大船法律事務所 辻堂法律事務所 平塚八重咲町法律事務所の某弁護士の述懐

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湘南に3つ ―大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町―法律事務所を置く 弁護士法人プロフェッションの いち弁護士が 思いや出来事を時々つづるブログ

検察の最大の強みは何か

検事経験から思う検察の最大の強みは,組織力にあると思う。

例えば,刑事公判。相対する検察官と弁護士は,通常,1人ずつである。

ただ,検察官の1人は,地検を代表する1人であり,背後に多数の検事ひいては地検のトップである検事正が控え,後ろ盾になっている。換言すると,強い上命下服制度のもと,決裁指導と報連相とが徹底された組織の中から,法廷に1人が来ているのである。
これに対し,弁護士の1人は,一法律事務所の1人である。背後の後ろ盾という局面だけで見ると,対検察との関係では,少ないのが否めないのではないか。

現場では1対1でも,背後を実質的にみると,もし多勢に無勢の状態になっているとしたらどうか。恐ろしいことである。

弁護士になってからというもの,この差を埋めないといけないというのが,一貫した課題である。経験に裏打ちされた危機感が伴う。
微力ながら,少しでも組織力を強くしたい。

もしそれが実現できたら,公判で検事と1対1で相対しても,恐れるに足らないことになる。

翻って,これを民事事件にあてはめたらどうか。

民事裁判でも,相対する被告の弁護士と原告の弁護士は,通常,1人ずつである。
とはいえ,かたや検察のような組織力を持つ法律事務所の弁護士と,かたやそうではない事務所の弁護士との相対という構図だったらどうか。

背後を実質的にみたときに,もし多勢に無勢の状態になれていたとしたら,恐れるに足らないばかりか,常に強い優位性を保てる。

一弁護士の,ゼロからの組織づくりゆえ,前述のとおり微力。そのうえ,目指す組織力が圧倒的であるが,千里の道も一歩から。
弁護士登録から14年。現在,当法人は,3事務所・弁護士6名の体制。いまだ道半ばであるが,目指すのは,検察のごとき強い組織力である。

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# by ofuna-law | 2017-06-24 20:02 | 仕事術 仕事感
弊所平塚の支所は,八重咲町にある。

強引に繋げるが,食用の「八重桜」の産地が秦野市である。塩漬けにして食する。
全国シェア7割を誇る日本一の産地が神奈川県にあるのである。

ソメイヨシノが散った後,満開を迎えるのが八重桜。先週辺り正に見頃で,秦野市における収穫もピーク。

たまたま林道ドライブの途中に通過したが,緑色(自然)と黄色(タンポポや菜の花)の世界に,八重桜のピンクが差し色になる牧歌的な風景が美しく,八重桜畑で花がどんどん摘まれていた。
ただ,高齢化した農家(摘み手)の後継不足が悩みだそうだ。神奈川新聞の記事になっていた。

これも強引な余談であるが,秦野市の車のナンバーは,湘南ナンバーである。秦野市は,平塚市の北西部に位置し,海(相模湾)にも,相模川にも,接していない(湘南の「湘」とは,「相にさんずい」ゆえに,語源的に,相模川や相模湾との関係は密接不可分と考えられる)。

湘南の現在の中心にあたる藤沢及び茅ヶ崎から特に,「秦野は湘南ではない」と揶揄されるのであるが,「湘南ではない」と言われることでは同じの平塚からすれば,「そんな了見の狭いこと言わず,この辺一帯みんな湘南でいいじゃないか」と思う(叩かれないように小声でしか言えないけど)。

湘南は,地域的に何と言っても「寛容」。その原点に立ち戻れば,それで何ら問題ないのである。

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# by ofuna-law | 2017-04-25 10:05 | 地域の出来事 歴史 研究等
大岡裁きで有名な大岡忠相(越前)の菩提寺は、湘南内「茅ヶ崎市」の北部にある(浄見寺)。

大岡裁きの例は、色々あれど、解釈に一考を要するのが、次のもの。

どちらが本当の母かの争い。大岡越前の前で、2人の争う女が、子の手を引っ張る。痛がる子を見て、片方の女が手を離す。

大岡越前は、手を離した女を本当の親とした。
根拠は、本当の親だからこそ、痛がる子を見て、手を離したのであり、愛あればの証だと。

しかし、これには違う見方も存する。

本当の親ならば、偽者に渡してはならないと、子が泣いても心を鬼にして引っ張るのではないか。また、手を離した女も、執着が弱い、あるいは自分が偽者だから、鬼の形相の相手に根負けして、離さざるを得なかったのではないか。

近現代の裁判では、このような疑義をなくすために、証拠をもって勝敗を決め、証拠の中でも、客観的証拠を重視する(主観的証拠とは、供述のこと。嘘や誤認の余地が多くなる)。これを、証拠裁判主義という。

なお、上記例には、裏話があるといわれる。

大岡越前は、引っ張り合いだけで決めたのではない。裁きの前に、捜査を入れ証拠を掴んでおり、心証はもう事前に決まっていたというのである。
その上で、引っ張り合いをさせた。

結果的に、離した女を勝たせたが、もし、その女が離さなかったら、偽者許さじの親心を認定し、結局その女を勝たせようと考えていたというのである。

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# by ofuna-law | 2017-04-24 00:02 | 地域の出来事 歴史 研究等
弁護士といえど,細かい法律や議論や下級審の判例等につき,わからないことは多いもの。

わからないときは,体系的思考(いわゆるリーガルマインド)を用いて,まずは基本からさかのぼって考えて一定の結論を出す(仮定の結論。以下,仮説という)。

仮説は出すだけではだめで,文献等を調べて,裏づけを取る。
裏づけが取れたら,仮説はもう仮説ではなくなる(最新の判例や学説の到達点を知り,確たる説として身につくことになる)。

弁護士も長くなると,導いた仮説が間違っている場合(読み違え)は稀になってくる。
もし間違えていても,新たに判例や学説の到達点を学び,それだけではなくて,なぜ間違えたのか原因までさかのぼって,体系的思考をアップデートすることになる。今後同じ過ちを繰り返す愚を招かないためである。しかも,したたかに,こんな機会を与えられて得をしたと考える。

「考えること」と「調べること」は両輪である。学生は,得てして片手落ちが多いので,当てはまるなら反省を要する。

調べるときのために,目に留まった専門書等はできる限り買っている(仕事のためだから経費だし,一挙両得以上である)。
判例・文献のデータベースも導入している。

もっとも,こういった,考える・調べるの以前に,そもそも何が問題なのかを思いつくことが,もっと大切な能力ではなかろうか。

「思いつくこと」とは,いわば,膨大な事実(情報)の中から,何が問題なのかを抽出できる能力。何を考え,調べなければならないか,そもそも何がわからないかを,自ら発想できること。膨大な事実(情報)を取捨分別して「たぶんここは法律上の論点があるはず」というアタリをつける能力ともいえようか。

