとのこと。

移動手段が基本徒歩だったとはいえ、いわゆる省略なわけで、それでよしとしてもよかったのかなという疑問なし、としません。

結局今回も、法律とは無縁のブログになってしまいましたが、一応、「訴訟 勝つ。油断は禁物」についてと、反対解釈については書いたので、それで、よしとして疑問なし、としてほしいところです。

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by ofuna-law | 2015-06-18 09:00 | 地域の出来事 歴史 研究等

湘南に3つ ―大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町―法律事務所を置く 弁護士法人プロフェッションの いち弁護士が 思いや出来事を時々つづるブログ


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