湘南|大船と辻堂(藤沢・茅ヶ崎)と平塚|3つ法律事務所がある弁護士法人代表の「弁」:スタンス
2024-03-07T16:40:15+09:00
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「弁護士法人プロフェッション」代表が時々弁ずるブログ|大船駅(鎌倉市)・辻堂駅(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚駅各3分|夜間休日相談あり
Excite Blog
後楽園の「後楽」
http://ofunalaw.exblog.jp/33277139/
2024-03-07T08:00:00+09:00
2024-03-07T16:40:15+09:00
2024-03-07T07:55:25+09:00
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スタンス
先日、その「歴史探偵」で、大名庭園がテーマにされていました。
その中で紹介された一つが、小石川後楽園(東京)。
後楽園といえば、岡山にもあります。こちらは、日本三名園の一つ。
番組で紹介されていたのが、後楽園の「後楽」の意味。ご存知ですか?
後楽とは、北宋の范仲淹(はくちゅうえん。10〜11世紀の人)の「岳陽楼記」に書いてある
「先二天下之憂一而憂、後二天下之楽一而楽(天下の楽しみに後 (おく) れて楽しむ)」
からの語で、上に立つ者として、世間一般の人たちが楽しんだ後に楽しむことという意味だと。
関連しているように思うのですが、以前から、依頼者が困っている手前、案件こそ優先で、ブログを書く余裕あるなら、少しでも案件に力を入れてほしいと思われてしまうのでは?と感じるようになっていました。
とはいえ、君子でもないし、働き方改革が叫ばれている今、極端に意識せず、書きたいときに更新できればよいと思うようなっています。
そういえば、ジムニーで、最後の不満点の「発進がゆっくり、もっさりする」は、スロコン(スロットルコントローラー)の装着であっさり解決しました。
アクセルにつながるケーブルの接続部分(カプラー)を外し、スロコンを間に2箇所つなぎ、スロコン本体や配線を隠すような作業をします。初めてDIYでやってみました。
なかなか大変でしたが、やりがいがありました。
やり方は、ネットやYouTubeにアップされていて便利です。
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新人への言葉-努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る-井上靖
http://ofunalaw.exblog.jp/29420606/
2018-04-08T08:44:00+09:00
2018-04-10T05:15:07+09:00
2018-04-08T08:44:06+09:00
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スタンス
なお、井上靖作品は沢山ですが、チンギスハーンを描いた「蒼き狼」がお勧め。高校時代に読みました。ゲームにもなりました。
この言葉を知ったのは最近です。身につまされたのは、最近そういえば不満を語ることが増えているということ。
これに対し、こう見えて、高校大学時代や司法試験を目指し合格するまで、その後司法修習生、検事、勤務弁護士のころ、さらに独立してから数年は、内容こそ時々異なれ、希望(目標)を語っていたと思います。
この名言によれば、希望を語っていれば努力していて、一方、不満を語っていれば怠けているということになります。
翻って、不満を語るのが増えた最近は、努力を怠っているのでは、と反省の機を与えられました。
この名言の解説には「怠ける人より努力する人が結果を出すのは明らか」という言及もありました。
しかし、個人的には、「結果」ではなく「過程」こそが問題だと思います。希望を語るような生き方のほうが不満を語る生き方のほうがよいと思うのです。
また、意識すべきは、努力しているのか怠けているのかという点でもなく、要は、「語っているのが希望(目標)なのか不満なのか」だと感じました。
折に触れ、「不満を語っていないか、希望を語っているか」を自問自答したいと思った次第です。
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2018今年の抱負ー泰然自若・冷静沈着ー
http://ofunalaw.exblog.jp/29146307/
2018-01-16T06:36:00+09:00
2018-05-04T02:16:18+09:00
2018-01-16T06:36:48+09:00
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スタンス
いずれの言葉も、意味は、感情に駆られたり物事に動じたりせず、非常の事に出会ったりしても、落ち着いて、物事に動じない様子・態度。
相克する一面を自覚するので、抱負として心に刻み、併せて最適と思っています。
「頭は冷たく、心はあたたかく」という言葉も(似ている言葉ですが)、時々言い聞かせています。
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2017年新年の抱負
http://ofunalaw.exblog.jp/26315800/
2017-01-13T11:56:00+09:00
2017-01-13T12:41:17+09:00
2017-01-13T11:56:50+09:00
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スタンス
それは,昨年1月に掲げた抱負と同様,弁護士・事務所としての,価値を高めることだ。これを今年はもっと高める。
ここ15年で,弁護士数は倍増した(2000年次約17000人→2015年次約36000人)。
だからこそ,敢えて選ばれる価値を高める。
研鑽・努力・経験を積んでいく。結果を出し,満足度を得る。個のレベルを上げる。事務所の組織力を強化する。
いずれも簡単ではないが,愚直に追求し続ける。
医師に例えると,知る人ぞ知る名医のもとには,全国から患者が集まる。