学生の場合,これは教わる対象である。問題点や論点につき,思いつく以前に所与のものとして教わるのである。
が,実務の世界は,もう教科書(基本書)等では語れないほど,広く深い海である。
そこで漂流するか,自ら進んでゆけるか。
実務家へシフトする過程で,自力で発想してアタリをつけて思いつく能力が育まれていき,必須の能力と化す。

結局,実務家にとって,「思いつく→考える→調べる」が,両輪ならぬ三輪であり,いずれも不可欠の知力として,三位一体をなしていると思うのである。

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# by ofuna-law | 2017-04-23 19:38 | 法律 論点 解釈
1 2015年2月

ブログ開始10年。当時の記事数が1000件以上。「忘れられる権利」なる新しい権利があるが、自ら削除しないと、残り続けてしまうから厄介だ。

陳腐や浅薄や拙い記事を削除する必要がある。が、内容で判断していたら、膨大ゆえ途方もない。

タイトルのみで判断して削除し、ようやく734件までにできた。それでも多い。

そのタイトルだけ見ても、この10年、色々あったなあと感慨深い。当時の将来予測が間違えていたり、当たっていたり。少しは鋭い指摘もあった。

テーマとして今も普遍なものは残して、少しずつ改訂(アップデート)し、整理整頓せねば。

2 2015年4月

その後2015年4月までに、記事数を639件まで絞った。削除しつつ、アップデートしつつ、新しい記事も書く。これは昔より減ったが。

でも、まだ多い。遅々として進まないが、今後も整理整頓をせねば。

3 2017年4月

アクセス数が多い記事が順番に表示されるという、ブログサイトの機能がある。

ここ最近は、その機能を利用して、整理整頓をするようにしている。上がってきたものをまずチェックする。駄文等でも、閲覧がないなら、整理整頓の優先順位は低い。逆に、閲覧がある記事が駄文等だとまずく、整理整頓の優先順位が高い。

ばっさりと削除する判断が以前よりできるようになった。年の功か。

本日現在、記事数は367件にまで減っている。


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# by ofuna-law | 2017-04-22 08:18 | コラム
後北条氏の本拠「小田原城」。昨年リニューアルされ、過去最高の観光客が押し寄せている。

後北条氏は、戦国時代における関東の覇者である。初代早雲は下克上の先駆けでもある。
家康も、江戸城、江戸の街づくり、上水整備など、小田原を模した。

にもかかわらず、後北条氏はなぜ地味なのか。

地元に住む筆者が痛感するのだから、その地味感は自然な国民感覚であろう。

私見であるが、理由のひとつは、天下人秀吉に負けたこと。歴史における敗者は、勝者の歴史を華々しく飾る反作用として、殊更愚者として描かれる。

これは、例えば、桶狭間の勝者信長を上げるべく今川義元を愚者に下げる、大阪の陣の勝者家康を上げるべく豊臣秀頼を愚者に下げる等々、枚挙に暇がない。なお、近年、義元にせよ秀頼にせよ、その器量はとみに見直されている。

同じ構図が、後北条氏も正に当てはまると思うのである。

理由はそれだけでなく、もうひとつあると思っている。

小田原城陥落後、秀吉の命により、家康が関東に転封され、江戸を本拠とした。が、関東は、早雲公以来五代、70年以上にわたり後北条氏が支配していた地。

後北条氏への領民の信頼は厚く、領民にすれば、家康は完全に外様であった。
家康とすれば、関東の領民の信頼獲得の策を要したはずである。

この局面では、家康が、後北条氏を愚者とするのは、失政に繋がる。後北条氏を信頼する領民の反発を買うおそれがあるからである。

後北条氏を受け継ぎつつ、それを上回ることにより、後北条氏よりも家康がよいというように威光を高めていくのがよい。

現に、家康は、関東(少なくとも相模の国)の神社ほとんどに積極的に寄進をするなどした(後北条時代における小田原城の鬼門守護を担っていた二宮「川匂神社」への寄進は端的な一例であろう)。
それだけでなく、関東武士の祖である頼朝にあやかった。これは注目点である。頼朝を再評価し、自身を頼朝に重ね、その威光を利用したのである(地域的に頼朝と家康の伝説は多々残るのに、後北条氏の伝説は不思議にもすっぽり抜けた如く残っていない)。

こういった地道な政策が進めば進むほど、頼朝と家康が強調され、対して、後北条氏は、漸次薄れていくことになったように思う。

以上、ふたつの大きな理由により、後北条氏は地味になってしまったと考える。

ただし、まだまだ調査検討熟慮が必要な問題である。

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# by ofuna-law | 2017-04-21 08:43 | 地域の出来事 歴史 研究等
入学したばかりで,司法試験をはじめたい気持ちが強い人が多いのではないでしょうか。

その意欲はとても大切。ですが,老婆心ながら,1~2年くらいは大学生活を思い切り満喫するのがちょうどよいと思います。

なぜなら,合格に必要な勉強時間数は合計1万時間。達成には毎日8~12時間×3~4年が必要なので,予備試験にせよ法科大学院に進むにせよ,長期戦必至だからです。

また,司法試験の勉強を例えると,長距離の下りエスカレーターを一気にてっぺんまで駆け上がり切る如しです。ずっと走り続けないと上がれず,一旦止まると自動的に下がってしまう。

しかも,司法試験は本気になってからが勝負。これもよく出る話です。
本気で勉強しないと合格しない。やってるふりみたいな,お勉強ごっこの時間は,前述の合計1万時間には,一切算入しません。

要は,途中休めない本気の長期戦になるから,開始前に今やりたいことを思い切りするというのが肝要。

それと,失念しがちなのが,「今しかできないこと」の価値。
サークル活動や,アルバイト,趣味,交友関係,恋愛など,大学生の今しかできないこと,やりたいこと。その価値は,非常に大きい。
数年後には絶対にできなくなります。

そんな今しかできない経験が,勉強を開始したときに相互作用を生むことにつながりますし,ひいては,法曹になったときに,生きてきます。
特に弁護士はクライアントや人脈の幅が広いため,そういう経験がないと,頭でっかちのイメージばかりが強くなって,不利な場面も出かねません。

1~2年くらいは楽しむ。その後は,まさに別人になって,本気で勉強にすべてをかけて取り組むのが,お勧めです。
そういう経験がなく,先にはじめた人は,簡単に追い越せるものです。

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# by ofuna-law | 2017-04-19 08:12 | 司法試験 勉強
大谷實先生の学説(大谷説)を完徹していたが、刑法総論についていうと、大谷先生の「刑法講義総論」は、いまや新版第4版。

でも、刊行が2012.5。5年も経っていることは、その間の新判例が載っていないことを意味する。値段も5000円近くして高いし、もしかしたら、近々第5版が出るかもしれない。だから、いまは買えない。

というわけで、別の先生で、出版年月が近く、気鋭で定評のある基本書を探すと、なかなか見つからない。

そもそも共著は除外。刑法は最も体系の一貫性が必要な法律だから。単著が理想で、理想を求めることは、最も刑法的な思考である。難解で膨大なパズルを孤独に一つの体系として構築し確立してほしい。それが刑法の理想だと思う。氏名で「~説」と呼称されるまでになるのはそのため。

