大船法律事務所 辻堂法律事務所 平塚八重咲町法律事務所の某弁護士の述懐

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湘南に3つ ―大船(鎌倉市)・ 辻堂(藤沢市・茅ヶ崎市)・平塚八重咲町―法律事務所を置く 弁護士法人プロフェッションの いち弁護士が 思いや出来事を時々つづるブログ

大船藤沢辻堂平塚の地名由来

ふと興味がわいて、大船藤沢辻堂平塚の地名の由来について調べてみた。ただし、ネットでなので原典にはあたっていない。

結論的に、一貫した共通点が見えてきた。

つまり、これらは全て湘南地域にあるが、地形的には、海(相模湾)に面した土地であり、そのことが、地名由来に大きく関わっているということだ。

それは、遥か昔の湘南の海岸線が、いまよりもずっと山よりで、湘南の東西を走る東海道線の南手前くらいまでは、海岸線だった(正確な地理は調べておらず、多くのネット記事を読む限りイメージ)ということとも関係する。

海岸線が山よりであったため、砂浜、砂丘のほか、海へと水が流れていく川、その周囲の湿原、湿地、沢など、この地域は、水地帯といえるような土地であったようだ。

まず、大船の由来。

ここは、まさに昔は、湿地帯の中に、丘が点在する土地であった。

それは、大きな船が入れるほどのものだったとのこと。そう、この大きな船から「大船」となった。それに似た説が、粟を積んだ船が出入りし、そこから「粟船」となり、それが「大船」に転じたというもの。ちなみに、大船の鎌倉よりに常楽寺というお寺があるが、その山号を粟船山という。

これらの説は、やはり、この地域が海岸から近い水地帯であったことを示す。

なお、丘も多かったことに着目し、その丘の形状が船に見えたとして、大船という説もある。
また、あくまでも私見であるが、「大船に乗ったつもり」という言葉があるように、大船は縁起のいい言葉であり、地名として相応しかったのではないか。

余談だが、大船には、屋号などに「田園」の表記が非常に多い。大船事務所の1階は田園印刷所だ。では、なぜ田園なのか。この点、大船には田園という住居表示はない。

田園の由来だが、昔、まちづくり策として、世田谷の田園調布を目指した「大船田園調布計画」というのがあったということから来ている。実現はしなかった。ただ、田園という表記は多く残ったと。
この計画が実現していたら、どうなっていたかを想像するだけでも、楽しい。そして、残念である。

次に藤沢。

藤の木が多かったという説がまことしやかにいわれるが、これは最近になって言われるようになった俗説。由来とは関係ないといわれる。

また、藤沢姓の有力武士の館があったことから、藤沢となったともいわれる。しかし、その有力武士が館を建てたときには、もうすでに藤沢という地名があり、その武士は土地名を名乗ったもの。由来とは言い難い。

最も妥当とされるのが、「淵沢」が転じて「藤沢」となったという説。

すなわち、やはり藤沢も水地帯であり、淵や沢が多い土地で、そのために、淵沢と呼ばれるようになった。これが、藤沢となったと。
訛り言葉として変化したか、あるいは、淵よりは藤のほうが、地名としては相応しいとされたのではないか。

ちなみに、藤沢駅北口のマックやセンチュリー21、てるるという携帯ショップ、ファミマがあるあたりは、字を横須賀という。

この須賀とは、詳しくは後述するが、神奈川では、横須賀と同じだ。

もともと「スカ」とは、海に沿った高地、砂丘、砂地という意味。横須賀は、横に砂丘や海岸がある土地という意味といわれる。

そうすると、藤沢駅北口直近に、「字横須賀」という地名があるのは、昔は、ここが海岸線に近く、砂浜、砂丘があり、その上に集落があったと考えて自然だ。

次に辻堂。

辻堂もやはり水地帯であった。たとえば、浜見山は、昔は砂丘。浜が砂丘の上から広く見通せたという。
柳島は本当に島だった。後に陸地化した。
その他、南湖なども水に関連する。おそらくではあるが、湖の南の土地、逆に、湖が南にある土地というのが由来であろう。

そもそも、辻堂は、もともと八松ヶ原と呼ばれていた。砂浜に八本の松があったことからきているらしい。
八松ヶ原という地名も、このように、海が関係している。

それが辻堂と呼ばれるようになったのだが、この名はだいぶ水関連からはずれる。ちょっと残念。

辻堂の由来は、漢字を見ると推理できる。
「辻」と「堂」。
現在はもう僅かしか遺稿が残っていないが、辻堂には、鎌倉街道の十字路があった。十字路とは辻。そして、その十字路にお寺があった。お寺とは堂。

ちなみに、問題は、その場所。
辻堂には現在3つの寺がある(昔はもう1つあったとのこと)。
それぞれが、我こそが「堂だ」と主張している。
この中でも、地域では「南の寺」と呼ばれる宝泉寺が、その堂であろう。

それは、鎌倉街道が直近を走っていた点だ。これは動かしがたい事実。
また、地元ではこの宝泉寺を中心とした東西南北が、それぞれ東町、西町、南町、北町といわれている点。

あと、これは、あくまでも私見であるが、前述のように、辻堂と呼ばれる前は、この地域は八松ヶ原と呼ばれていたという点。この八松という地名は、いまの住居表示には知る限りでは見当たらない。ただ、一番に思い当たる八松という表記として、八松小学校がある。
この八松小学校が、宝泉寺のすぐそばだ。

結局のところ、辻堂は、この宝泉寺を中心として発展していた地域と考えるのが妥当だろう。

最後に平塚。

これも諸説が割れているが、砂浜、砂丘、水、海に関連した地名という共通点が見いだせるという私見からすると、次の説が最も説得的といえる。

前述のとおり、「スカ」とは、海に沿った高地、砂丘、砂地などの意味がある。

そして、平塚には、馬入川の河口に、須賀港という港がある。いまでこそ、海釣りの地としての知名度くらいであるが、江戸時代は、ここが水運の地としてものすごく栄えていた。
むしろ、平塚の中心が須賀港であったといってよかった。

全国の回船が須賀港に集まり、馬入川を遡って、厚木や相模原の方へと物資を運んでいた。

この須賀港自体、いまでも須賀=「スカ」と呼ばれ続けている。まさに海沿いであり、砂浜がある土地にほかならない。

そして、平塚の「塚」は、この「スカ」が「ツカ」に変化したのではないかという考えが有力だ。
昔の人がスカをツカと訛っても、不思議ではない。

では、平塚の「平」とは?
地名としての「ヒラ」は、斜面を表す。すなわち、平は、丘ということ。
この丘は、これも私見であるが、普通の土の丘ではなく、砂丘を意味すると思う。

それは、いま、平塚の南側は、坂も丘もない真っ平らな地域。

もし、ヒラが土の丘であったなら、時代とともに、簡単に平らになるだろうか。
一方で、もし、砂丘であったなら、時代とともに、平らになりやすい。

前述の辻堂の「浜見山」も、海が見渡せた砂丘であったとされるが、いまは砂丘は影も形もない平地だ。

よって、「ヒラツカ」という呼び方そのものも平塚の地形、すなわち、砂浜、砂丘、ひいては、海を由来しているといえよう。
by ofuna-law | 2014-07-21 11:07 | 地域の出来事 歴史 研究等

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