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大船法律事務所 辻堂法律事務所 平塚八重咲町法律事務所の某弁護士の述懐

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湘南に3つ ―大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町―法律事務所を置く 弁護士法人プロフェッションの いち弁護士が 思いや出来事を時々つづるブログ

カテゴリ:反省 回想 雑感( 7 )

2008.12.2に法廷で裁判官から「バッチつけてないですね。本当に弁護士なんですか」と叱責された経験がある。

当時35歳。そんなに素人っぽかったか,事件屋ぽかったか,人相が悪かったか。

そのころ弁護士バッチをすることが,自分を絞めつけるようでたまらなく嫌で。

そんな自分を正当化したくて,「そもそも弁護士バッチは絶対に法廷でつけなくてはいけないという義務があるのか」を,「ないはずだ」というために,躍起に調べたが,それも過去の笑い話。

結果,法律に明文はなく,日弁連の会則の中に「帯同義務」という規定があるのみで,この帯同義務とは,バッチを常に持ちあるいていつでもつけられるようにしておかねばならないという義務であり,バッチを胸に必ずつけなければならない義務ではないと判明(日弁連にも確認)。

かといって,「つける法的義務まではない」と開き直るのも,以後必ずつけるのもなんか癪だなと,優柔不断でずるずるとしていたが,いつからかは覚えがないものの,ここ数年は法廷ではつけている。

気持ちは,あたかも本気出すときに鉢巻やたすきをするのと同じ。

逆に,普段は昔も今も全くつけない。

だって普段は気合い不要だし,周囲に弁護士だと表明するごとしが嫌。
見る人がバッチ見ればすぐこの人弁護士だとわかるので。

それと,つけているときにやばいことに巻き込まれた場合,絶対に損。

普段から品行方正で真面目貫徹ならさておき,そうともなく,立ち読み,安もの買い,溜息,がさつ,空気読めない,せかせか,声がでかめなど,少なからず弱点を自覚するので,弁護士バッチで自らが弁護士と表明し続けるのは,やはりよくない。

もっと成長して常にどこでも絶対恥ずかしくない理想の弁護士になれたとき,普段も弁護士バッチをつけたいと思うが,いつのことか。

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by ofuna-law | 2016-05-06 10:30 | 反省 回想 雑感
弁護士も人。生きている。
幾多の苦悩、例えば、逆境・ストレス・辛苦・試練等は不可避だ。

当法人名の「プロフェッション」とは、神職・医師・弁護士を指す。
人の三大苦悩を担う職業を意味する。
三大苦悩の対象は、心・体・人間関係。これらのうち、「心の悩みは神職」、「体の悩みは医師」、「人間関係の悩みは弁護士」が担う。

「医者の不養生」という言葉がある。

神職・医師・弁護士、それぞれ心・体・人間関係に悩まないことなどはない。
一見悩んでいないように見えても、表に出していないにすぎない。

むしろ、表に出さない苦悩を抱え、その結果、共感力と問題解決力が醸成され、その結果、仕事にやりがいを見出すという、螺旋回転を繰り返していると思う。
もし悩みがなかったら、そもそも悩みに共感し、解決し、やりがいを感じることはできないのではなかろうか。

マザーテレサは、聖書の言葉を引用し、「神は乗り越えられない試練は与えない」と言った。

いま苦境にある人に、この言葉を話しても、おそらく効果はないだろう。
熱い物を食べて喉がやけどしそうなときに、「のど元過ぎれば熱さ忘れるから我慢」と言うようなものだ。
腑に落ちるとは思えない。

だからといって、いま苦境にある人に、響かないかもしれないけれども、この言葉をいま話す意味はあると思う。後から意味を持ってくると思う。

熱い物がいつかのど元を過ぎて、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」のを実感するように、苦境が過ぎた暁には、「神は乗り越えられない試練は与えない」のを実感すると思う。

そして、実感の瞬間、それが新たなスタートへの力になり、将来もし苦境が来ても、前回乗り越えた経験が必ず生きると思う。

だから、いまは響かなくても、苦境にあるからこそ法律相談にみえる方に、いつも「神は乗り越えられない試練は与えない」という言葉を持ち(口には出さないにしても)向き合っている。

そもそも、相談にみえた時点で、苦境を乗り越える第一歩を踏み出している。あとは、乗り越えて、その後、「神は乗り越えられない試練は与えない」の実感へと道を歩むだけだと思う。
by ofuna-law | 2015-05-08 09:00 | 反省 回想 雑感