あと、元が実務家も除外。刑法は最も純理論的な法律学だから。実務はいわば妥協の世界である。その妥協の世界を、生粋の学者が純粋に完璧に美しく理論化してほしい。無理はもちろん承知ではあるが、そこに刑法の出発点があると思う。

元が大谷説であるし、判例通説に即せば、行為無価値で。かつ、気鋭の学者で、定評のある書。

となると、なかなかいない。著者の経歴や、売れ行き(版を重ねているか)を、慎重に吟味する。

迷った挙げ句、高橋則夫先生のご著書を選択して買うことにした。

第3版が2016.10刊行。しかも、出版社が成文堂(大谷説と同じ)。経歴は早稲田の西原門下であるとのこと。西原説といえば、「共同意思主体説」ではないか。それなら知っている。同じ早稲田でも、結果無価値の曽根説とは違うのだ。

一方で、いまなら、最高裁判事になったばかりの山口厚先生は外せない。

結果無価値でも、最高裁判事ともなれば、昔の団藤先生のような通説判例への歩み寄りも多少は期待するし、近時の山口説はそれを予感させる説の動きもある。

ないだろうが当初の大谷先生のような、ひょっとすることも起きないかとも思ったりもする(大谷説が結果無価値から行為無価値に大転換したのをリアルタイムで経験した一人であったりする)。

刑法各論についていうと、大谷先生の「刑法講義各論」の最新版は、新版第4版補訂版で、2015.9の刊行。これは買わねばならない。

刑事実務的に、平成10年代は、刑法各論は、判例通説ではない結果無価値でありながら、西田説が圧倒的に支持されていた。名著である。

ただ、西田先生は2013.6に亡くなられた。門下の先生(佐伯先生とか)が改訂するかもしれないが、西田先生ご自身の筆ではないと、説が薄まると感じる。いまは買えない。

体系の一貫性からすると、高橋先生の総論を今回買うなら、各論も買うべきであろう。版をみると、第2版が2014.10刊行。やはり、いま買ってよい。

それと山口説の総論を買うから、同様に各論もと考えたが、刊行が古かった。おそらく近々新しい版が出るはず。だから、いまは買わない。

ちなみに、井田先生のご著書も売れているようで、行為無価値だから検討の余地があるのではないかと思う方もいるかもしれない。

ただ、あくまでも大谷説から見ると、井田説は目的的行為論に拠っており、目的的行為論といえば元は福田説であり、本流の団藤大塚説からは傍流と感じるため(もとより大谷説は東大ではないのでおかしな話だが)、読んでもいないのに敬遠してしまう。

それにしても、昔(約20年以上前)と違って、たくさんの先生がたくさんの基本書を書いている。選択の余地がなかったのも窮屈だったが、余地がありすぎるのも絞れない。悩みという点では同じだが、悩みが贅沢になったものである。

ちなみに、総論2冊、各論2冊を買ったが、通読する余裕がないのが残念である(ということは、通読したうえで推薦しているわけではないので、注意を要する)。


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# by ofuna-law | 2017-04-13 10:44 | 法律 論点 解釈

恩田陸著「蜜蜂と遠雷」

新聞書評に掲載されていて,本屋大賞ノミネートや直木賞も受賞している本書。
ピアノコンクールを舞台に,第1次予選,第2次予選,第3次予選,決勝と,若き個性的な主人公たちが繰り広げるそれぞれの演奏と成長。

しばらく前から個人的に,代表的なクラシックは曲と曲名と作曲家を一致させたいという願望が湧き,車でよく聴くようになっていたのも,読んだ理由のひとつであったりもする(余談)。なお,本書に出る多数の曲は,作曲家こそ有名どころばかりで知っているが,曲ひとつひとつは全て不知であった。

つい先日,寝る前に読み始めたら,止まらない。すぐに寝落ちするかと思ったら,しない。
結局,朝まで6時間ほどかけ一気読みである。
(翌日寝不足で辛かったのみならず,生活のリズム全体がまだチグハグで大迷惑である)

一言で感想をいうと,「音楽を極めて重厚に文章化する作者の力量が凄い」。

自覚や理解ができ,直接なら誰かと鮮明に共有できることなのに,いざそれを未知の誰かに対し,言葉や文章を介して伝えるのが難しい事柄というのは,世の中に多数存在する。

本書では,それが音楽なのであるが,その難しいことに見事成功しているのである。

弁護士も,書面に,事実や心情をわかりやすく,しかしながらできる限り簡潔に文章にできるにこしたことはない。むしろ,日頃,それに四苦八苦し,試行錯誤を繰り返している。
本書は,すばらしい見本だと思う。

今まさに読むべき本である。

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# by ofuna-law | 2017-04-05 08:00 | 趣味 オフ 癒し
2005年弁護士登録以来、愛用していたのは弁護士専用の「訟廷日誌」(しょうていにっし)。
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全国弁護士協同組合連合会が発行しており、組合員であれば、毎年、無償支給されます。
この訟廷日誌のオリジナルの罫線(スケジュールの欄)は少なめ。だから、使用当時は、罫線を自筆で加え枠を倍にしていました(紙の薄さもあって、使ううちに自筆の線に沿って裂け始め、頁が次第に横に短冊状になる欠点があった)。

2013年の手帳カバーブームを受け、訟廷日誌と併用していた小さめのシステム手帳の中身の一体化を図りました。
下記写真の左が併用していたシステム手帳。右が一体化のための手帳カバー。その中に訟廷日誌とシステム手帳の中身を挟んでいる状態を撮影。訟廷日誌のサイズに合う手帳カバーをつぶさに調べると、システム手帳と同じアシュフォード製にて、ジャストサイズの手帳カバー( ローファーRHDカバーA6 )を発見・購入。
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2014年に手帳ブームが到来し、これらの使用を2015年にやめ、コクヨの「ジブン手帳」に一新しました。

ジブン手帳は、使いやすく、翌年も購入・使用しました。
が、欠点は紙が薄いこと。手帳のペンはフリクションを使うのですが、紙の薄さのせいで、文字を消したときに紙の裏面の文字が消えてしまうのです(フリクションは、摩擦熱で透明になるインクであるため、文字が消えて見える仕組みを利用するペンだから)。

また、平塚八重咲町法律事務所は、日曜日~木曜日が営業のため、手帳は一週が日曜日始まりがほしい。ジブン手帳は、月曜日始まり。ゆえに、勤務上の都合に合わない。

結局、最近は、ナカバヤシの日曜日始まりの手帳(ロジカルダイアリーバーチカル A5)を使用。
約800円というリーズナブルな価格で、紙も厚く、使いやすいです。

これに、アシュフォードのA5の革製手帳カバーをつけて、外見的な高級感を出しています。

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# by ofuna-law | 2017-03-14 08:00 | 仕事術 仕事感
過去の事件を調べて証拠を集める。関係者から話を聞く。裏をとる。結果、事実を文章にする。事件記者の仕事。