まず,同様の価値を,高めることができないか。
とはいえ,見据えるのは湘南地域密着であり,全国ではない。ここが独自の力点。
つまり,そのような価値のある弁護士・事務所が,地元にあり,すぐアクセスができ便利なら,地域密着型法律事務所の理想形である。
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法における理と情 2011.5記事改訂
http://ofunalaw.exblog.jp/25600677/
2016-07-01T18:00:00+09:00
2018-04-22T05:11:41+09:00
2016-05-12T18:38:16+09:00
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スタンス
理論としての美しさ(一貫性と精緻度)に目を奪われます。
判例通説ではなくとも,例えば,手形法の二段階創造説。刑法も大谷説。民法177条だと鎌田説。
いずれも,判例通説にはない美しさがあります。
弁護士になると,判例通説がスタンダード。
少数説の出番や,理論の美しさは,ほとんど考えません。
実務では,結論の妥当性が肝。
事件の筋といって,これは関係当事者の主張や証拠等を総合考慮すると,どうなるのかといった見立てですが,事件を読み解くうち,まず結論が浮かびます。
この筋読み,見立ての根底にあるのが「情」です。
言い換えると,一般人の常識的な見方。
司法試験受験生は,大半が20代。
法律相談を必要とする人よりも,若い。
人生経験が少なく,常識はまだ不十分が普通。
とすると,何が正しい結論なのかの迷いがある。
しかし,それでいいんであって,まずは判例通説を理論として勉強することで,具体的事例でどのような妥当な結論を導いているか,という常識も勉強していることになります。
司法試験合格後数年して,常識が理論を超え,いまは,まずは結論の妥当性だと感じます。
そして,筋読みからの結論が,判例通説に反する場合もあり,この場合,判例通説の射程範囲を特定した上で,本件に限っては修正を加え例外とすることができないかという思考プロセスをとったり,妥当な結論が導かれるような事実の主張と立証に努めることになります。
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国選弁護人が究極の選択を迫られるとき
http://ofunalaw.exblog.jp/24250280/
2016-02-13T08:30:00+09:00
2018-04-28T07:59:17+09:00
2015-06-13T03:38:57+09:00
ofuna-law
スタンス
虚偽証言をする証人の証人請求などもってのほかと考えて辞任してよいか?
という究極の質問があり、考え方が分かれます。
弁護士は依頼者のためのものだから請求せざるを得ないとの考え方(誠実義務)がひとつ。
これに対し、信念に反するから、辞任するとの考え方(真実義務)がひとつ。
以前、私は後者の考え方でした。
が、いまは、前者の考え方。
理想は後者です。
でも、辞任をすると、後任の国選弁護人が同じ問題に直面。なお、辞任せず、証人請求はしないとなると、弁護過誤になります。
結局、信念に反するゆえの辞任を許すと、その後、辞任、辞任という連鎖が生じます。
だから、証人請求はしつつ、できる限り嘘をつけないよう、かわしたり、質問を工夫するなどする。そうして信念との折り合いをつけることになります。
見方により弁護士も悪者側とされることがありますが、むしろ法的にそれが求められる仕事。
そうした立場である上で、様々板挟みの局面があり、あがいていることを知ってほしいなと思います。
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法の生命は理論ではなく経験である
http://ofunalaw.exblog.jp/24410220/
2015-11-17T09:01:00+09:00
2018-03-16T11:37:29+09:00
2015-07-17T09:29:12+09:00
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スタンス
経験であった。
~ オリヴァー・ウェンデル・ホームズ判事
司法試験合格前、法とは理論、すなわち、数式であり、事実は代入する数字と同じ、という感覚がありました。
だから、理論に事実をあてはめれば、答えはストレートに出ると。
でも、実務に出て、みごとにその先入観は逆転しました。
法は理論ではなく、解釈の余地が多分にある。すなわち、数式のようにかちっとはしてなく、いわばゴムまりのように弾力的。
かつ、それにあてはめる事実も、リアルタイムに経験していないから、証拠や経験に基づき認定してゆく。ゆえに、真実は1つだけど、紛争上問題となってしまうと、事実は真実に一致するとは限らない(事実が捏造されたり、証拠で証明できないことなどもある)。
誤解をおそれずにいうと、相談時に、人生及び法曹の経験から、あるべき結論が導かれる(筋といわれるもの)。それこそ肝で、そこに向け、経験上あり得る自然な形で、法は弾力的に使うし、あてはめる事実も筋に沿うかでみる。
法の生命は理論ではなく経験という言葉は、とても府に落ちます。
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むずかしいことをやさしく
http://ofunalaw.exblog.jp/20013383/
2013-08-05T05:13:00+09:00
2017-12-27T13:03:50+09:00
2013-05-05T05:25:18+09:00
ofuna-law
スタンス
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書く
というのがあります。
戯曲小説文筆家だから、「ゆかい」「書く」。
弁護士だと、「ゆかい」は、お客様との関係では違うけど、なるほどといえるし、「書くこと」は、それだけでなく、「話す(説明する)こと」も含め、同じだと思います。]]>
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