ブログ整理整頓

ブログ開始10年で、記事が1000件以上。

新しい権利で「忘れられる権利」があるが、自分のブログは、現状、自分で削除するしかない。

記事内容を見て削除の要否を判断していたら、終わらない。。
タイトルのみ見ての削除に切り替え、本日ようやく734件まで削除。

それでも多い。
が、日記(主観的な部分は排除して)の意味もあるので、残すものは残す。

色々なことがあったんだなあと感じる。
考えが浅いなあとか、文章が拙いなあというのも、逆も、ある。

当時の考えが、全く違う考えに変わっていたり。
当時の将来予測が間違えていたり、当たっていたり。

今も普遍のテーマは、アップデートしたらいいのではと考えている。

(2015年4月18日追記)
記事数を639件に絞った。今月は記事も結構書いた。
古い記事は消し、または、アップデートする。
それと、今を書く。
ということになるかと。

by ofuna-law | 2015-04-10 20:53 | 反省 回想 雑感

ブログ10年

ブログを始めてちょうど10年過ぎた。2005.2月から始めた。

昔の記事を見ると、浅薄さや陳腐化等が目立つ。また、リア充を綴り、恥を覚えるものもある。

それと、文章が長い。ワンセンテンスという意味でも、全体という意味でも。
SNSが進化した今はブログでも短文のほうがよいだろう。
シンプルイズベストという言葉は、正鵠を得ている。

「削る」が目標の今年は、ざっーっと昔の記事を斜め読みして、かなり削った(まだ削り足りないだろうが)。

新聞雑誌書籍は、自然に捨てられ淘汰されていく。でも、ブログは、自分で消さないと、公(それも全世界に)にされたまま残っていく。

誰ももう昔の記事を見る人がいないとしても(そもそも、この記事にしてもそう言えるのが笑える)、捨てられ淘汰されないというのも、かなり困ったものだ。

ブログを始めた10年前時点で、ネットからの情報は膨大だった。

何でも調べられるという便利さを兼ね備えているが、それが今ではもう膨大すぎて、訳がわからない。

一般化できる情報と個別具体的な情報や、過去最新、虚実、真偽、いるいらない等々の情報とが、混在し、例えば、何かを調べるときに、調べれば調べるほど訳がわからないことが生じる(Wikipediaは、裁判で証拠能力はあるのだろうか?)。

殊に、いらない情報がバッファーに入り込んでくることが最近大変煩わしい。

メールでいうと、迷惑メールはフィルタリングされる。しかし、ネット情報は、検索エンジンがフィルタリングしてるかは知らないが、そうされずに、迷惑な情報も全て一気にどばっと、かつ、ずっと大量に入り込んできているように感じる。

そもそも、メール自体、昔は、携帯メールとPCメールは分かれていて、PCメールは事務所で見ていた(逆に事務所じゃないと見なかった)。その昔は、電話だってそうだった。

外にいるときは基本連絡が遮断されていた。だから、あえて、事務所からふらりと外に出ていた。

しかし、いまはスマホに携帯のメールとPCメールが入り、1日で30-50通のメールを捌かないといけない。電話もかかってくる。

それで、外にいる時間だけでなく、オフの時間までも浸食されるように感じる。

ついでに、LINEやFacebookのメッセージは、読んではじめて「既読」となる。これは、いい面もある。

しかし、送った方も何で既読にならないのだろうと心配したり、受けた方も既読にしないと気まずかったりする。

1日24時間、頭のスイッチがオン状態が1年間365日続く感覚だ。しかも、それが、ここ数年続いている。

そう考えると、携帯の出始めから、「俺は携帯は持たない」と言っていた風変わり(と思っていた、あるいは、思っている)の人の感性は、実は正しいと思えてくる。今でもそれを貫く彼らは、正に自分の道をマイペースに進み続けている。

かといって、スマホ持つのをやめるというのは大きな決断がいり、踏み切れない。

小手先で、LINEやFacebookのアプリを消したり、PCメールはスマホでは見れない設定にすることもできるけど、それさえ、決断は難しい。

とはいえ、私は、相当昔から、携帯から、電話はかけるけど、基本受けないことにしていた。それは自己防衛のひとつだったと気付いた。

また、LINEのアプリは一度間違えて消してから、復活作業がうまくできず消したままだ。うまい言い訳がついたし、それで特に困ったことはない。Twitterは最初から手を出していない。

その延長線で、約半年前から、スマホは基本電源から切ってしまうことにした(注 バッテリーキープのためではない)。

しかし、今度は、切っている間に、どんな緊急連絡が入っているのか気になり、落ち着かない。

とはいえ、この約半年間、携帯を開いたときに、緊急連絡が入っていたことは1回しかなかった。。。

99%は杞憂なのに落ち着かない。それは、24時間オン状態の残違症状と解釈できる。

その落ち着きのなさが取れてはじめて、スマホの便利さを享受しつつ、「俺は携帯を持たない」という彼らの境地に達するのだと思う。

落ち着きなくなくなる境地に至れないなら、やはり、一気に携帯をやめるという決断が、必要になると思う。禁煙や禁酒のように。ちなみに、私は、煙草は吸わないし、最近、酒をやめた(つもり)。