証拠裁判主義のもとでは、弁護士は、まず証拠ありきで動く。そして、証拠に基づき、事実を文章にする。ゆえに、事件記者の面を持つ。

小説家は、想像力を頼りに、物語を書く。人物を生き生きと動かして出来事を起こし、読み手の心を揺さぶる。

証拠だけでは物語は書けない。証拠だけでは書けない余白を弁護士は想像力で埋める。こうして、読み手である裁判官の心に訴えていく。ゆえに、小説家の面も持つ。

ただ、証拠と証拠が矛盾せぬよう細心の注意を払い、経験則や客観性を頼りとし、筋や座りを重視し、使う想像力は少しだけ、説得のためだけに、というのが、小説家と違う。大きな縛りのある中の小さな想像力にすぎない。

俳人は、5・7・5という限られた字数内で、季節感と五感を刺激する映像を描く。

同じ文章を書くとき、長ければいいというものではない。同じ意味なら短い文章がわかりやすい。だから、弁護士には、いかに短く、端的に書くかが求められる。また、無味乾燥になりがちな文章をそうでなくできたら伝わり方を鮮烈にできる。これが俳人の面だ。

これが、
事件記者+小説家+俳人=弁護士
という自説である。

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# by ofuna-law | 2017-02-22 08:25 | 仕事術 仕事感

弁護士の「弁」という漢字は,そのもの「弁」を含め,元は4つの漢字(弁・辨・瓣・辯)を当用漢字の字数制限のため集約し,「弁」ひとつを用いるようになっているとのこと。
音読み「ベン」,訓読み「わきまえる」。

元々の4つの漢字の独自の意味は,次のとおり。

1 弁
(ずきん状の)冠。「武弁/弁髦」

2 辨 ※挟まれているのは「リ」
是非・善悪を区別する。正しいか正しくないかを分ける。わきまえる(物事がそうなった理由を知っている)。「弁別/思弁/弁証/弁明」
けじめをつけて処理する。「弁済・弁償/勘弁/支弁/自弁」
弁当。「駅弁/早弁/腰弁 (こしべん) 」
事を処理する。事務をさばく。「合弁/弁理」

3 瓣 ※挟まれているのは「瓜」
瓜の種。瓜の種を含んだ柔らかい部分。
花びら。「花弁」
果物のふさ。みかんなどの肉の一片。
管を流れる気体・液体の流れを制御する(花びら状の)装置・バルブ。「弁膜/安全弁/僧帽弁」


4 辯 ※挟まれている漢字は「言」
理屈を立てて話す。訴える。「弁解/弁護/弁明/弁論/抗弁/答弁」
理屈を立てた議論。述べる。ものの言いぶり。「弁舌/詭弁 (きべん) /訥弁 (とつべん) /熱弁/雄弁」
独特のしゃべり方。方言。「大阪弁/東北弁」

以上からすると,士業で同じ漢字を使う「弁護士」と「弁理士」。元の弁の字は違い,それぞれ「辯護士」「辨理士」となります。

辯護士。つらいの「辛」が2つも挟まる言葉(「言」)の仕事であると読め,確かにそういう一面があると感じるのが正直なところ。

なお,以下備考。

辨には,「辧」(異体字。辨の[リ]が[刀])と「辦」(環境依存文字。「辨」の[リ]が[力])があるとの指摘があります。
ただ,「辦」は「弁」の旧字体ではなく表外漢字で,新字体は存在せず,当て字として「弁」とするとの指摘もあります。ゆえに,「辨」と明確に区別すべきかもしれません。そもそも「辦」は,処理するとの意味。そのため,だとすると,辨理士は,「辦理士」となります。
「辮」という辮髪を意味する漢字もあります。「弁」に集約した字ではないのですが,当て字は「弁」。辮髪を,弁髪と書きますので。

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# by ofuna-law | 2017-01-20 12:32 | コラム

2017年新年の抱負

新年の抱負。ここでは仕事面に限定する。

それは,昨年1月に掲げた抱負と同様,弁護士・事務所としての,価値を高めることだ。これを今年はもっと高める。

ここ15年で,弁護士数は倍増した(2000年次約17000人→2015年次約36000人)。

だからこそ,敢えて選ばれる価値を高める。
研鑽・努力・経験を積んでいく。結果を出し,満足度を得る。個のレベルを上げる。事務所の組織力を強化する。
いずれも簡単ではないが,愚直に追求し続ける。

医師に例えると,知る人ぞ知る名医のもとには,全国から患者が集まる。

まず,同様の価値を,高めることができないか。
とはいえ,見据えるのは湘南地域密着であり,全国ではない。ここが独自の力点。

つまり,そのような価値のある弁護士・事務所が,地元にあり,すぐアクセスができ便利なら,地域密着型法律事務所の理想形である。

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# by ofuna-law | 2017-01-13 11:56 | スタンス

辻堂駅開業100周年

辻堂駅は、1916(大正5)12.1に開業し、今年100周年を迎えた。
地元住民が資金と用地を提供招致した住民誓願駅という特徴がある。

100周年を機に、発車メロディーが地元ゆかりの「浜辺の歌」になった。

1872(明治5)10.14に新橋~旧横浜間で鉄道が開通。
それが東海道本線として西に延び、15年後の1887(明治20)7.11に国府津駅まできた。このとき、戸塚駅、藤沢駅、平塚駅、大磯駅が同時開業。いわゆる「湘南電車」だ。

ちなみにその後、
1888(明治21)11.1大船駅開業。
1898(明治31)6.15茅ヶ崎駅開業。
1902(明治35)4.15二宮駅開業。
辻堂駅はこの後の開業になる。

国府津から西は、1920(大正9)10.21に小田原駅が開業。
このとき、鴨宮駅の前身の酒匂川信号所が開設され、1923(大正12)6.1に駅に昇格し鴨宮駅開業となった。

現在、大船~藤沢の中間に新駅開業のプロジェクトもあると聞く。

発車メロディーにつき、湘南電車では、今回の辻堂「浜辺の歌」のほか、茅ヶ崎は「希望の轍」、平塚は「たなばたさま」、小田原は「お猿のかごや」と、地域色豊か。

なお、二宮駅は菜の花の時期限定で「朧月夜」になる。大磯駅では「われは海の子」へとの動きがある。

# by ofuna-law | 2016-11-22 16:44 | 地域の出来事 歴史 研究等
今秋のドラマ。いくつか見ているが、「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS・火曜)は、面白い。コミカルで楽に見れて時々からからと笑える。

原作は漫画。元々全巻読んでいて、結婚・仕事・人生につき、ほどよく考えさせ楽しいのだが、ドラマはドラマで出来がよい。

配役も絶妙だと思う。横浜みなとみらい地区を使ったロケも、神奈川県民には身近だ。

内容とは関係ないが、星野源が劇中で着る服、オンオフともにきっちりとしつつも普通な加減がとても参考になる。

弁護士や刑事物ドラマは、オフとして楽しめないので、原則避ける性分。
ゆえに、この性分にこのドラマは合っている。

ちなみに、「校閲ガール」(日テレ・水曜)も見ている。こちらは少し若年代向けで、恋愛物色が強く、はまるまではないが、石原さとみの魅力で十分持っている。

# by ofuna-law | 2016-11-17 10:25 | 趣味 オフ 癒し
70期の皆様、合格おめでとうございます。
弁護士法人プロフェッションでは、新人弁護士を募集しています。

日弁連求人募集サイト(https://www.bengoshikai.jp/kyujin/弁護士法人プロフェッション)

