大岡越前の眠る町「茅ヶ崎」
大岡裁きの例は、色々あれど、解釈に一考を要するのが、次のもの。
どちらが本当の母かの争い。大岡越前の前で、2人の争う女が、子の手を引っ張る。痛がる子を見て、片方の女が手を離す。
大岡越前は、手を離した女を本当の親とした。
根拠は、本当の親だからこそ、痛がる子を見て、手を離したのであり、愛あればの証だと。
しかし、これには違う見方も存する。
本当の親ならば、偽者に渡してはならないと、子が泣いても心を鬼にして引っ張るのではないか。また、手を離した女も、執着が弱い、あるいは自分が偽者だから、鬼の形相の相手に根負けして、離さざるを得なかったのではないか。
近現代の裁判では、このような疑義をなくすために、証拠をもって勝敗を決め、証拠の中でも、客観的証拠を重視する(主観的証拠とは、供述のこと。嘘や誤認の余地が多くなる)。これを、証拠裁判主義という。
なお、上記例には、裏話があるといわれる。
大岡越前は、引っ張り合いだけで決めたのではない。裁きの前に、捜査を入れ証拠を掴んでおり、心証はもう事前に決まっていたというのである。
その上で、引っ張り合いをさせた。
結果的に、離した女を勝たせたが、もし、その女が離さなかったら、偽者許さじの親心を認定し、結局その女を勝たせようと考えていたというのである。
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