以上。結局、シンプルイズベストといいながら、長文になる。

残違症状がまだまだ治らないと悟らざるを得ない。。。
by ofuna-law | 2015-02-28 11:54 | 回想

口喧嘩に負けない

イメージとして,弁護士は口喧嘩強そうに思うのでは。。

たしかに強いかもしれない。
仕事柄,相手の主張に反論して自説を説得的に主張するということには慣れているので。

元々,司法試験勉強の間,答案を書くときに反対説を叩いて自説を書くという形をたくさん勉強し,実務家になっても,相手方や検察官の提出する書面に対し反論の書面を書き続ける。

ただ,プロのレーサーが一般道でスピードを出さないのと同様,弁護士も,仕事外の口喧嘩の場合に本気にならない。仕事とプライベートは別。

まれに口喧嘩になり,まれに相手の言い方に相当いらっと来る例外的場合のみ,つい本気が出てまくし立ててしまうことがあるかもしれない。
しかし,すぐに自己嫌悪になり,相手は凹み,お互い気分が悪くなる。

本気になると仕事頭が回転し,とても疲れる
私生活で頭を疲れさせたくないので,何かそこまで言わなくてもいいだろう等反論の余地ありと感じても,ほぼスルーする。
by ofuna-law | 2011-11-24 11:42 | 回想 雑感

嘘・嘘・嘘

検事2~3年生だったころ,地域の法曹(弁護士・検事・裁判官と司法修習生)の飲み会で,出席者の挨拶があり ,私が1番,2番に先輩検事,3番に弁護士会幹部(弁護士),4番に裁判長という順番で簡単に一言ずつという流れになったことがありました。

以下,かなり要約ですが,まず私が最初に
   「私は嘘つきはきらいなので検事になりました。被疑者の嘘に悩まされています。」
ということを言ったのです。
すると,2番目の先輩検事が
   「被疑者も嘘をつきますが,被害者も嘘をつくことがあり,悩みがあります。」
と言い
すると,3番目の弁護士会幹部(弁護士)
   「依頼者も嘘をつくことがあるので,そこに悩みがあります。」
と言い
最後に,裁判長が
   「当事者,証人色々な供述,どれが嘘でどれが本当かは我々も判断に悩みます。」
というようなことを言いました。

それで,オチがつき,その飲み会はかなり盛り上がりました。

事件処理にあたっては,事件当事者や関係者の話には嘘(自分に有利に事実を歪曲して話したり,隠したりすることなど)があるかもしれないことを大前提に(それが普通の人には信じられないかもしれませんが),どの話を信用し,どの話を信用しないかは,証拠や客観的状況等を総合的に判断するほかなく,法曹の腕の見せ所であると思います。

by ofuna-law | 2008-06-10 11:40 | 回想

転落弁護士

内山哲夫著「転落弁護士―私はこうして塀の中に落ちた」を読みました。

依頼者からの預り金5000万円を横領(業務上横領)し,執行猶予判決をもらったものの,事件屋と組んだ談合事件が発覚して起訴され,実刑判決を受けて,刑務所で4年を過ごしたという筆者の,弁護士からの転落ストーリーです。

自分の二の舞にならないように弁護士に警鐘を鳴らすために,あえて筆をとったそうです。

とても興味深く,参考になりました。
「読み物」としてとてもおもしろかったです。

事件屋からもたらされる筋の悪い事件を絶対に引受けてはならないことがよくわかりました。
また,武士は食わねど高楊枝といいますが,当たり前のことですが,背伸びせずに,うまい話に飛びつかずに,自分に与えられたできる範囲の仕事を1件1件丁寧にこつこつとまじめにやることが大事なのだと再認識させられました。

銀座でこれまでに1億円は使った,銀座にはまったために事務所を池袋から銀座に移した,報酬がレンガ10個(1千万円の束が10個)と言われたなど,色々なエピソードが書いてありましたが,同じ弁護士である私から見ても,ちょっと現実感がなく,一般の人がこの本を読んで,弁護士を誤解しないでほしいなあと思いました。


例えば,私は,本日昼,立ち食い蕎麦で,ざる蕎麦大盛り500円を食べて大満足の弁護士です。
by ofuna-law | 2007-02-15 16:03 | 反省 回想 雑感

湘南に3つ ―大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町―法律事務所を置く 弁護士法人プロフェッションの いち弁護士が 思いや出来事を時々つづるブログ


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