湘南地域密着型事務所のため、基本的に地元出身の修習生を募集しています。
所属弁護士達の小中高大院母校の後輩ですと、より望ましいですが(地元や先輩から受けた恩を直に返せますので)、もちろん、そうではなくても、一番は人柄を最重視します。

まずは、ご連絡ください。事務所訪問を気軽に受け付けており、夕方で調整してその後食事をして和む機会を設けるようにしています。

他薦も、何卒お願い申し上げます。

# by ofuna-law | 2016-10-18 17:28 | 事務所案内 

漫画「あさひなぐ」

いわゆるスポ根漫画だと、古くはキャプテンとか、柔道部物語など、数々の定番を読んできたけれども、最近一気に読破した「あさひなぐ」は、中でも秀逸な一作である。

主人公は女子高生。
打ち込む部活は、薙刀(なぎなた)。

この点のみで、スポ根でも格別な感じが匂う。

努力や友情や敗北からの成長など、あらゆるスポ根漫画の要素くまなく、ちょいちょい笑いあり、たまに悔しさや感動で泣かされたり、要は、引き込む力がある。

この種ストーリーで、ありがちなのは、日常生活における主人公の負の要素が、部活動では最強の要素となって活躍するというパターン。しかし、この「あさひなぐ」では、このパターン該当性はほとんどない。

該当するとすれば、ひたむきに努力を継続できる、というヒロインの性格。努力というのは、難しいけど心がけがあればできるものなので、そこにスポットが当たるのはとてもよいし、そこ、もっと言うと、単に努力だけでなく、その継続との点に、着目したのは稀有ではないか。

一番興味深かった点は、指導者から教えられることなのだか、対戦において、「先の先を制する(読む)=主導権を握る」こと。

主人公の受動的思考からくる対戦での受動的姿勢や態度のためゆえ、強く指導され、そして、それを少しずつ少しずつ、試行錯誤して身につけていくのだか、いずれも共感の一言に尽きる。

種目やルールなど全然違えど、仕事柄、相手があるという面では同じ。ゆえに、同種の心構えが必要とされることが、有形無形に絡んで、身につまされるのだと思う。

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# by ofuna-law | 2016-10-13 21:55 | 趣味 オフ 癒し
東海道線の湘南地域を走る特急が、踊り子とビュー踊り子。

首都圏から伊豆(終着は下田)を繋ぐ。
横浜駅に止まってから以西は、大船も藤沢も辻堂も茅ヶ崎も平塚も、止まらない。要は、湘南をすっとばす特急。

昼間は一時間に一本くらいで、踊り子かビューか、どちらかが通る(土日は臨時便が出るから便がもう少し多い )。

通過する踊り子を窓の中を見ると、座席を回転させてボックスにし、窓側にお弁当や缶ビールなんかが見えて、確実なる伊豆の観光客がわんさと乗っている。平日にもかかわらずである。

乗客は全員楽しそうに伊豆しか見ずにまっしぐら。

駅で待つ客は、それにしても平日なのに観光客って多いんだなと思いながら、皆見ている(はず)。

で、心だけは伊豆へ行き、温泉へひたるが、現実は仕事。乗りたくとも、湘南付近はひと駅たりとも止まらないから、ふらりとも飛び乗れないのである。決して。

ちなみに、普通の踊り子とビュー踊り子の違いは、ビュー踊り子のほうが全体的に窓の面積が普通の踊り子より断然多くて、展望を楽しめるようになっており、特に一番前に一度は乗ってみたい、そんな感じがする車両だ。

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# by ofuna-law | 2016-10-11 11:48 | 地域の出来事 歴史 研究等
ドイツのある哲学者が、人の価値観を6類型に分類してます。

理論、経済、審美、宗教、権力、社会。以上の6つ。

参考)
理論型 - 理論が通すことや真理に価値をおく。論理的に理解し真理を追究。
経済型 - 金銭的・社会的地位に価値をおく。利己的・経済的観点から物事を捉える。
審美型 - 美的なもの、楽しいことに価値をおく。物事を感情を通して考える。
宗教型 - 神を崇め、信仰に価値をおく。博愛的・道徳的に人生を見つめ生きようとする。
権力型 - 他人を意のまま従わせることに価値をおく。権力掌握に満足感を覚える。
社会型 - 社会奉仕や福祉にかかわることに価値をおく。人の役に立つ行動をとる。

当たらずしも遠からずか。

例えば、ヒトラーは、絵描きになれず「審美」を捨て、極端な「権力」に走った点、バランスが非常に悪い典型。

自分に当てはめると、「宗教」と政治(「権力」のひとつとして)は全くない(あえて避けている。法律家は法を解釈するのが本分だと思うので、法律を作る側の政治とは似て非なるものと思っている)。
仕事では、人の役に立つという意味の「社会」と紛争を解決するために「理論」に価値を置いている。
特にオフでは、理想として審美を一番としたい。現実に欠けているのを自覚していますから。

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# by ofuna-law | 2016-10-07 08:41 | プロフィール 

開業12周年をむかえて

平成16年10月、大船に事務所を開いたので、ちょうど12周年になった。

毎日の食事を詳しく思い出せないように、過去の仕事もそうで、でも確実に血肉になっていて、現在がある。

開業当初に12年後など想像つかず、そもそも1年後すら見当つかずだった。愚直に一歩ずつ前へ進むようにしてきた。

折しも、先日神社でおみくじを引いたら、過去や将来を考えるのではなくて今に集中するようにと書いてあった。

それに、最近はやりのマインドフルネスとやらも、同じといえば同じで、今に集中(呼吸に意識を集中して雑念を払うとリラックスできるとのこと)と言う。

ちなみに、人は関心があることが目に入ってくるそうだから、要は、ちょうどこういうことに関心があるともいえる。

もっとも、よく考えたとしても(おそらく思い出せないほどの昔から)、今やるべきこと、今やりたいこと、今しかやれないことを、感じるままにきっちりやっていくのが一番だと思っている。

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# by ofuna-law | 2016-10-05 08:42 | 事務所案内 

平塚七夕祭りの「技」

開催は7月第一週の金土日が原則ですが、今年に当てはめると、7/1-3になり時期尚早につき、2016年は例外で7/8-10開催です。

七夕は、旧暦(1か月程度遅れた8月になる)で考えると天気はよいのに、新暦で考えると梅雨の時期になってしまいます。
七夕に天の川が見れた記憶がないのはそのため。

新暦で行われる平塚七夕祭りの特徴は、期間中の雨の多さ。晴れる年は晴れますが(今年は空梅雨及び梅雨明けが早そうなため大丈夫なはず)、去年は三日間ほぼ雨でした。

ゆえに、

晴れ間を狙って行くのがよく、そのためには、数日前からの天気読みが大切。
言い換えると、行く日の特定が早すぎると当日雨になる確率が高い。

長い道の竹飾りを見ながら歩く祭りだから、折角なら晴れがよかろうと。
仙台は旧暦かつアーケードで屋根あり。対して、平塚は新暦かつ屋根なし。と肝に銘じるとよいでしょう。

露店が非常に多種多様で豊富なのも大きな特徴で、平塚七夕祭り=竹飾り+露店、という式が概ね成立します。

しかし、人や露店の圧倒さに比し、座るところの稀少さが目立つのが現状(至難の獲得競争を呈し、途方なく彷徨うことになりかねない)。

立ちながら歩きながらや地べたで食べるのがもし嫌なら、敷物やハンディな折り畳み椅子の持参がおすすめです。

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# by ofuna-law | 2016-06-22 20:01 | 地域の出来事 歴史 研究等
明治生まれの無骨無口な祖父は、大工の棟梁で、私が高3のときに逝去。
初孫の私を、とてもかわいがってくれました。

毎年くれないお年玉を、1回だけくれたときに、古札だった(前の前の前のバージョンくらいの千円札)衝撃は、忘れることができません。
腕時計を2回、幼稚園のころと中学生のころに買ってくれたことや、わざとなのか分かりませんが「渋滞」のことを「しぶたい」と話し、「高速道路のしぶたいがひどいらしいぞ」と言っていたことが大きな思い出です。

祖父の大工修業時代のことは不明(それ以外のこともほとんど不明)。
横浜の石川町近辺で大工として独立し、その後、藤沢の六会に移って工務店をし、職人を増やして、棟梁をしていたのは確かです。

大工(特に建築士制度が今ほどでない昔の当時の大工)は、基礎から完成まで構造を緻密に頭の中で組み上げるので頭は使うし、実際に木材を道具で狂いなく加工し、丁寧な仕事で組み上げる腕も必要で、また、職人を徒弟制度で鍛えつつ、工務店という組織をトップとしてまとめます。

大工と弁護士は一見して違いますが、弁護士でいう、知識を高め知恵を絞り成果を訴求していくことや、解釈や文章や法廷技術にこだわる職人気質なところ、部下の弁護士の指導に徒弟制度的な面が残る伝統、事務所(法人)が大きくなると比重が増えてくるマネジメントは、上記大工の局面と似通っていると思います。

最近、そう気づき、その思いがどんどん強くなってきて、祖父との同質性や親近感を勝手に感じ、同じような悩みとかありながら天寿を全うしたのだと、これも勝手に解釈して、祖父への尊敬心は強まるばかりです。

以前は、尊敬する人を「織田信長」と言っていましたが、最近は「祖父」と言うようになりました。
年月による成長・進化と自称しています。

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# by ofuna-law | 2016-05-27 08:30 | プロフィール 
(2005.5.19記事)
ご専門は?という質問を受けることは多いです。

医師なら,外科,内科,小児科,精神科,産婦人科など,専門がありますが,弁護士では,それほどには特化しておらず,憲法,民法,刑法,商法,民事訴訟法,刑事訴訟法(いわゆる六法)には通暁し,他はその関連法であり,理解が及ぶので,だいたいは対応するのが実態です。

そもそも当所のような地元密着型弁護士は,専門に特化して門戸を狭めず,相談されればその法律問題に一定の解決策を提示することが求められているのです。

依頼が多い類型はあります。当事務所では,離婚・不貞等男女トラブル,相続,交通事故がトップ3です。経験が多くなりますが,専門ではありません。

専門を決めることは,視野や知見や経験やバランスや可能性を狭めるリスクと裏腹であると懸念するのを,知っていただけたらと思います。

頼りなげな印象を受けるかもしれませんが,ご専門は?の質問に,端的に答えられないのが正直なところなのです。

(2015.2追記)
今、ご専門は?と聞かれたら、「身近なトラブル」「中でも、男女問題・相続・交通事故」と答えると思います。
独立後10年の経験で、自然とそうなりました。

男女問題は、「1対1」の法的トラブルの基本形だと感じます。当事者間の対立が主観面と経済面で、もっとも激しく、人間関係の法的トラブルが集約されていると思います。

相続は、「1対数人」の基本形。男女問題の応用形に位置づけられると思います。

交通事故は、主観面の対立は比較的後退してドライで、むしろ経済面の対立がメインになるという点で、男女問題ができれば、交通事故もできるという関係になると思います。

(2016.5.25追記)
専門は?との質問について、質問の意図を大別できるように感じます。

ひとつは、どんな弁護士なのかという個性の興味からの問いで、もうひとつは、どこかで身近に法的トラブルを抱えていて、相談できそうかの感触を得る問いだと。

だから、最近は、専門は?と聞かれたら、「どんな弁護士を探しているのか」というように、逆質問をするようにしています。

すると、何かの法的トラブルを抱えている場合であれば、メジャーな法律問題のみならず、マイナーでも、これまで専門を決めず対応してきたので、意図に合わせた答えができます。

また、その分野には一目おける弁護士が他にいて、そのレベルを考えると、対応できないと見極めることができるようになり、断るべきを断るようにするようにもなっています。違う意味の成長と、好意的にとらえていただきたいです。

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# by ofuna-law | 2016-05-25 09:00 | 取扱業務
司法試験受験では,法の「理」,すなわち,理論を勉強します。
理論としての美しさ(一貫性と精緻度)に目を奪われます。

判例通説ではなくとも,例えば,手形法の二段階創造説。刑法も大谷説。民法177条だと鎌田説。
いずれも,判例通説にはない美しさがあります。

弁護士になると,判例通説がスタンダード。
少数説の出番や,理論の美しさは,ほとんど考えません。

実務では,結論の妥当性が肝。
事件の筋といって,これは関係当事者の主張や証拠等を総合考慮すると,どうなるのかといった見立てですが,事件を読み解くうち,まず結論が浮かびます。

この筋読み,見立ての根底にあるのが「情」です。
言い換えると,一般人の常識的な見方。

司法試験受験生は,大半が20代。
法律相談を必要とする人よりも,若い。
人生経験が少なく,常識はまだ不十分が普通。

とすると,何が正しい結論なのかの迷いがある。

しかし,それでいいんであって,まずは判例通説を理論として勉強することで,具体的事例でどのような妥当な結論を導いているか,という常識も勉強していることになります。

司法試験合格後数年して,常識が理論を超え,いまは,まずは結論の妥当性だと感じます。

そして,筋読みからの結論が,判例通説に反する場合もあり,この場合,判例通説の射程範囲を特定した上で,本件に限っては修正を加え例外とすることができないかという思考プロセスをとったり,妥当な結論が導かれるような事実の主張と立証に努めることになります。

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# by ofuna-law | 2016-05-12 18:06 | スタンス
2008.12.2に法廷で裁判官から「バッチつけてないですね。本当に弁護士なんですか」と叱責された経験がある。

当時35歳。そんなに素人っぽかったか,事件屋ぽかったか,人相が悪かったか。

そのころ弁護士バッチをつけることが,なんとなく嫌で。

それを正当化したくて,「そもそも弁護士バッチは絶対に法廷でつけなくてはいけないという義務があるのか」を,「ないはずだ」というために,躍起に調べたが,それも過去の笑い話。

結果,法律に明文はなく,日弁連の会則の中に「帯同義務」という規定があるのみで,この帯同義務とは,バッチを常に持ちあるいていつでもつけられるようにしておかねばならないという義務であり,バッチを胸に必ずつけなければならない義務ではないと判明(日弁連にも確認)。

かといって,「つける法的義務まではない」と開き直るのも,逆に必ずつけるのもなんか癪だなとずるずるしていたが,いつからかは覚えがないものの,ここ数年は法廷ではつけている。

逆に,普段は昔も今も全くつけない。

見る人がバッチ見ればすぐこの人弁護士だとわかるので。
それと,普段から品行方正で真面目貫徹ならさておき,そうともいえない自覚があるので,弁護士バッチで自らが弁護士と表明し続けるのは,不都合なことがあるかもしれないので。

もっと成長して常にどこでも絶対恥ずかしくない理想の弁護士になれたら,普段も弁護士バッチをつけたいと思う。

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# by ofuna-law | 2016-05-06 10:30 | 反省 回想 雑感
「ワークライフバランス」という標語を、「ライフワークバランス」と換言すべきとの意見を目にした。
その意図は、両者のバランスを考えるなら、あくまでライフが先というもの。

賛成だ。

というのも、ワークにつかる日々を送っていると、どうしてもワーク先の頭になる。その頭でライフとのバランスを考えようという「ワークライフバランス」には限界がある。むしろ、先に「ライフ(人生設計・やりたいことや楽しいこと)」を考え、その頭で、ワークとのバランスを考えるのが理想と思うから。

ただ、「ライフワークバランス」に換言したところで、現実はワークにつかる日々。だから頭もそっち中心に引っ張られる。

だから、そうならないための強い戒めの意味で、一歩進んで、個人的には「ライフライフライフワークバランス」くらい、先にライフを連呼して、ようやく程よいバランスが保てると思う。

ちなみに、若いうち(42歳もまだ若いと言われたら元も子もないが)からそう考えろとは言わない。

最近になって、体力が漸減し、無理すると次の無理を招くという、悪いスパイラルに陥るようになった現実。逆に、経験の蓄積による筋読みや指示等ができるようになってきた年齢になったこと。だから、そう考えるに至ったので、決してその紆余曲折を飛ばしてほしくない。

ライフライフライフワーク実現のため、「無理なことは無理」と言い聞かせ、「無理と判断したことのマイナスは甘受する」と考えるよう、精進中。
そうしないと、やっぱりワークに引っ張られてしまうから。

精進を続けるうち、個人的にとても大ごとなのだが、ようやく、休日にスマホの電源を終始切れる境地に至った(これまで、何か重要な仕事の連絡が入るのではないかと気になって切れなかった)。切らないと、気になって、どうしてもライフがワークに侵される。

また、例えば、恥ずかしい話、いわゆる「育メン」に対する認識を取り上げると、前は男はまず仕事だろうと思っていたのに、今はは育メンは子が小さいときしかできないことで、親離れで卒業。その限られた期間にやらないと、時機を逸し、人生の中でマイナスだという意識へと変わった(いずれにせよ誹りを受けそうではあるが)。

そして、一番意識しているのは、「自分しかできないこと」をすること。

仕事(ワーク)だと、「判断」と「指揮」。それ以外は、だれかに任せたり、部下に振ったり、アウトソースができる。
ライフであれば、自分しかできないことの究極とは、「もし明日死んだら、後悔しそうなこと」をすること、だと思う。ただ現実的には、やるやらないを決めるときに、「これをしなくて明日死んでも、後悔しないだろうから、しない」という形で用いているというほうが正しいか。

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# by ofuna-law | 2016-05-05 10:10 | スタンス
今春4月新ドラマ、松潤の日9(TBS)「99.9-刑事専門弁護士-」と、竹野内豊の木9(テレ朝)「グッドパートナー 無敵の弁護士」が始まった。

両方初回を見た。

松潤のほうは、刑事弁護人がテーマ。
変人弁護士を人気者の松潤がやることが大衆受けするという狙いか。
上司(香川照之)が検事上がりのいわゆるヤメ検。この役の活躍に期待。一点、こういう役をほぼ香川照之がやるのはベタのように思う。
その妻役の女優さんがそれにしても綺麗だ。

なお、現役若手検事が、松潤と対立する関係上、どうしても引立役=ヒールすぎる役になっているのは、現実と違うので、誤解のないよう注意。
どちらかというと、個の検事の個性は、本来は、「HERO」(フジテレビ)のキムタクほか同僚検事たちのそれにイメージが近い。

ただし、検察内部の上司(奥田瑛二)と部下の規律の厳しさは、ままある。
対して、「HERO」のほうが、上司部下の関係を、ハートフル方向に振りすぎである。

竹野内豊のドラマのほうは、小さい企業法務の弁護士事務所の話。ちなみに、劇中説明が多いのに、説明がなかったのだが、業界では、こういう事務所をブティック型の法律事務所という。

気づいたのは、この事務所の間取りが、HEROの庁舎(地検城西支部)に類似するところ。この間取りは、ドラマのコマ割りを、時には個、時には全体と切取れるから、都合がいいのだろう。

ただ、法律事務所も検察でも、現実はこのような間取りは少ないように思う。
どうも、HERO同様、職場内でのコミカルなやり取りを描きたいという製作意図を感じる。

基本的に敵対する相手がいる関係上、弁護士ドラマは、流れが、最初はピンチで、最後は逆転し、そのギャップの大きさがスカッとするという形になる。つまり、どうしても「半沢直樹」的な流れになる。これは仕方ないのかもしれないが、最近はどれもどれもでマンネリに感じる。

余談だが、BL要素があるのでまだ世間的に時期尚早かもしれないが、よしながふみ著の漫画「きのう何食べた」をドラマ化してほしい。主人公が弁護士なのだが、半沢直樹的な流れがなく新しいはず。

細かいところであるが、よりリアルに近いかを見る一つの基準として、小道具としての、弁護士バッチの作り込みが挙げられる。

経験上、ドラマの弁護士バッチがチープなほど、ドラマもリアルから離れ、あくまでもドラマ(非現実的)になる気がする。

今のところ、その点だけでみると、松潤のドラマのほうが作り込みがしっかりしているように見えた。

ただ、竹野内豊は、最近特に「素敵な選タクシー」で面白かったこともあり、個人的には期待している。

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# by ofuna-law | 2016-04-26 13:18 | コラム

「湘南」の由来と範囲

「湘南」については、その由来にも、範囲にも、それぞれ争いがある。

まず由来の点は、歴史そのものだから、なんといっても古文書がなければ語れないが、残っている古文書は稀少だし、残っていても、記載の真偽が問われる。ゆえに、遡って歴史を論ずるのは自由。だからこそ歴史はおもしろいといえる。

裁判で、お互いの言い分(主張)はあるけれども、その証拠があるのか、あるとして真偽は定かかを問い、真相を探るのに似ている。

元々、中国にある河川「湘江」の南部に、古代は長沙国湘南県という所があって、そこから転じたのは争いがないようだ。

これを前提に、一説は、その地は禅宗が栄えていたと。
日本では鎌倉仏教が禅宗。だから、鎌倉時代に禅宗の僧が鎌倉周辺を湘南というようになった・僧が書いた古文書に湘南の文字がある、これがこの説である。
鎌倉説と呼ぶことにする。

他方、室町時代に大磯の鴫立庵に「著盡湘南清絶地」という石碑が建てられたことを由来とする説もある。
室町説と呼ぶことにする。
鴫立庵から相模川を望む河口付近の絶景が湘江のそれを思わせたからともいわれ、ここでもキーワードは湘江。
(ちなみに、本記事は、上記石碑のレプリカが2016年新たに大磯駅前に設置されたことから執筆した。)

昭和に入り、太陽族とサザンオールスターズで、江の島付近(藤沢)と隣接の茅ヶ崎が湘南の中心地となる。これは、由来というよりはむしろ範囲のほうの見解となるが、昭和説と呼ぶことにする。

範囲の点は、これら3つの説を軸に、その系統あるいは亜種に位置づけられる説が百花繚乱の様相を呈し、湘南とはどこなのかが熱く語られる。

ちなみに、神奈川県南岸の自治体は、西から順に、湯河原、真鶴、小田原、二宮、大磯、平塚、茅ヶ崎、藤沢、鎌倉、逗子、葉山、横須賀、三浦、横須賀、横浜、川崎である。
真鶴半島と三浦半島に挟まれた小田原~三浦までが相模湾。
湘江に見立てられた相模川は、平塚と茅ヶ崎の市境を南北に流れている。

例えば、葉山・逗子を湘南であるという人は、鎌倉説を軸に、鎌倉とのゆかり(頼朝と三浦一族)のほか、(昭和説が混じって)太陽族といえば石原裕次郎・慎太郎であって、この兄弟の住まいが逗子であったことと、観光地としては江の島と鎌倉は一体で、だとすると、鎌倉と逗子・逗子と葉山は相互に一体であって全体で一地域をなすとして、葉山・逗子は湘南であると論じる。

また例えば、平塚を湘南であるという人は、室町説を軸に、湘江に見立てられた相模川及びその河口は正に平塚に属するし、地域的に平塚は大磯に隣接し一体性があり、室町説には当然平塚が含まれると論じる。そして、昭和説に対しては、歴史の浅い新出説と批判し、鎌倉説は湘江に見立てられた相模川からみると位置的に遠すぎると批判するのである。

一方で、平成6年に湘南ナンバーが相模ナンバーから分離され独立した。
これにより、上記自治体のうち、藤沢以西は小田原までのみならず、湯河原や、海に面していない秦野、伊勢原、寒川、南足柄、足柄上・下郡もが湘南ナンバーの地域となった。そして、これら全てが湘南であると論じられるようになる。
平成説と呼ぶことにする。

平成説の出現により、範囲の点では最有力説であった昭和説が正当化され、のみならず、室町説も追認されることになったといえる。
ところが、新たな問題として、海に面さない秦野等や足柄地域までもが湘南なのかという派生的争点と、鎌倉以東は湘南ナンバーではないので、鎌倉説が覆され、鎌倉説を強い根拠としていた逗子・葉山をも湘南であることが覆されかねないという、仁義なき蒸し返し論争までをも招くことになった。

こうなると、もう由来や範囲をどうのこうのすること自体煩わしい。
それに、単に神奈川県内の一部地域内部の論争にすぎず、そもそも他県民にとってはどうだってよい話なのだろう。

そこで、調べた範囲では論者がいないが、「湘南」という漢字に着目し、それだけ解決する問題と考えてしまうのはどうか。

漢字に着目するだけでいいなら、相にサンズイがついて南、であり、相は相模国を意味し、サンズイは水を意味し、南は文字通りであるから、単に「相模国の南部の海沿い」の意だ。

相模国という呼ばれ方は律令制時代の西暦700年代から始まるとのこと。
その後鎌倉時代までは400年(1100年代),なお室町時代までは600年(1300年代)。
相模国という名の周知後ほどなく、その南部の海沿いは湘南とされたのではないか。
書けば、位置や範囲がすぐ分かり都合がよいというのも理由のひとつ。

そうであれば、鎌倉時代よりもっと前から湘南という場所も使われ方もあったといえる。

従来、由来として最古の鎌倉説も、鎌倉時代の僧は漢字が書け、かつ、稀少な古文書として残っただけのこと。室町説も石碑として最古にすぎないだけ。昭和説はトレンド、平成説はナンバーというだけとなる。

恐れ多い独自説であるが、律令制が整ったのは奈良時代だから、奈良説と呼ぶことにする。

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# by ofuna-law | 2016-02-25 09:28 | 地域の出来事 歴史 研究等

SNSの「不向き」

SNSの「不向き」を知り1年。

個人ページ更新はほぼ止まり、開くのは稀だ(なお、blogの更新の稀は気分の問題)。

「不向き」は、入る多々記事を見た影響による心のブレを自覚したから。

…ニュアンスが伝わるだろうか。

自分の場合、SNSは、見ると何故か心が波打つ。

確固たる自分がない、左右されやすい、評価を気にする、からのようだ。

対症療法で「距離を置く」ようにするくらいが、丁度よい。

情報を得るという点で、一人読書することはSNSを読むのと同じといえる。
だが、心(思考)が内部で固着深化する読書と、心を波打たすSNSとは、大きく違う。

仮説だが、脳は、受ける膨大な情報のうち現在必要なもの以外は大半をスルー。逆に、現在必要な情報は意識しないところで急に拾う。

例として、運転時、多くの広告看板を見るが、現在ほしいサービスの看板だけよく目に入る、とかそういう脳の力。

SNSは友人の記事だから見ればスルーできず、脳内の情報が普通より多くなりすぎる。それが、心のブレを招く理由ではなかろうか。

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# by ofuna-law | 2016-01-08 08:00 | 今の関心事
警察の特殊職能班の小説。日経新聞に大きめな広告が出てました。

売れているシリーズ物で、作家さんも賞を多く取る売れっ子とのこと。

この本が売れて、うちの事務所名が「プロフェッション」であり、「プロフェッショナル」ではないことだけでも、区別してもらえると嬉しい。。

プロフェッションとプロフェッショナルでは意味が全然違います。

憚らず言うと、プロフェッショナルは法人名で自ら名乗る単語ではないと思う。

なのに、混同されているので、プロフェッショナルを自ら名乗るのと同じ形になっており、嫌です。

今野敏著「プロフェッション」

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# by ofuna-law | 2015-08-31 22:19 | 事務所案内 

湘南に3つ ―大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町―法律事務所を置く 弁護士法人プロフェッションの いち弁護士が 思いや出来事を時々つづるブログ


by prof-law